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第17回 「原作・脚本・監督」を同時にしてみて思ったこと

[編集部からの連載ご案内]
新春1月11日からスタートした真夜中ドラマ『それでも俺は、妻としたい』(テレビ大阪・BSテレ東にて毎週土曜深夜)。原作小説のあの笑いながら考えさせられる世界が立体化した面白さ!があります。今作は原作・脚本・監督の3つを担当されたという足立紳さんによる、脱線混じりの脚本(家)についての話です。(月1回更新予定)


長い間お休みをいただいておりました。申し訳ありません。また今月から元気に書かせていただきます。休んでいる間に何をしていたのかと言いますと、監督として初めてテレビドラマの演出をしていました。1月11日から放送しております『それでも俺は、妻としたい』という深夜ドラマになります。自分の実体験をもとに、自分の家で撮影するということにも挑戦しているドラマです。笑って泣ける作品になっていると思いますので、是非ご覧いただけたら嬉しいです。それにしてもこの「笑って泣ける」という謳い文句はもはや詐欺のようで本当はあまり使いたくないのですが、そうとしか言えない作品になっていると自信を持って言えますので、騙されたと思って見てください。もし騙されていたらまことに申し訳ありません。

さてこのドラマは原作・脚本・監督と僕が担ったわけですが、自分がその三つを同時に担うということはめったにありません。過去に一度だけ、『喜劇 愛妻物語』という映画で原作・脚本・監督を担当しましたが、実は今回の『それでも俺は、妻としたい』も『喜劇 愛妻物語』とまったく同じ夫婦を描いているので(原作の小説は別々)、そうしたほうがいいのではということでそうなりました。

昨今、原作ものを映像化する際にしばしば議論が巻き起こります。映像作品は原作通りか? ドラマ制作サイドは原作の精神を理解しているか? 尊重しているか?ということなどがその議論の中心かと思いますが、ときには議論を超えて誹謗中傷合戦にまで発展してしまうこともあります。脚色という仕事に関して自分がどう思っているのかは、以前にこの連載でも書かせていただきましたが、今回久しぶりに原作者の自分が脚本と監督を担って思ったのは、誤解を与えてしまいそうな言い方にはなりますが、文字と映像という違いがあるかぎり、原作通りには絶対にならないということでした。

まず大前提として、文字に書かれた人物というのは読者の頭の中にしか存在しないわけで、その人物を一人の俳優さんが演じることが決まった時点で、読者の誰かの読んだ原作通りにはならないし、原作者の僕ですら、俳優さんが演じてらっしゃる様子を見て初めて「ああ、俺が書いたのはこういう人間だったのか」と発見する始末です。実生活においても、自分にすごく身近な人物について遠くにいる人から「あの人、こういう人じゃん」と指摘されて腑に落ちるなんてことがありますが、それと似たような感覚かもしれません。ただ、それはとてもワクワクする感覚でありました。僕の原作を映像化したいなんていう人は僕以外に現れないと思いますが、もし第三者の方に映像化していただけたらどんなものになるのか、それはそれはハラハラドキドキすると思います。がっかりすることもあるでしょうし、へぇ!と感心することもあるでしょう。その振り幅を楽しめそうならば、「お任せします」と原作者の方は制作者に言えばいいと思いますし、どうしても原作通りにということであれば、それは映像と文字もしくは絵という違いがある以上、どのようにすればいいのか今の僕にはわかりません。

ただ、原作を尊重し、その精神に惚れて「どうしてもこの原作を映像化したい!」という熱意は大前提だと思います。「ヒットしてる原作だし、こういうキャストでやればそこそこ評判になりそうだから」という程度の認識しか持っていない映像制作者は少なからず存在していますし、「映像化すればさらに原作が売れる可能性もあるから、話が来たらうるさいこと言わずに映像化しときましょうよ」と思う原作サイドの方もきっといるでしょう。まずはこういう意識を変えなければならないのは当然として、原作通りには絶対にならないというのが僕の実感です。ただ、もう一度書きますが、これは原作の精神を尊重しないということではありません。

もうひとつ、脚本とは少し離れてしまいますが、演出についても少し書かせていただきます。今回のドラマ『それでも俺は、妻としたい』は「セックスレス」と「夫婦関係」がメインテーマではありますが、人間を描く以上、当然テーマ以外の悩みや苦しみ、喜びも登場人物は持ち合わせていなければなりません(そうなっていないドラマや映画もたくさんありますが)。今回はそのひとつとして、夫婦の小学4年生の子供を発達障がいという設定にしました。

