夢日記(2023.1.14)
こんな夢を見た。
────勇者の帰還です!歴史を塗り替えた男の帰還です!
なるほど、勇者は帰還したらしい。
ジーワジーワと、蝉が私を責めたてる。今は蝉だからいいが、ゆくゆくは皆が私を責めるのだろうか。
"勇者"がまだ「冴木」だった頃、私は彼と付き合っていた。
大学で同じゼミに所属していたことを機に交際を始めた彼は、どちらかと言うと人畜無害で、良く言えば安定していた。外でのデートは年に3回、クリスマスと正月、それに私の誕生日。インドアな彼の誕生日は家で祝う。"お互いを尊重していこう"というのが私達のスローガンで、お互いに好きなことをして過ごしていた。やがて、私が就職試験に落ちてフリーターになるのを決めた頃、彼は唐突に進路を『勇者』に決定した。
「勇者って、死んだらどうするつもりなの」
蒸し暑い近所の中華屋の、脂臭い空気に当てられて滝のような汗を流しながら尋ねる私に、彼はレンゲで天津飯の餡を掻き分けながら「大丈夫だよ」と笑った。
「保険が出るだろ。きみはそれで暮らせばいいよ。2年で済まなければ、一旦交際は解消にしよう。止めないでくれよ、お互いを"尊重"する決まりだろ?」
過去に戻れるのなら、彼の意志の強さと暑さに頭をやられて、コクコクと頷いた馬鹿な私をぶん殴りたい。ハイになるって、本当にろくなことがない。
そして彼は旅に出た。一応、パーティに女の子が来る可能性があるけど、大丈夫だから、行ってくるね!とLINEが来て、後は音信不通である。当時の情勢と言ったらひどいもので、東京も大阪も福島も鹿児島も福井も沖縄も、名前も知らない離島でさえ、常にジワジワと敵の侵略を受けていた。魔王の息のかかった人間が、いつの間にか生活に入り込んでくるようになったのだから、政府もメディアも学者もお手上げだった。
──魔王を殺さなくちゃならない──国民にその気持ちは募るばかりだったが、如何せんこの平和大国ジャパンに、進んで魔王を倒そう!なんて見上げた人間は現れなかった。本屋には『魔王は嘘!メディアの敗北』という文字が踊り、メディアは国内最高学府の訪問研究員を呼んで魔王のことを語らせ、年末にはSASUKEが放送されたが、誰一人として勇者には名乗り出なかった。そこで、冴木が名乗り出たのである。自家栽培のもやしのような見た目の、私の恋人が。
くどいので、読者のみなさんはもう読むのが嫌になってしまったかもしれないが、この段階であえて、冴木の話をもう少しだけしておきたいと思う。
冴木は本名を冴木誠と言う。"マコト"ではなく"セイ"。埼玉県の農家産まれだが、継ぐ気はさらさらなく、彼の夢は中目黒で家庭料理の店をオープンすることだった。ささやかそうに見えて、はじけ飛びそうなほど欲望の詰まりきった夢である。両親との仲もそう悪くはなく、彼の住む中央線が誇る最強サブカルタウン・高円寺のアパートにはよく沢山の野菜が段ボールに詰められて送られてきていたし、無理して買ったYAMAHAのドラッグスターのローンもいつの間にか一括返済してもらっていた。小中高校は地元の公立へ行ったらしい。大学では文学を専攻して、寺山修司で2万51字の卒業論文を書いていた。先に言ったように、もやしのような体型で、顔は普通。セックスも淡白に、週に1回・20分。浮気なんて以ての外──
旅立つと決めた日、中華料理屋から出た後、斜め向かいの居酒屋に吸い込まれた我々は、珍しくべろべろに酔っ払った。せっかく口内をやけどしながら食べ切った天津飯を排水溝に全て吐き出しながら、彼は私に謝った。ごめん、いいよを繰り返しすぎて、私は途方に暮れてしまった。足元で丸くなって吐き続けている彼を穴が空くほど見つめても、少しもドラゴンクエストの主人公とは重ならなかった。
