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第8回 服と沼

[編集部からの連載ご案内]
『うろん紀行』でも知られるわかしょ文庫さんによる、不気味さや歪みや奇妙なものの先に見える「美しきもの」へと迫る随筆。今回は、なんとなく漢字が似てるだけじゃない、「服と沼」の話。(月1回更新予定)


服がなかなか捨てられない。二千円でおつりが来るカットソーを、襟元が伸びてびろびろになってもまだ着られる気がして、結局八年着た。もとを取っているどころか、ユニクロから感謝状をもらってもいい気がする。擦り切れて毛玉だらけになっても、「まだ着られるか?」と思ってしまい、致命的にばらばらになって身に着けられなくならないと捨てる決心がつかない。
 
くたびれた服を着ているとなめられることがあり、なめられるとめっちゃむかつく。だからといってまだ着られると思うと捨てられない。罪悪感もあるし環境保護の観点から見てもよくないだろう。そこでわたしが取った対策は以下の三つだ。
 
①それなりのお値段の服を買う
②自分で作る
③親族から服をもらう
 
①については言うまでもない。例外はあるが、安い服よりは安くない服のほうが長持ちする。②については、わたしは編み物をするのだが、最初から長持ちする毛糸を選べばいいし、糸を残しておけば修繕もできる。③の親族の服は、日本が豊かだった頃のものが主だから作りがよくて丈夫だし、「ヴィンテージ」と言い張ることができなくもない。
 
親族で最もお洒落なのは叔母で、かつて叔母はヨウジヤマモトしか着なかった。叔母は美意識が高いのでもうヨウジヤマモトを着ない。だから一着、Y’sの黒のジャンパースカートをわたしにくれた。わたしが着ると魚屋のエプロンみたいになるが、それでも海鮮丼を食べに行くとか大事な予定のある日に着る。
 
祖母が六十年以上前に手縫いで仕立てた、目の覚めるような青色のワンピースもある。これこそまさに「ヴィンテージ」と言っていいだろう。まったく退色しておらず、襟にウサギの毛皮が縫いつけてある。ニューヨーク近代美術館に着て行ったら職員に褒められ、拙い英語で祖母が作ったのだと自慢した。
 
ここのところ実家に帰るたびに、母親が若かった頃の服をもらうのが慣例になっている。なかでも刺繍のはいったブルゾンが気に入っている。三十年以上前のものでそこまで高価でもないのに、リブが伸びてもいないしくたびれてもいない。リバーシブルなのも感心する。刺繍はよく見ると「PROPORTIONED FIT FOR EXTRA CONFORT」とか「THE FAVORITES COME THROUGH」とか書いてあるので恥ずかしい。「こいつはいまエクストラコンフォートなのか」や「これがフェイバリッツなんだな」などと思われるのは癪なので、「読むな!」と強く念じながら着ている。
 
このブルゾンを羽織って、喫煙所から戻ってくる知人を待っていたら、函館にいた頃の父親を思い出した。「あ、パパだ」と思った。煙草の銘柄が同じだったからか、あるいは知人が北国出身だからかもしれない。外が寒くて乾燥していたせいもあっただろう。わたしはみるまに幼児になり、函館にあった複合型スーパー、長崎屋にいるようだった。父親はねずみ色とも紺色とも呼べない色の、肌に吸いつくような素材でできた着膨れのするジャンパーを着て、決して追いつくことのできない早足でわたしを駐車場へと促す。長崎屋にはゲームセンターがあり、有名な猫の少女のキャラクターが、飽きもせず甲高くて媚びるような声で歌っていた。ハローキティ、こんにちは。できたてのおいしいポップコーンはいかが?
 
