第3回 「睡眠は明日の自分を信じていないとできないから難しい」
最近どうも寝つきが悪い。目的地の入り口がわからずにその周辺をぐるぐると周っている感覚。そもそも、睡眠というのは明日の自分を信じていないとできないから難しい。まだ会ったことも話したこともない人に「明日」という貴重な一日を任せるのが不安なのである。今日の自分が良すぎると「今日の自分を手放したくない」と思い、今日の自分が終わっていると「明日の自分も終わっているのでは」と思う。少しでもいいから「明日の自分」の面接をできる時間があればいいのに、と思う。それによって余計に眠れなくなることもあると思うが。
そんな寝つきの悪い僕を見かねて友人がGABA(ギャバ)というものを薦めてくれた。GABAという成分が外的ストレスから精神を守り安眠をもたらしてくれるらしい。しかし僕はあまり聞く耳を持たなかった。安眠をもたらす成分の名前に「ギャ」も「バ」も入るわけがないと思ったからだ。北斗の拳の敵が死ぬときに発するような成分で本当に眠れるのだろうかと、僕はいまだに信じきれずにいる。
そういった精神面の睡眠障害に加え、普通に睡眠時無呼吸症候群の疑いもあった僕は(普通にあるのかよ)、それを詳しく調べるためにアプリを使ってみた。睡眠時に何回無呼吸になっているかがわかるアプリで、その結果ほんの数回だが無呼吸に近い状態になっていたことがわかったのだが「この音源で椅子取りゲームをしたら盛り上がるだろうな」と考えてしまった自分がテレビの王様みたいで、症状云々よりもそっちにひどく嫌になった。
先日の夜、仕事で地方に行った帰りの新幹線で仮眠をとろうとアイマスクをしながらこんなことを考えていた。アイマスクというのは強制的に目の前を真っ暗にする、人工的な夜である。そして電灯というのは人工的な昼だ。本物の夜の中で人工的な昼を作り、さらにその中で人工的な夜を作っている。夜と昼が交互に層になって瞼の下に潜り込んでくる。なんて壮大なミルフィーユなのだろうかと思うと同時に、なんて無意味なミルフィーユなのだろうとも思った。ただ寝るだけのために個人の夜を持ち歩かなければいけない時代なのだ。外へ出れば本物の夜があるのに。
アイマスクだけではなく、サングラスも人工的な夜だ。僕は、サングラスは「元気すぎる人が少し心を落ち着かせるため」に使うものだと思っている(視界が暗いと心が沈むので)。あまりにも強い敵がその膨大な力を抑え込むために手首や足首につけている重りのようなもので、陽キャが陰キャに対するハンデとしてサングラスをつけてくれているのでは?と思うくらい自分にサングラスというものが合わなかった。ラッパーが夜にサングラスをしてステージ上を飛び跳ねているのとかを見ると、夜二枚重ねであんなに元気だなんて本当にすごいなと、そのラッパーが表現したいこととはおそらくズレているであろうところで感銘を受けてしまうのだ。僕のような人間のために「持ち歩ける昼」もぜひ開発してほしい。
結局のところ「明日の自分を信じていない」ということは「今の自分を信じていない」と同じことなのかもしれない。夜の渋谷でサングラスをしているオシャレな若者たちは完全に今の自分を信じることに成功しているように見える。冒頭で「今日の自分が良すぎると今日の自分を手放したくないと思う」と書いたが、それも今の自分を信じていないから言える言葉だろう。明日の自分どころか今の自分のことも「ギャ」も「バ」のことも信じることができなかった僕が、ぬくぬくと安眠させてくださいなど、そんなうまい話は無いのかもしれない。まずは「ギャ」を信じることから始めていこうと思う(ギャバとかギャラクシーとか)。
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