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10 台形とコンビーフ

[編集部からの連載ご案内]
白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定)


(上底+下底)×高さ÷2。
この台形の公式を習ったとき、脳内に浮かんだのはコンビーフだった。
台形とはわたしにとって、コンビーフ以外の何物でもなかった。

コンビーフ缶を開ける作業を、わたしは進んで買って出た。
鍵はいつも、コンビーフ缶の上底に貼りつけてあった。
わたしはそのテープを、待ち合わせ場所を知らせる恋人からの手紙を開くように、剥がす。
すると平べったい鍵は、たいていテープにくっついたまま宙に浮かぶ。
 
鍵を剥がすと、わたしは缶の下底近くのしっぽのような突起を探す。
突起は、金属なのに柔らかい。
指先で外側に反らすと、そこを鍵穴に挿入する。
そして外にカールさせてゆくと、間もなくカチッと金属が切れる音がする。
そこで切り込みは、プロローグから本線に入ったのだ。
 
赤いコンビーフが帯状に見え始める。
わたしは、ホリ、ホリと、金属を外にむいてゆく。
むけばむくほど、鍵は金属帯をコイルのように巻き取り太ってゆく。
第1コーナー、第2、第3コーナーを曲がり、もうこれ以上巻き取れないというところで、ちょうど最後の部分が切り取れる。
 
そして缶は、3つに分かれる。
上部分、帯部分、下部分。
寝入った赤ちゃんのピッタリな帽子をそっと取るように上部を外すと、肉の台地がお目見えする。
わたしは、お皿にコンビーフの頭を着けて逆立ちさせ、下の金属袴を脱がす。
すると、上底は下底になり、下底は上底になる。
 
(下底+上底)×高さ÷2。
 
そこで母が、そのコンビーフをほぐしてフライパンに入れ、キャベツと炒めはじめる。
甘く香ばしい匂いが立ち込めてくるなか、わたしは缶に描かれた牛と目を合わせ、牛語でマタネと言うのだった。
 
あの形のコンビーフ缶は、今はもうない。
子どものころ捨てられず、集めていたたくさんの平べったい鍵は、今もわたしの宝箱の中にある。
鍵たちはむきたくてむきたくて、実は密かに、コンビーフ缶の帯の端にそっくりなガードレールの端を引っかけようと、虎視眈々と狙っている。


絵:九螺ささら

九螺ささら(くら・ささら)
神奈川県生まれ。独学で作り始めた短歌を新聞歌壇へ投稿し、2018年、短歌と散文で構成された初の著書『神様の住所』(朝日出版社)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著作は他に『きえもの』(新潮社)、歌集に『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房)絵本に『ひみつのえんそく きんいろのさばく』『ひゃくえんだまどこへゆく?』(どちらも福音館書店「こどものとも」)。九螺ささらのブログはこちら

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