 
幼い頃、わたしは父親のようになりたかったし、なれると信じていた。父親は家族の誰よりも頭がよくて偉いということになっていて、父親が母親のことを軽んじ、母親が笑って受け流すたびに、わたしは父親のようになるべきなのだということを学んだ。馬鹿げた少女らしいものを拒絶すればいずれわたしは賢くなり、父親のように頑健な肉体を手に入れることができる。クリスマスにサンタクロースからプレゼントされたミッキーのワッペンのついたコートを着て、わたしはいつもその法則に思いを巡らせていた。ミニーは主体性が無いから嫌いだ。
 
結果としていまのわたしの身体に男らしさは全くない。全身には筋肉ではなく脂肪がつき、日本中の駅前にある裸婦像みたいになった。願い叶わず大人の女になってしまったいまのわたしは、父親の頭がさほどよいわけではなかったことを知っている。
 
わたしと父親の性格はよく似ていると思うが、父親はわたしの内面に沼のようなものを見出して気味悪がっていた。そうすればいずれ無くなるとでもいうように、沼をどうにか無視しようとしていた。思うに娘には、すすんで馬鹿にされる愛嬌や健気なかわいらしさこそを身につけてほしかったのだろう。一方わたしは、沼こそが賢さの証なのだと勘違いしていた。なぜならば父親もまた沼を持っていたからである。父親は昼間、憎悪や失望を自分の内側に溜め込んでいるようだった。そうでなければ毎晩、前後不覚になるまで酒を飲んだ理由がない。顔を赤くして酔っ払い、沼から取り出したきらめくような悪意を見せつけて家族を傷つけるさまは鮮やかで、その手管は美しかった。夜が更けるほどに沼をコントロールできなくなるらしく、頻繁に悪夢を見てはうなされ、歯軋りをして叫んでいた。
 
わたしの沼は冷たく濁り、いまもこころの中にある。だが、いまだに沼というもの自体が無いことになっている。本当は父親と一緒にお互いの沼の周りを散策したり、埋まっているものを掘り出して観察したり、レポートにまとめて比べたりしてみたい。でも沼の存在を認めたくないひとにお願いするのは酷だから、ひとりで自分の沼でおっかなびっくり遊び続けている。
 
実家には不要になった父親の服もたくさんある。そのなかに、50年代アメリカ風のキッチンの広告が散りばめられてプリントされたシャツがあった。髪をカールさせてアップスタイルにまとめた細腰の若妻が、モダンなデザインのシンクの前でフライパンを振って笑いかけている。羽織ってみたがサイズが大きすぎて、尻まですっぽり隠れた。父親の服でわたしが着られそうな服は無かった。
 
いっそ父親の死後、全身の皮膚を剥いでなめして身に着ければ、わたしは父親そっくりになれるだろう。中身も外見も合致すれば、わたしは父親の沼とわたしの沼、それぞれを自在に行き来できるようになるのだろうか。父親の沼から何かをつまんで拾いあげる、みたいなことができるようになるのだろうか。法律とかいろんな制約があるだろうし、なめす方法もわからないからやらないけど。代わりに思い浮かぶ実現可能な案は、父親と同じ銘柄の煙草に火をつけ煙を身にまとうことだが、わたしはこれもやらない。自分が依存しやすい性格だということがわかっているのでニコチンが怖い。
 
沼を持たないひとなんていないのかもしれない。男も女も幸せそうに見えるひとはみんな、沼を無視するのがうまいだけなのかもしれない。この文章が物語なら、ここで何らかの終着点が示され、わたしは沼を埋めるか捨てるか受け入れるかして終わるはずだ。しかしわたしは、沼をどうすればいいかも、どうしたいかもわからない。服の話はどこへ行ってしまったのか?書いてみたら何か道筋のようなものが見えてくるかと思ったが、そこにはただ沼があるだけだった。テキサスで朝焼けに照らされながらチェーンソーでもぶん回せば、わたしにもわかる日がくるだろうか。


わかしょ文庫
作家。1991年北海道生まれ。著書に『うろん紀行』(代わりに読む人)がある。『試行錯誤1 別冊代わりに読む人』に「大相撲観戦記」、『代わりに読む人1 創刊号』(代わりに読む人)に「よみがえらせる和歌の響き 実朝試論」、『文學界 2023年9月号』(文藝春秋)に「二つのあとがき」をそれぞれ寄稿。Twitter: @wakasho_bunko

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