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あの頃、「ダンシングオールナイト」な高校時代

70年代に中高生をしていた私は、当時みんながそうだったように、ラジオ小僧だった。無類の音楽好きだった私は、夜な夜な「どこかにいい曲ないか?」とばかりにラジオサーフィン(そんな言葉はなかったがw)に熱中していた。

そう、あの頃はヒット曲はラジオから生まれていたのだ。シングルレコードが500円から600円に、LPが2500円から2800円に移行し始めていた70年代後半、音楽は高額商品だった。心のおもむくままに好きなレコードを買うことはできなかった。そこでわれわれリスナーは「この曲かけて」とラジオ番組にハガキを送り、その曲がかかるのを今か今かとラジオの前で待つのだった。

ある夜、「初めて聴くのになぜか懐かしい曲」がかかった。やがてその曲はラジオからテレビへと活躍の舞台を変えて、毎日お茶の間に届くようになった。

初めてきくバンド名だった。タイトル通り🎵ダンシングオールナイト🎵を連呼する小柄のヴォーカリストの声は、ハスキーでハイトーン。一度聴いたら忘れられない声だった。

Gm-D7-Cmのスリーコードだけでつくられた曲は、ギタリスト2名が奏でるサウンドがとても印象的だった。特に全編通して聴かれるギターのカッティング(注: これは和製英語。英語ではStrummingという)がとてもカッコよく、私はすぐにコピーして弾いていた。

テレビを見ていた私はあることに気づいたーあれ?俺が知っているコードD7と押さえ方(運指)がチガウ!私が教則本で教わったように5フレットを人差し指でセーハ(バレー)で全弦押さえるのではなく、そのギタリストたちはD7を1フレットのC7の押さえ方のまま3フレットにスライドして弾いていた。自分で弾いてみると、おーいい感じ。なるほど、これで1弦と6弦をミュート(指の腹で弦に触り音を出さないようにする)するとカッチョいいヴォイシング(この名称はあとから知った)になるんだな、と初めて知った。

高校では必修科目ではない授業は選択制になっており、私は音楽を取っていなかった。休み時間に音楽教室に行くと同級生たちがギターやピアノを練習していた。私は突然教室に乱入してほとんど弾けない奴からギターを奪い「ダンシングオールナイト」のギターソロを見せびらかすゲス野郎だった😝

もんたよしのりさんの訃報をきき、私の高校時代の不遜な振る舞いを思い出し、赤面に至ったのである。

私の思い出の一部を授けてくださったもんたさん&ブラザースのみなさん、ありがとうございました。

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