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「表現とこころ賞」結果発表


11月13日~12月12日まで募集した、
私設コンテスト「表現とこころ賞」。
結果発表ぉ~~~~~~~~~!!!(ダウンタウン浜ちゃん風)

まずは、参加して下さった方々、シェアやサポートを頂いた方々、
twitterやnoteで応援の言葉を下さった方々、
とにかく皆様に心より感謝を申し上げます。
有難うございました。


これまでに53作品が投稿されました。
多種多様な色を持った作品が集まりました。
以下のマガジンにまとめています。


こういった他者を巻き込むような試みは、
当然ながら自分一人の力では出来ない、成り立たなかったもので、
noteを使ってこんなことができるんだという驚きや楽しさと、
当たり前ではないその状況をしみじみと感じていました。
また別のnoteで、この体験を振り返りたいと思っています。


では、各賞の発表と、選考コメントです。

…と、ここで開催の記事を確認してみます。

選考するのは、ただの一般ユーザーの私1人です。
最終的には主観(個人的にスキ!/気づきを得た!etc.)が確実に入ることはご了承ください。
むしろ主観は大切にしたいです。
私が好きな作品にクリスマスプレゼント(賞)を贈らせてもらうということです。

あれこれ言いません。
【私】が悩んで選んだ作品3つはこちらです。

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シロフクロウ賞

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作品名:『光は影と共にあり、闇は光をもたらす』
作者:千鶴さん

とにかく言葉の流れ方も写真も美しい作品で、何度も読む内に、
このnoteの中に留まっていたくなる心地よさが生まれてきました。

私はカメラや写真に疎いのですが、カメラの語源がCamera Obuscuraというラテン語だということを初めて知りました。
調べてみると、ラテン語で「暗い部屋」という意味があるそうです。
本作には“絶望”という強い言葉も登場しますが、絶望あるいは闇があるからこそ光(希望)に気づくという、重たくも未来へ方向づけられたメッセージが込められているように思います。
それは心の中に「暗い部屋」があっても、いやむしろ、
暗い部屋があるからこそ世界に潜む美が投影されるということとも言えるのかもしれません。

今この瞬間にもこの世には、心の中に作られてしまった複数の暗い部屋に、
光の射し込む穴が開くのをじっと待っている人たちが大勢いる。

光を意識することで初めて、
確かに生み出される自分だけの世界と価値。
主観の中に存在する、確固たる論理。
このnoteの“イメージ”はしっかりと私の心に投影され、
そして焼き付きました。

“つまるところ、「表現」とは何か。”(本文より)
最後には、私には無い言葉で表現とは何かを力強く教えて下さった本作を、賞の一つに選ばせて頂きました。

メンフクロウ賞

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作品名:『うそを書くということ』
作者:前白犀さん

私はこの作品がスキです。
タイトルから興味深くて、次へ次へと読んでしまいました。

“書く理由はもうないはずだった。”(本文より)
私自身、書く理由を意識しないときもあれば、意識する時もあります。
自己表現することの理由は時と場合によって変わるようです。

本作品は「うそを書く」というテーマを軸に、
著者の書く理由や姿勢の変遷について心の声が語られています。

近頃よく、事実には二つあるのだと考えます。
いわば、外的な事実と内的な事実です。
後者は他者からは見えにくいけれど、
確かに私の中で起こっていること。想像していること。

きっと人間は日々、無意識的に“嘘”をついているのかもしれません。
でもきっとそれはいつも逃げというわけではなく、“優しい嘘”だったり“必要な嘘”と呼ばれるものもあるのだろうと思います。
裏も表も含めてこころであり、ときに表現の中に現実と虚構を混ぜながら、
自分にとっての心的事実を目指し、描いて、また目指す。
フィクションの中にこそ自分のリアリティを出す、
あるいは勝手に出てくるということもあるように思います。

なんとなく“この話にはまだ続きがある”ように感じられたこと、
そしてその続きや著者の他のnoteを“読んでみたい”という私の心の動きが強かったため、賞の一つに選ばせて頂きました。

モリフクロウ賞

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作品名:『わたしはわたしをこわしたい』
作者:マリナ油森さん

この文章、個人的にガツンと来ました。

私は、自分の中に色んな人格が住んでいるようで、どれが本当の自分なのかということに戸惑っていた時期がありました。ずっとアイデンティティに悩んでいました。違和感の無い単一の「私」がずっと欲しかった。
でも最近、私の中には“僕“もいれば“俺”もいます。
自分の中の、異なった人格たちは全て、自分の可能性だと思っています。
私もまた、表現の中で、“忘れていた自分”や“生きられなかった自分”を取り戻したようです。
紛れもなくそれは、noteに来て最も良かったことの一つと言えます。

