[9]パイロットまで、あと2年。
曇天。
まだ夜が明けてないと錯覚するほど空が暗い。
今日はいよいよ3時間海で泳ぐことになる。
プールでの練習を3回。
海での訓練も1回経験した。
とはいえ、こんな天気は想定外だ。
海の家に着いた段階で波の荒々しい音が聞こえる。
俺たちを飲み込まんとする勢いで砂浜に波が打ち寄せている。
「え、マジ?」
さすがのブン太も戸惑いを隠せない。
「いや、さすがにやめるっしょ。」
「だよな?」
周囲からもそんなやりとりが聞こえる。
教官が先んじて船で沖合の様子を見ている。
ここで最終判断するらしい。
「おーい!」
陸で待つ教官に船から丸の合図をする。
「あ、あいつらこの海の中やらせる気だぞ!」
ブン太が指差す先の海はここからでもわかるくらい荒れている。
「船があんなに上下してるんだ、生身じゃひとたまりもねぇよ!」
ブン太は悲痛な声で叫ぶ。
「東川、マジでやばそうだったら言えよ!」
「う、うん」
呆然と海を見つめる東川に思わず声をかける。
とはいえ俺も自信がない。
荒れた海の雰囲気がこんなにヤバいとは。
「なぁ詩音、終わったら合コン開いてくれよな?」
「死亡フラグよ、それ」
「くっそー!絶対に乗り越えてやる!」
ブン太も不安らしい。
やたらと無駄口が多い。
東川のワセリンを塗りたくって、海に飛び込む。
「全然寒くないな。」
「あぁ、昨日の俺がバカみたいだわ」
どうせ泳ぐことになるんだ。
心を決めて、気を紛らわせるつもりでブン太と喋りながら腰まで浸かる。
返ってくる波が昨日より明らかに強い。
足が完全に離れると、体が波に合わせて上下する。
「うわ、酔いそう」
「パイロットになるんだろ?頑張れよ」
「こんな上下運動は飛行機と違うじゃん。3時間持つかな、、」
「いつになく気弱じゃん。合コン行くんだろ?」
「そうだよ!絶対に乗り越えなくちゃならないんだ」
「うぇっぷ。波に合わせて喋らないと口に水入るな、、、あれ?東川?生きてる?」
目の前で東川が泳いでいるが、波に合わせきれず高い波が来ると完全に顔が浸かっている。
「ぶふぅぇっぷ!」
聞いたことない呼吸音が東川から聞こえる。
続いて大きな咳。
水を飲み込んだらしい。
「おい!死ぬなよ!」
俺とブン太で東川の両脇を支える。
「ごふっ、うぉぇっ!」
東川は呼吸が落ち着かない。
無駄に暴れないだけマシだ。
バタバタされたら俺たちも溺れる。
「おい!一旦支えとくから持ち直せ!」
ブン太が先頭の詩音に合図してスピードを緩めてもらう。
「大丈夫?」
詩音の声が遠い。
波が立つ度に先頭を泳ぐグループの足が自分の目線と同じ高さになる。
本当に墜落した先の天気がこんなだったら死を覚悟することになるだろう。
東川の右腕を支えながら考える。
だいぶ強張りが取れてきた。
無駄な力が入ってしっかり受けていなかったみたいだ。
今は俺たちと同じように波に合わせて浮いている。
「だ、大丈夫。ありがとう。」
早々にガラガラ声になった東川はなんとか喋る。
「無理すんな!見とくけど、黙って死ぬなよ!詩音!いいぞー」
ブン太が合図するといつものペースに戻った。
俺たちパイロットの卵には、鉄の掟がある。
それは同期を「絶対」見捨てないことだ。
着いてこれない仲間は全員で助ける。
パイロットになったら命を預けることになるのだから当然だ。
今のだってそうである。
教官はギリギリまで手を出さない。
3時間海で全員が生き抜く。
この目標に対して俺たち48人の同期がどう対処するのかを評価している。
ま、目の前で死にそうな人間がいたら助けるのは当然だが。
足に鋭い痛みが走る。
こむら返りとは違う。
なんだ、何かに刺されたような痛みだ。
「痛ぁ」
思わず声が出る。
「あ、クラゲだ。」
ブン太が海面を指差す。
「やられたわ」