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世界中の人々を危険に晒して不幸にする各国の過剰な愛国主義者達

<ENGLISH>

 人間には、事実関係を見極めて、出来るだけ客観的な判断をしようとするタイプの人と自分が信じたい事だけを事実として受け入れて、信じたくない事はフェ―クニュースとして絶対に受け入れようとしないタイプの人がいます。
 ロシアがウクライナに不当な侵略をした時、多くの愛国的なロシア人達は、プーチンが突然ウクライナに不当な侵略をして残虐の限りを尽くしているというニュースは信じたくないので全部フェ―クニュースとして信じようとせずに、逆にプーチンはネオナチであるゼレンスキー政権を倒すために正義の戦いをしているという全くのフェ―クニュースを唯一の真実として信じようとしました。
 大抵のロシア人は国営放送だけでなくネットでもニュースが見れるので、両方のニュースは聞いている訳ですが、ロシアが悪者に成っているニュースはフェ―クニュースとして信じようとせず、逆にロシアは正義の為に戦っているという全くの嘘の国営放送のニュースだけを真実として信じようとした訳です。
 つまり、多くの愛国的なロシア人にとっては、真実や事実などはどうでも良くて、自分が愛するロシアが悪いことなどするはずもなく、他国を不当に侵略したり、一般市民を拷問したり虐殺したりするはずかない、という自分の信念に合致する情報だけを信用し、本当のことを報じるニュースは、ロシアを貶める為の悪意のあるフェイクニュースだとして、頑として受け入れず、結局、嘘にまみれた国営放送の報じる虚構の世界に身を置くおくことで、多くのウクライナ人がロシア軍による攻撃で地獄の苦しみを味わっているという信じたくもない悍しい現実から、目を背けようとしていたのだと思います。
 客観的な事実を重んじる人は、それがどれだけ残酷で受け入れがたい現実であっても、その厳しい現実と正直に向き合って、自分はそれに対してどうすれば良いのかを、誠実に考えようとするものです。もちろん、ロシアにもそういう誠実な人々は沢山いるし、一部には抗議行動を起こした人もいましたが徹底的に弾圧されてしまいました。
 そのような、真実から目を背けて、ひたすらに国営放送の嘘のニュースだけを信じて、不当な侵略戦争に反対するどころか、もっと過激な手段を使ってウクライナを攻撃せよなどと逆にプーチン政権に圧力をかける沢山の愛国的なロシア人の姿をみていると、彼らが如何に愚かで、思慮が浅くて、単細胞な人々なのか、そして、まともな人間性を失ってしまっているのかが良く分かると思います。
 しかし、今や、世界中から嘲笑の的となってしまっている今の愛国的ロシア人の様な自分の国の優越性と威信に過剰なほどに拘り、ひたすら国威発揚に繋がる事にのみ喜びを感じる人々は、実は世界中に増殖しているようです。
 彼らは不都合な現実と真摯に向き合おうとはせず、嘘でも良いから自分が信じたい情報だけを頼りに、嘘にまみれた虚構の世界を自分の周りに築き上げ、それを現実であると思い込もうとします。
 民主主義と自由と公正を代表する筈だった超大国にも、明らかに選挙で負けたのに、それを信じたくないと事実を受け入れようとせず、選挙に不正があったという全く根拠のないデマを信じ、それをまた、多くの人々に吹聴して真実であると信じ込ませようとしたり、力ずくで国会まで占拠しようとしたりする野蛮な人々がいました。
 また、世界一安全で親切で正直で勤勉な国民性で世界中から高い評価を受けている国にも、一部には、自分の国が過去に犯した過ちとされるものは、自国を貶めようと人々によるでっちあげか誇張であるとして否定し、逆に自国の過去の過ちと真摯に向き合おうとする人々を、敵国に洗脳された売国奴で自虐的な歴史観を広めて愛国心を無くさせようとしている国賊であるとして糾弾する、まさに今の愛国的なロシア人達と全く同類の人々が少なからずいます。彼らはあの愛国的ロシア人達同様、自分の国の優越性と威信に過剰なほどに拘り、それを損なうような不都合な現実とは決して真摯に向き合おうとはせず、全ての不名誉な情報は否定し、ひたすら国威発揚に繋がる事にのみ喜びを感じる人々です。そういう人々は、政権与党にも大きな影響力を持ち続けています。
 彼らは近隣諸国に対してはことさらに高圧的で、融和的な態度は相手を付け上がらせだけで、毅然とした強硬な態度を貫くことによってのみ、国家の威信と国益が守られると信じています。
 しかし、残念ながら、彼らが敵とみなしている近隣諸国にも、彼ら自身と全く同様な、過剰に愛国的で自分の国の優越性と威信に過剰なほどに拘り、近隣諸国に対してはことさらに高圧的で、融和的な態度は相手を付け上がらせだけで、毅然とした強硬な態度を貫くことによってのみ、国家の威信と国益が守られると信じている人々が沢山おり、そういう人々がその国の外交政策に大きな影響を及ぼしているのです。
 そのような強硬派どうしが、それぞれの国の実権を握ってしまうと、お互いに対する警戒心と、疑心暗鬼は雪だるま式に増大し、最終的には軍事衝突で決着をつけざるを得ないような状況に陥ってしまうことも充分にあり得ると思われます。
