ことばを集めて新聞記者になった話(8)
迷うことはなかったが、10年近く勤めた会社を辞めるということは、そのこと自体がものすごい恐怖だった。
同僚と職場、ひいては会社に貢献していることで、自分のアイデンティティの一面はずっと保たれてきたのだ。誰もが忙しく立ち回っているこの職場から退くことは、明確に会社の利益とは反する行為にほかならない。
ただ、心理的に高いハードルを感じて悩んでいたものの、結局解決してくれたのは現実だった。内定が出て、条件を踏まえて妻と相談し、僕は受諾した。あとは会社に辞めると告げるしか道はないのだ。良心の問題とは、ひとたびレールが敷かれてしまえば、かくも簡単に突破できるものかと、われながら浅ましい感じさえした。
僕が退職を願い出たのは、退職予定日の数ヶ月前だった。すぐに周知の事実となったが、僕は普通に働き続けた。仕事自体は好きだったからだ。
嫌な顔をされることも覚悟していたが、そんなことは一切なかった。考えてみれば、僕はこの職場で誰かが個人的に嫌になったわけではない。僕の能力ーー体力や図太さも含めてーーが足りなかっただけだった。僕はできる限りの礼を尽くしたいと思って働いたし、職場の誰もが僕に優しかった。
辞めることが決まってから、僕は、自分が「会社」という組織を恐れすぎていたのではないかと思うようになった。転職という道を選んだことに後悔はなかったが、なんだか虚しかった。特に悪い人はいないのに、なぜ「組織」になると、こうもギクシャクしてしまうのだろう。
退職の手続きについて人事部から説明を受けた。いくつかの書類にサインをして、正式に僕との退職が決まった。
まるで血が繋がっているかのように重く感じられていた僕と会社とのつながりは、つきつめると、雇用契約というひとつづりの紙の上に成り立っている楼閣だった。「想像の共同体」という、学生時代に学んだ概念を思い出した。
僕はそれまで、会社と自分が対等であるなどと、ゆめにも思わなかった。会社は僕のキャリアを掌握し、生活やたたずまいをすみずみまで規定していた。しかし今となっては、新聞社という会社が僕の人生に関わることはなくなるのだ。
手元に残ったのは、「取材をして、記事を書く」という経験と能力だけだった。それは会社からのプレゼントのようだった。
僕はこれを一生大切にして、新聞記者とは別のかたちで、世の中に貢献し続けようと心に誓った。
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