昨今、発達障がいは頻繁にドラマのテーマになっている印象がありますが、主題的に描かれないドラマにはそういう設定の人物があまり出てこない印象があります。もしくは、出てきてもなにかギフテッド的なものを持っていることが多い印象もあります。例えば記憶力が尋常でなく良いとか、なにかひとつのことに抜きんでている、などです。『それでも俺は、妻としたい』では、そういうギフテッド的なものを持たない発達障がいの子供の苦楽と、その子供と生活する夫婦の苦楽を描いてみたいとも思っていました。ギフテッド的なものを持たない発達障がいの人物をドラマや映画で描きたいと個人的にはずっと思っていたのですが、どうすればうまく映像の中に存在させることができるのかずっとわからずにいました。というのは、発達障がいも「グレーゾーン」と言われる人たちがいるように、はっきりと目に見える障がいではない場合もあり、今回はそういう設定にしようと思っていたからです。その場合、当事者が小学生くらいだと、きっと本人が感じている生きづらさというのも、なんだかボヤけたものというか、焦点の定めにくいものであるような気がしますし、周囲にはその子の特性を頭では理解しながらもうまく付き合えないことに悩んでいる人もいると思います。ですがその特性と、本人とその周囲の苦楽というのは目に見えづらいものなので、その演出に今回は一番苦労するだろうし、下手すれば投げ出すだろうと思っておりました。

結局行きついた演出上の結論は、僕の目に見えていることを俳優さんに伝えてその動きをやってもらう、というシンプルなものです。『それでも俺は、妻としたい』は半ば僕の実体験をドラマにしていまして、発達障がいの息子役も僕の息子をモデルにしています。僕の息子は自閉スペクトラム症の診断を受けているのですが、読み書きに困難のある識字障がいの気もあるので、字を書くのが面倒くさくて投げやりである様子とか升目にうまく書けないとか、発達障がいの子供に多く見られる体幹が弱くてなんだか微妙にフニャフニャしている様とか、人の話を聞いていない感じといった、一緒に生活しながら僕に見えている息子の様子を丁寧に描くしかないと思い(「丁寧に」というのは大げさに演じてもらうということではなく、視聴者に伝わるか伝わらないかはひとまず置いておいて、リアルに近い動きのそれをやってもらうということです)、俳優さんに演じていただきました。

そしてそれは、監督した僕個人の中では結構うまくいったような手ごたえがありました。これは息子役を演じた嶋田鉄太くんという俳優さんと出会えたことがとても大きかったです。彼が今回の役をどこまで理解しているのかはわかりませんが、想像するに彼が台本を読んで得た感触と僕の拙い演出から無意識なのか意識的なのかはわかりませんが、なにかを感じとって演じているように見えました。彼が僕の悩みと演出の技術不足を大いに補ってくれたということです。これは開き直りに聞こえるかと思いますが、結局は自分の目に見えていることを丁寧に積み重ねるしかなかったのです。いや、もしかしたらもっと素晴らしい演出の仕方もあるのかもしれませんが、今の僕にはそれしかできなかったということです。

『それでも俺は、妻としたい』はセックスレスや夫婦関係がテーマのドラマではありますが、目に見えづらいグレーゾーンの発達障がいの子供と、その子供と生活する親の日常という部分にも視聴者の方々の目が向いてくれたらとても嬉しいです。目が向かなかった場合、それは僕の演出の腕のなさということです。


足立紳(あだち・しん)
1972年鳥取県生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、相米慎二監督に師事。2014年『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、菊島隆三賞など受賞。2016年、NHKドラマ『佐知とマユ』にて市川森一脚本賞受賞。同年『14の夜』で映画監督デビュー。2019年、原作・脚本・監督を手掛けた『喜劇 愛妻物語』で第32回東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。その他の脚本作品に『劇場版アンダードッグ 前編・後編』『拾われた男 LOST MAN FOUND』など多数。2023年後期のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。同年春公開の監督最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』でTAⅯA映画賞最優秀作品賞と高崎映画祭最優秀監督賞を受賞。著書に最新刊の『春よ来い、マジで来い』ほか、『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』『それでも俺は、妻としたい』『したいとか、したくないとかの話じゃない』など。現在「ゲットナビweb」で日記「後ろ向きで進む」連載中。
足立紳の個人事務所 TAMAKAN Twitter:@shin_adachi_

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