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【全文公開】『沖縄島建築』より「夢と希望と笑いの映画館/首里劇場」
6月6日。
琉球新報電子版の記事で、「首里劇場」の3代目館長・金城政則(きんじょう・まさのり)さんが逝去されたことを知った。そして、館長が居なくなった首里劇場は、閉館した。
「首里劇場」は、2019年刊行『沖縄島建築 建物と暮らしの記録と記憶』で取材した、現存する沖縄最古の映画館だった。
戦後、首里が那覇市に合併される前、首里に娯楽施設がなかった時代に生まれた首里劇場は、沖縄芝居や映画、近隣の人々の憩いの場として賑わった。
それから数十年が経ち、テレビの普及とともに減退した映画産業は首里劇場にも影響を与え、かつての西部劇や時代劇、伝統芝居に代わって成人映画を上映する専門映画館になった。
成人映画の美しさ、ストーリーの奥深さ、その魅力について金城さんは真っ直ぐに語ってくれた。
そして、金城さんは取材の終わりに “夢” を語った。
「特別な機材も、建物をきれいに整備する必要もない。ただ、いつか、またここで昔上映していたような西部劇や時代劇を流したい」
そう言ってガハハと笑っていた金城さん。
数年後、「首里劇場が成人映画をやめる」という一文が、SNSの下から上へと流れていく記事の中で目に留まった。
記事によると、今後は名作映画などの上映を企画しているらしい。
“金城さん、夢を叶えたんや……。”
正直、建物はかなり老朽化し、必ずしも「誰でも気軽に入れる」ような雰囲気とはほど遠い首里劇場で、名作映画を流して人を集めることはむずかしいのではないか、あのときそんな風に思ったことは嘘ではない。
そんな考えで金城さんの夢を聞いていた自分を恥じた。
きっと金城さんには、自分の好きなスティーブ・マックイーンや森繁久彌の映画を流して、そこに人が集う光景が見えていたのだろう。
とても、とても、かっこいいと思った。
首里劇場が首里劇場であるために、「劇場」という場を貫くために、かつて成人映画館という選択をした。その選択はそれ以上でも以下でもなく、金城さんにとって生活の一部であった映画を、 “続ける” ことが何より大事だったのかもしれない。
映画を、映画館を愛する金城さんが娯楽に捧げた人生に、不器用なほど真っ直ぐで端然とした生き様に、心からかっこいいと思った。
首里劇場という映画館で、お客さんに夢と希望と笑いを与えてくれた館長がいたことを、皆さまにも知っていただきたいので、この記事を書きました。
『沖縄島建築』に収録されている「首里劇場」の取材記事(2019年当時)を全文公開いたします。
私も、金城館長の好きな映画を、首里劇場の大スクリーンで観てみたかった。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
♢
ここは映画館。娯楽の場所。
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「皆さま、本日はご来場いただき、誠にありがとうございます」
首里劇場の3代目館長を務める金城政則(きんじょう・まさのり)さんは、そう言いながら舞台の上で客席に向かって両手を広げると、片手を胸のあたりに添えながら映画のワンシーンのようなお辞儀をしてみせ、ニッと笑った。
戦後間もなく生まれたこの劇場は、かつて娯楽施設のなかった首里の街を賑わせた。沖縄芝居や時代劇芝居の公演から、邦画、洋画問わずたくさんの映画上映が行われ、一時期1000名を動員する2階建ての会場をいっぱいにした。
現在は1日に5、6名ほどが、成人映画を観に訪れる首里劇場。
「贅沢でしょう。ひとりでも来ないよりはいいと思って」と金城さんは言った。
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首里劇場は意外にも、閑静な住宅地のなかにその建物を構える。
「あとから家が建ったんだよね。ほれ、あの、最初は道路もなにもない時代だったし」
昭和25年、当時首里がまだ那覇市に合併される前の「首里市」だった頃、首里には娯楽施設がなかったことから、金城さんの叔父である金城田光(でんこう)さんによって創業。当初は露店劇場を行っていたが、映画人気を予見した叔父は、劇場の設立に着手。建設業を営んでいたため自ら建設にも携わり、建材は戦後の米軍の資材置き場から調達したと聞いた、と金城さんは言う。
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「首里城」を思わせる破風も、叔父のデザインによるものだ。
「最初は芝居と映画から始まってさ。でも叔父は建築の人だから商売はできなくて。で、うちの父親が支配人になってだんだんと盛り上げてよくなっていった。はじめはこの辺りの婦人会の催しとか、小中学校の学芸会のようなイベントもやってたって聞いたよ。体育館というものすらなかったし。自分も生まれる前の話だけどね」
