13 壺と花瓶
壺は、何も入れずにそのままでいて何の後ろめたさも感じなくて済む存在だ。
しかし、花瓶はそうはいかない。
外見がまったく同じでも、「壺」と名付けられればただそこにいられる、自由人。
しかし、「花瓶」と用途込みの命名をされたら、水、そして生花を入れねば生きられない。
水はなくともドライフラワーか造花のひとつでも入れねば、身が持たない。
壺も、もとは何かの入れ物だったはずだ。
だが、何かの入れ物としてはもっと便利で軽い物が登場し、壺はいまや置物と同義なのだ。
壺は、無職になって初めて、身の内の虚空に悟りを開き、在家出家した。
中身が空っぽである壺は、世俗の雑事に悩む人たちのシェアスペース、心の空き地、居場所のない人たちの隠れ家的居場所となったのだ。
だから、人は一見無為無用の壺を保護する。
まるで自分の真心を寒風から守るように。
一方の花瓶は、役割でこの世に参加している。
だったらそれを演じてください、と仕事を要求されてしまう。
花瓶本人も、ただそのままそこにいるのでは忽ち手持無沙汰になってしまう。
何か芸でも、とへそ踊りのひとつも始めそうになる。
そこで、ストップがかかる。
花瓶さん、下手な演技なんかしないで、ただ花瓶を全うしてくださいよ。花を入れてくださいよ。
そうだった、と花瓶は額にぴたっと手を当て、しまったという古いジェスチャーを大袈裟にする。
こんな過剰がさらに引かれるんだ、と花瓶は百も承知である。
しかし、花瓶の心の空虚がそうさせるのだ。
花瓶の欠落意識が焦燥となり、彼を惨めなほど饒舌にするのだ。
やがて花瓶は、水を注がれ、花を挿される。
重心が下がった花瓶は、腹に力が入ってほっとする。
これで、慌てなくていい。これで、ここにいられる。
花瓶は、少し先にいる壺を見つめる。
あの人、よくあれで平気でいられるな。
まるで、舞台に無言のまま突っ立ってる役者みたいだ。
まるで、高座に上がったまま黙り込んでる落語家だ。
ああいうのを、本物の芸術家って言うんだよ。
花瓶はそう感嘆し、己を恥じる。
そして、自己嫌悪から逃避したくて、急に花にお世辞を言い始める。
それから、そんな自分の太鼓持ち気質を激しく罵る。
花瓶は再び壺を、今度は憧れの心持ちで見つめ直した。
いつか自分もあんな壺になってみたいものだ、と花瓶は空想した。
そんな日のために、花や水が出ていったその後に、無言で座禅の訓練をしてみるのだった。
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