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17 絶対と相対

[編集部からの連載ご案内]
白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定)


「絶対的」とは選択肢のなさのことであり、「相対的」とは選択肢が生じることなのだと思う。
つまり絶対とは、絶望的に迷いのない、結果悩みのないコンディションなのであり、比して相対的とは、選べるため迷いが生じて結果悩んでいる状態なのだろう。
 
絶対とは、地下牢の囚人の孤独。
相対とは、果てのない広場での、永遠のエネルギー持ち越しドミノ倒し、または、関節外しわんこそばメタ認知。
絶対の極みが鬱。相対の極みが躁。
生きるとは、相対であり続けること。
絶対的になるには、消えるしかないのだ。
 
その国は、絶対王政だった。
君主の名は、絶対王。
起きたとたん、絶対王は側近に言った。
「今朝は絶対目玉焼きにしてくれ」
「かしこまりました」
側近は、城の料理人を集めた。
そして、「絶対王の本日の朝食は、絶対目玉焼きだ」と告げた。
 
側近が王のもとに戻ると、料理人たちは話し合った。
「絶対目玉焼きって、なんだ?」
「絶対的な目玉焼きじゃない?」
「じゃあ逆に、相対的な目玉焼きって、なに?」
「うーん……」
「絶対目玉焼きは、寸分たがわぬ目玉焼きだよ」
「定義通りの目玉焼きさ」
「じゃあ逆の、相対的な目玉焼きって?」
「うーん……」
侃侃諤諤喧喧囂囂……。
 
料理人たちは、結論を出した。
絶対目玉焼きとは、生の目玉の丸焼き。
相対目玉焼きとは、目玉に見立てた卵焼き。
 
料理人たちは、船で海に出て鯛を千匹釣った。
そして、その目玉をくり抜き焼いて出した。
「正解じゃ」と絶対王。
二千個の目玉をコリコリと食べた。
 
その夜。絶対王に異変が起きた。
王は苦しみだし、悶えた。
二千の目玉が命を得、王の内臓を破り出たのだ。
 
翌朝。
絶対王には二千二個の目がついていた。
中の人は、千一人。
侃侃諤諤喧喧囂囂……。
人格は統一されず、全身がアメーバのようにうねり千切れそうになり、考えは絶対ひとつにまとまらない。
相対的になった人格同士は、戦争を始めた。
 
それからというもの、城の誰にも絶対王は見えなかった。
王がいるはずの場所には、ブラックホールのような磁場が、強い引力を発しつつあるのが感じられた。
 
しばらくして、逆パワースポットの内部の千一人は相殺し合い、絶対王は絶対的に、消えた。
 
その国は、それから共和国になった。
建国記念日には、国民は相対目玉焼きを食べて、祝う。

絵:九螺ささら

九螺ささら(くら・ささら)
神奈川県生まれ。独学で作り始めた短歌を新聞歌壇へ投稿し、2018年、短歌と散文で構成された初の著書『神様の住所』(朝日出版社)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著作は他に『きえもの』(新潮社)、歌集に『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房)、絵本に『ひみつのえんそく きんいろのさばく』『ひゃくえんだまどこへゆく?』『ジッタとゼンスケふたりたび』『クックククックレストラン』(いずれも福音館書店「こどものとも」)。九螺ささらのブログはこちら

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