第7回 「うんこ中の方すみません」
トイレという、建物の中で一番小さい部屋には、いたるところにまだ見つかっていない優しさが散りばめられていることに気づいてしまった。
先日、コンビニのトイレの洗面台の配管がぐるっと一周しているのを見て、ふとこれは一体何のためにあるのだろうか?と考えこんでしまった。少しのあいだ考えて、あれは水を楽しませようとするためのものだろうという決断に至った。富士急ハイランドのド・ドンパを想像させるあのカーブが、最後だけでも楽しんでもらいながら下水道へ送り出そうという、設計者から水への最大級の感謝とリスペクトだと感じさせる。
人間の食道も、食べ物や飲み物を楽しませるためにグルッと一周していても良いかもしれない。ラストでは小腸のうねりの連続が待ち構えているのでかなりスリリングなコースだと思うが、ただの垂直落下よりは楽しめるだろう。
トイレの優しさは、他にもある。洋式トイレに張られた水は、うんこを殺さないためのものだと思っている。うんこが直接トイレにビターンと落下してしまえば死んでしまうし、実際和式トイレで大をすると水が張っていないためうんこが落下した瞬間死んでしまい、臭いも洋式でしたときより倍ほど臭いという経験が誰にでもあるだろう。あれはうんこが死んだ臭いなのだ。うんこは食べ物の死骸の集まりだが、うんこ自体は生きている。メディアでたまにこういう話が出ると「食事中の方すみません」というセリフやテロップが入るが、食事中のときにうんこの話を聞きたくないのと同じくらい、うんこ中に食事の話も聞きたくないので、食べ物の話をする際にも「うんこ中の方すみません」と言ってほしい(無視して大丈夫です)。
たまに友達の家とかに遊びに行くと、張っている水が青いトイレに出くわす。あれはうんこに海(青い水)を見せることで、外の世界へと飛び出そうとする冒険心を煽ってうんこが自ら体から出てくる力を強めているのだ。腸の中で『進撃の巨人』の第1巻と同じようなやり取りが行われているに違いない。うんこに夢を与えている、これも優しさといえば優しさだろう。
しかし、こんなにも優しさで溢れている場所であるトイレに、近ごろ暗雲が立ち込めている。
最近のトイレは、うんこをすると自動ですぐに流れてしまうものが多い。僕は自分がしたうんこをまじまじと見たいタイプなのだ。それが、自分で自分の健康状態を知る唯一の方法だと思っている。日々の健康を維持するためにはうんことの対話が必要なのにもかかわらず、それなのに最近のトイレは、うんこを確認するや否やすぐに濁流に飲み込んでしまうのだ。うんこはアイドルか? 腸活や「病は腸から」だのなんだのともてはやされた結果、うんこが信仰され、手の届かないアイドルになってしまったのではないか。僕は自分と自分のうんこが強制的に引き離されるたびに、1人数秒しか話せないアイドルの握手会を思い出す。飯というCDを何枚も買って(食べて)、うんこに会いに行き、数秒で引き離される。茶色のペンライトでも振ってやろうか。チクショウ。自動水洗という名の剥がしさん(握手会で時間が来たらファンを帰す人)、ちょっと厳しすぎじゃないですか?
かくいう僕も昔から腸活には努めていて、腸に良さそうなものは積極的に取り入れるようにしているし、インターネットを通じてうんこのありがたみが日々増しているのを感じる。うんこがアイドルを超え、神になる日もそう遠くはないだろう。
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「主な活動に、お笑いの舞台でただステージを掃除し続ける、バンド「Nature Danger Gang」のライブで主に食事をし続ける、DJでは無音の音楽であるジョン・ケージの「4分33秒」を流し、かけ忘れていたことに気づく、アパレルではファスナーがないパーカーにファスナーの絵を描くなど、ナンセンスを極めたアイデアによって、定型化された表現の脱構築を図っている」(出版社の紹介サイトより)ぼく脳の全貌に、約1000点もの作品、960ページにわたるボリュームで大規模に迫る!
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