 幸い、現実には、もっと現実的で実利的で融和的な関係を望む人々が政権を担っている為、その様な一触即発な関係にはなっていませんが、上記の様な過剰に愛国的な人々は、どこの国にも一定数いて、その時々の政権に大きな影響力を及ぼしているので、タイミングと世界情勢の動向次第では、お互いの国の権力者が、上記の様な過剰に愛国的な人々に成ってしまうことも充分にあり得えます。
 そうなってしまった場合は、相互の虚勢の張り合いが際限なく激化して、最終的には全面戦争で決着をつけるしかなくなる可能性が極めて高くなると思われます。
 このように、今、世界中の国々に台頭し始めている、あの愛国的で愚かなロシア人達のような、民族主義的で、過剰に愛国主義的で、排他的で、不都合な真実は決して認めず、ひたすらに国威発揚にのみ拘る人々は、他民族は自国の国益を損なうだけの邪魔者であり排斥すべき対象であり、近隣他国は隙を見せれば付け込まれるだけの潜在的な敵であると信じている場合が多いようです。
 そのような危ない人々が各国で政権を握ることになれば、どのような未来が待っているかは、想像するだけでもぞっとします。
 その様な人々が、勘違いしている最大の問題点は、こちらが毅然として強く出れば、相手はひるむ筈だと思っている事です。しかし、現実にはこちらが毅然として強く出れば出るほど、相手側も自国の威信にかけて、ひるむどころかより強硬な態度に出てくるということです。そうやって際限のない虚勢の張り合いとなって引っ込みがつかなくなって最終的には軍事衝突に突入してしまうのです。
 歴史上の愚かな争いはそうやって繰り返されて来ました。
 どこの国でも、必ずと言って良いほど、対外的により強硬な意見を主張するグループほど声が大きくなり、平和的・融和的な意見は「腰抜け外交」であって相手国を利すだけで国益を損なうとして、徹底的に批判されてしまいます。
 イスラム教勢力の中で原理主義的な過激派が力を持ってしまうのも同じ構造で「融和的な姿勢は、敵対勢力を利するだけ、イスラム教の教義を守るには、強硬な手段をとるしかない」という理由で、どこでも結局、原理主義者が強い影響力を持ってしまうのです。
 このように「平和的・融和的な姿勢は非現実的なユートピア思想に囚われたおめでたい人々の発想で、現実には敵を利するだけで国益を損なう無責任な政策だ」というのが、世界中の強硬派に共通する見解であり「毅然とした強硬な態度を貫くことが、国家の威信と国益を守る責任ある姿勢である」として、多くの国々でこのような強硬派が実権を握っています。
 もし、世界中の国で、このような「毅然とした強硬な態度を貫く」強硬派が実権を握る様になったら一体どうなるのでしょうか?
 実は「毅然とした強硬な態度を貫く」姿勢というのは、決して最近の傾向なのではなく、昔からあった言わば国家としては当たり前の姿勢であって、昔から多くの国々はこのような姿勢を貫いて、近隣諸国との無益な紛争・戦争を繰り返して来たのです。
 そして、その規模がどんどん大きくなり、第一次世界大戦・第二次世界大戦を経て、このような旧態依然とした強硬な国家観のままでは、争いは絶えず、やがて人類は滅びてしまう、という反省が人々の間に広がり、それまでのような自国主義的で排他的で強硬な姿勢を貫く国家観を見直して、国々の共存共栄を目指し、国家の枠組み自体もより緩やかなものにした、共同体の理念が提唱されるようになったわけです。
 それが具体化したのが現在のEUで、このEUの誕生のお陰で、あれ程までに紛争の絶えなかったヨーロッパの国々は今共に共存共栄の道を歩んでいます。
 残念ながら、今度はこの共同体とそれ以外の国との紛争が問題に成ってきましたが、究極的には世界中が一つの共同体になることによってしか、紛争や戦争は無くならないと思います。
 つまり、「毅然として強硬な国家観」は、古くから存在する原始的で野蛮な国家観であり、「平和的で融和的な姿勢」は、近年になってようやく出てきた人類相互の信頼に基づく考え方であり、相互の共存・共栄を目指すという極めて理知的なアプローチに基づくものです。
 それは決して非現実的なユートピア思想ではなく、利己的で自分の生存だけを考えていた動物的で野蛮な人類から、相互の共存共栄の道を考えるより知的な人類へと進歩していく過程で生まれた思想なのでした。
 つまり、強硬な姿勢を支持するか、融和的な姿勢を支持するかは、より利己的で野蛮で動物的な国家観を支持するか、より進歩した共存共栄の国家観を支持するかの違いであると言えるわけです。
 過去2回にわたり多くの人々が犠牲になった世界大戦を経験して、人類は自らの野蛮性を改めて認識し、その野蛮性を克服しない限り、相互の強硬姿勢と強硬姿勢のぶつかり合いによって、やがて人類は滅亡してしまうという強い危機感を感じ、そこから生まれてきたのが、相互の人間性への信頼をベースにした、あらゆる国家の共存共栄への道の模索だったのです。 
 しかし、近年はその様な融和姿勢はおめでたいユートビア思想であるとして、各国の強硬派から批判され、人類は再び、利己的で動物的で野蛮な強硬姿勢の国家観へと逆戻りしようとしています。
 ネット上でも、強硬姿勢こそが正論であるかのような野蛮な意見が席巻していますが、やはり、人類は利己的で野蛮な動物のままで、相互の共存共栄を目指せるほど賢くはなれないのでしょうか?

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