破壊の先にある再生。
今回このようなコンテストを開いたことも有る意味、
今までの“考えているだけで行動しなかった私”を壊したかったのかもしれません。そのような時期においてこのnoteを読んだからこそ、私にはガツンと来たのだと思います。

こわすのって、誰にとっても簡単なことではないと思います。
“変わりたい”と“このままがいい”は割とよくぶつかる。
でもマリナさんのように、はつらつと何事にも楽しみを見出せる方が、表現や自己の変革を「楽しい」「最高だ」と言ってくれることは、きっと私や誰かにとっての勇気・モチベーションへと繋がるのではと思います。

表現の楽しさを教えて下さったことへの感謝を込め、
賞の一つに選ばせて頂きました。

◇◇

賞金について

3名の方、おめでとうございます!!
12月25日にサポートを贈らせていただきます。

賞金は、「5000円」としていましたが、
サポート手数料分を追加してお支払いすることにしました。
5000円×3は、「#こんな社会だったらいいな」での受賞金から来ています。
手数料分も、ぜんぶ私の負担というわけではなく、
この企画に対して頂いたサポートと、私自身が過去に受け取ったサポートの一部から賄うことが可能です。

(サポート下さった方々へ。
そのような形で使用させて頂いたことをここでご報告させて頂きます。
改めて、有難うございました!!)

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ピックアップ10選という記事も作成しました。
よろしければ御覧ください。

1ヶ月間、皆様のおかげで本当にnote生活が充実していました。

なんだか、開催の記事を投稿したのが遠い昔のようです。
それほど濃密な1ヶ月を過ごしました。
開催の記事で私は、「選ぶ側に立つということは割と勇気や覚悟が要ることですが、挑戦してみます。」と書き記しましたが、
実際、とても不安な1ヶ月でもありました。
自分なんかが選ぶなんて…と。これは私の元来の性格の一部です。


「選ぶ」あるいは「選ばない」ということの大変さを知りました。

なぜ自分の作品じゃないんだ、なぜあの作品じゃないんだ、という意見もあって自然だと思います。“選択”に必ずついて回る宿命かもしれません。でも、過度に憶測したり忖度することで自分のスキを曲げることはしたくなかったです。

今は、選ばれなかった作品たちへの1の「ごめんなさい」なんかより、99の「ありがとう」を伝えたいです。そもそも私は読み手としての実績があるわけでもなく、「ごめんなさい」と言うのは違和感があります。
全ての作品を、片手間ではなく、時間をつくって直面するように読ませていただきました。その空間には書き手の貴方と読み手の私だけ。
その相互作用そのものが刺激的で、
私はこの令和という時代の初めての冬を、
「他者の表現を読むということについて考えさせられまくった冬」として、
ずっと忘れない、忘れられないだろうと想っています。
投稿作品一つ一つがくれた、
誰に奪われることもない体験です。
重ね重ね、感謝します。

また、中には、「企画の趣旨と違ってるかも」「自分の投稿によって暗い色を落としてしまったのでは」といった不安もあったことを教えて下さった方々がいます。
安心して下さい。なんたって募集テーマは、
「表現やこころと聞いて、あなたが表現するものは?」
だったのです。
普遍化できる正解があるわけでもなく、
ある意味、無茶ぶりです。

「書いてみたら意外と難しいテーマだった」というような感想も頂きました。
私も難しいと思います。
自由度の高いテーマの中では、
自分で表現の枠を造る力も試されるのではないかと思います。

でも、自由な枠の中でこそ発揮されるクリエイティビティや自分らしさということもあるのではないかと想いながら私はnoteを楽しんでいます。
これからも、私は「表現」や「こころ」といった曖昧で多義的なテーマを考えていきたいです。学んでいきたいです。好きだから。

◇◇◇

開催者としてうまくできたかは、自分ではよく分かりません。
フィードバックをするのも、慣れないことばかりで、頭を悩ませながら、でも自分なりにやらせて頂きました。

自分だけで気づけないことがたくさんあります。今後に活かしたいので、
このコンテストに関してのご感想、気づいたこと、改善点などあれば、ぜひnoteやTwitter、もしくは匿名でも構わないので質問箱へ教えて下さい。


というわけで!結果発表でした。
良いクリスマスをお過ごし下さい!


令和元年12月20日 ..梟.._

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梟
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