首里劇場のスクリーン手前に舞台があるのは、芝居をやっていた名残だ。
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当時首里劇場で公演されていた芝居のひとつに「沖縄芝居」があった。明治中期以降に発展した沖縄の方言(ウチナーグチ)を用いた大衆演劇のことである。
まだ金城さんが高校生の頃、沖縄芝居を代表する喜劇女優・仲田幸子さんや、兄弟で全国を巡り沖縄芝居を広めた与座兄弟の公演を開催したこともあったという。
しかし、テレビが普及するにつれて映画は斜陽産業に。十数名いた従業員も減り、父親が2代目を引き継ぐ頃には、人も入らなくなっていた。
そこで成人映画を取り扱い始める。
「最後に上映した洋画は『地獄の黙示録』だったかな」と、当時を振り返る金城さん。成人映画については「いいものたくさんありますよ」とストーリー性の高さを話してくれた。映画は父親の頃のやり方を継いで、今でも3日に1回新しいものに切り替える。たまにイベントを開催し、映画監督や女優たちが舞台挨拶に来ることも。
「テレビとか娯楽のない時代に、当時は夢と希望と笑いを与えてたんだよねぇ。今はエロと笑いだけ」
がはははは、とひと笑い、次はこっちを見てくれよ、と2階の映写室へと案内してくれるのだった。
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金城さんが首里劇場で手伝い始めたのは、高校を中退した17、8歳の頃。主に映写機を担当し、劇場全体を見渡せる小さな映写室が金城さんの仕事場だった。
「カーボン式は大変だったよ。自分で明るさも調節しないといけないし、部屋は暑いし。ランプ式に変わるタイミングで辞めてく映画館もたくさんあったよ。あれも金がかかるんだ」
カーボン式とはフィルムに光を当て、その透過光をスクリーンに映し出す際に、カーボンという炭素棒を燃やして発生させた光で映写する方法のこと。それがキセノンランプという電球に移行し、さらに現在は映画館のほとんどがデジタルシネマに切り替わっている。首里劇場も今はデジタル設備を取り入れており、毎月配給会社から送られてくるDVDを上映。もう10年以上、金城さんはここをひとりで運営している。
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「大変だったなと思うのは父親が亡くなって、自分ひとりになったとき。フィルムの整理とか自分でやらなくちゃいけないし」
3代目として続けることを迷わなかったのかと尋ねると「やるって決めたでしょ。今まで自分もそれしかわからないんだし」、と一言。
それでも建物の劣化は劇場の経年に比例して、免れないことだ。これまでに大きな建て直しはなく、修繕を行ってはいるが築70年近い木造は少なからず心配な部分もある。一度文化財指定の話がきたときは、こりゃいいなと思ったと話す。
「こういうのも、ひとつは残してもいいんじゃないかなぁ。みんな使えるしね」と金城さん。
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ただ、ここをなにか別の形に変えて新たな事業にしたいという気持ちはないようだ。
話の流れで、ここなら別の使われ方もできるかもしれないですね、と口にすると、「いやぁ、だめだめだめ。ここは映画で。娯楽のまま」と少し驚いた表情で答えた。
「変にきれいにしなくてもいいと思ってる。危ないところさえ直してもらえれば。ここを変えても、お客さんはそんなに来ないと思うよ。自分がそれを見てきて、今割り切ってやってんだから。だからさ、ここは田舎の劇場であんまり一流の設備とか、そういうのはなくていいんだよ。ほら、好きな人もいるかもしれないよ? ここの〝古い、汚い、臭い〞が」
ふふふ、と小さく笑いながら金城さんは言った。
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好きな映画について問いかけると、「西部劇もよかったし、時代劇もよかったね、スティーブ・マックイーンの『大脱走』ね、あと、勝新太郎の『座頭市』。森繁久彌とかフランキー堺も面白いね、あと……」と、自分の好きな作品のタイトルが次から次へと口をついて出る。過去にここで上映したものなのだろう。
「昔のことを思えばたくさんあるんだけど、なかなかね。またそういう映画もやりたいと思ってるわけよ。もし文化財になったらさ」
あと、ダスティン・ホフマンの『卒業』もさ……と、映画館長の夢は止まらなかった。
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写真:岡本尚文/文:小宮萌(トゥーヴァージンズ)
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