旅立つ日、特設舞台に立った彼は記者に向かって「大丈夫です、大丈夫です」と震えた声で二度と呟き、喉仏を上下させて、「待っててください」と私の名前を呼んだ。観衆が沸き立つ。なんだそれは、未成年の主張じゃないんだぞ、と思いながら、私は小さい声でマル!と呟いて、観衆に紛れて手を振った。その時の周囲の話しぶりで、誰も彼が帰ってくると信じちゃいないと、初めて知った。
彼の人生はそれから180度色を変えたらしい。当然といえば当然ではあるが、私の生活は驚くほど変わらなかった。変わらなかったというか、変えられなかった。人はそう簡単に変われるものじゃない。当然である。
彼が喉をからからにして敵と戦う間、私は高円寺の雑貨屋で週2のアルバイトをしていたし、彼が開ければ砂利の出てくる口で嗚咽を漏らしながら包帯を巻いている間、私はクーラーのよく効いたカフェでお茶を飲んでいた。やがて、彼には同僚の女性と男性2人が出来たらしく、彼と同じように手を振られながら旅立っていく様子がニュース番組に取り沙汰された。その間に何度か、テレビや雑誌の記者が彼の話を聞きに来たが、私の生活のつまらなさに、大した記事は書かれなかった。
勇者の帰還の報道を聞く数日前に、彼の両親から電話が来た。「はい」と言って受話器を取ると、彼の母は嬉しそうに「セイちゃんが帰って来るの、知ってる?多分、貴女に来てもらいたいと思ってるから、ぜひ行ってあげてちょうだい!」と言って、返事もロクに聞かずに電話を切った。その日は私の昇進がかかった試験の日だった。初めはフリーターをしていた私も、5年間の間に就職先を決め、昇進がかかるまでになっていたのだ。私は迷いながらも「セイちゃん」の方に行くことにした。なるほど、敵を倒した「セイちゃん」に比べたら、1年くらい私の昇進が伸びるのはなんてことないのかもしれない。Tシャツにジーパンを履くと、カーディガンを羽織って、指定された場所に向かった。
「……ただいま!」
なるほど冴木は、その場所にいた。思いのほか傷だらけで、まさに満身創痍という出で立ちに、何も言えずにいると、冴木の背後から元気そうな女の子(報道では"戦士"らしい)が「セイの彼女、やっと会えた!」と顔を出した。
戦いはこんなに人を変えてしまうのか──私は彼の鍛えられた体と、仲間達と笑い会う姿に目を見張る。
「おかえりなさい」
何とか絞り出すと、冴木はニカッと笑った。それを待っていたかのように、シャッターの音が大きくなる。
「待っててくれた?」
「まあ……うん」
私が応えると、何故か背後の女の子の方が顔を顰めた気がした。当たり前だ、5年経っているのだから、待っているのが当然という顔をされても困るのである。
「きみに会いたくて、頑張れたんだ!」
さあ、こっちに!とでも言わんばかりに、冴木は私を、舞台に上げようとする。やめてくれ。5年間の間に、この世はなんでもかんでもインターネットに載るようになってしまっているのに。もう5分もすれば、私をジャッジする何十万、何百万の目が私に向けられる。いや、もう見られているのかもしれない。
そろそろと手を伸ばすと、冴木はにっこりと笑う。なんだ、その邪心のない、真っ直ぐな目は。どうしたんだ、中目黒の家庭料理屋は。『勇者』なんて安定しない仕事で、これからどうやって暮らしていくつもりなんだ。そもそも、待つのは2年でいいって言ったじゃないか。こんな風に観衆に、インターネット晒された私の人生は、これからどうすればいいんだ。
「"尊い犠牲"が五体満足で帰ってきた、これからの日本は希望の光がある!!私は、素直にそう思います!」
興奮したレポーターが、そう叫んでいる。それに、冴木が「"尊い犠牲"なんていなかった!それでいいじゃないですか!」と調子良く答えているのが聞こえる。
私は排水溝の網に引っかかっていた冴木の、天津飯色のゲロを思い出していた。
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