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【全文公開#01】仕立て屋を支える服飾資材店「岡昌裏地ボタン店」
*全文公開の記事は『看板建築 昭和の商店と暮らし』2019年5月刊行当時のものです。
岡昌裏地ボタン店
■創業:明治30(1897)年
■竣工:昭和3(1928)年
■設計者:不詳
■外壁素材:銅板
■構造:木造2階建て
この街も、この店も大好きだ。
「商売は1にお天気、2に天気……とにかく天気が大事だよ」
取材日はあいにくの雨。「岡昌(おかしょう)裏地ボタン店」の店主・岡武夫さんは雲ひとつない晴れやかな笑顔でそう言った。
秋葉原駅から徒歩5分、柳原通りに面するこのお店は、紳士服の専門素材の材料店。スーツの裏地やボタン、絹糸などを扱い、一般販売もしているが、取引先の多くは仕立屋(テーラー)である。数は減ったが、今でも神田界隈は繊維企業や商店が多く見られる地域だ。少しこの地域の歴史に触れておく。
昭和初期の柳原通りの写真。似たような店舗が一列に並んでいたことがわかる。
さかのぼること江戸時代、神田川沿いを中心に古着屋が集まりはじめた。江戸時代の一般庶民は呉服屋で仕立てた和服を着ることはほとんどなく、古着をくたびれるまで着ることが文化であったため大きな需要があったのだ。その後、明治14年に新政府がこの店の前の柳原通り一帯を「官製古着市場」と名付け、古着の常設市場として確立。明治時代半ばにもなると、庶民も新品を手に入れやすくなり、柳原通り一帯は古着を含め既製服卸の問屋街へと発展していったのだ。
岡昌裏地ボタン店は明治30年創業。初代の祖父が埼玉から上京し、当時同業者がひしめき合ったであろうこの地で古着屋を始めた。だが、関東大震災でこの辺り一帯も大きな被害を受けてしまう。その後、東北より出稼ぎに来た大工たちによって似たような建築がいっせいに建てられ、看板建築通りとなった。
「こだわりなんてないよ。大工も設計図なしに勝手につくっちゃうし、きっと先代たちもそんな暇はなかったでしょう。とにかく早くつくって、早く商売がしたかったと思うよ」
活気に満ちた商売人の街が一瞬で消え去った跡地に建てられたのは、明日を生きるための切実な拠点であった。
太平洋戦争のときには食べ物がなく、古着を米と物々交換をして生き延びたという話を岡さんは父親から聞かされた。その後、戦後の洋服の急速な普及から羅紗屋(紳士服の生地屋)が増え、岡昌裏地ボタン店も裏生地やボタンを扱うようになった。終戦当時は物がないので置いておくだけでも売れたそうだ。
その後、1950年代半ば以降の高度経済成長期、1964年の東京オリンピックと国全体が右肩上がり。「1 個12万円の金ボタン」なんて商品も取り扱うほどだった。バブル時は土地も高値がついて、あちこちの不動産業者が店を訪れた。22坪の店に10億の値を出した業者もいたという。なんの騒ぎだったんだろうな、と岡さんは当時を振り返る。
「俺は売ってしまえばいいのにって思ってたんだ。でも父がこの店を残すと決めたから」
高度経済成長期の最中、父親は建物全体を持ち上げて古くなった土台を新しくした。
3世代にわたり家業が続いてきたことについて触れると、「生まれたときからここにいるし、これしかやることがなかった。でも3代目でパーだ。だいたいどの商売もそんなもんだよ」
そう言いながら、岡さんは楽しそうに店内の端から端へと歩きまわり、商品を次々と紹介してくれるのだった。
大好きなカメラ雑誌を読む岡さん。「商売でいやなことがあるとカメラを触るだけで気分がよくなる」
♢
ガラガラと店の戸が開き、一人の客がサンプル生地を持って入ってきた。「これ、ある?」と岡さんに尋ねると、ちらっと布を確認し、今は販売していないとあっさりと答えた。
「ここに来ればあると思った……」
客は一縷の望みが絶たれた表情で、そう言葉を漏らした。残念そうに帰っていく後ろ姿を見ながら「問屋がどんどんやめちゃうからね、あの柄も昔はあったんだよ。あれは有名な柄なんだ」と岡さん。こういうやりとりを、もう何度も繰り返しているのだろうか。
「昔はオーダーメイドが当たり前だったしね。就職して、初任給で洋服をつくることがステータス、一人前のしるしでもあった。お祝いの意味もあったね。それだけ背広に価値があった」
今は作業着になっちゃった、と話しながら岡さんは店の奥へ行くと「布を切るとこ、見てみるかい?」と言って、奥にずらりと並ぶ色鮮やかな裏地布を、次から次へと広げて見せてくれた。裏地布は山梨県富士吉田市で織っているが、今はオーダーメイド自体の需要がないため、職人もずいぶん減ったという。
次にやってきた二人組は仕立て屋とその顧客だった。
「これかっこいいよね。いい柄だ」。岡さんはサンプル布と同じ生地のロールを棚から迷わず選ぶと、スイスイとハサミでカットしていく。
「オーダー業界はこういうお店がないとやっていけない。岡昌さんは貴重ですよ。この辺の主でしょう」
仕立て屋の男性はそう言って、生地に合わせたボタンを顧客と選び、店を出ていった。
「うち品揃え多いからさ、みんなここに来ればなんかあると思って来てくれるんだよ」
だが先客のように、この店でさえ手に入らない布がある。その服は一生完成しないのだ。もうここにしかないものが消えてゆく一端を目の当たりにした。
オーダーメイドスーツの場合、裏地と袖の生地は別々。量販店はすべて同じ布でつくっていることが多い。
2020年の東京オリンピックを前に、秋葉原周辺の古い建物はどんどんビルやホテルに変貌している。例にもれずこの店にもビル建設の話が持ちかけられたが「いざとなるとやっぱり売れないんだよね」と岡さんは言う。
「明治30年からここで暮らしてきたからね。秋葉原が大好きでね」
それに、と言葉を続ける。
「店が好きなんだ。お客さんが来ても来なくても、一日中ここで待つ商売だ。ときどき飽きたと思うこともあるけど、商売は飽きちゃいけない。いつかたくさん買ってくれる人がいるかもしれない。金のボタンだって売れるかもしれない」
ま、あれは売れないけどと言って屈託のない笑顔でわははと笑った。
また晴れたら来てよ、と帰り際、岡さんに言われた。
たしかに、この店は晴れた空がとてもよく似合う。
写真:金子怜史
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本書の発売から1年半。
2020年11月24日、久しぶりに岡さんを訪ねてみた。
ーご無沙汰しています。お元気でしたか。
「いやぁ元気ですよ。健在です」
ー店の扉に貼ってあるシール、一昨日は「11月22日ボタンの日」だったのですね。
「そうそう。まぁ業界が勝手に決めただけだよね」
ー新型コロナウイルスの影響は何かありましたか。
「いやぁ大変ですよね。人通りがまったく変わりました。店の前のホテルも大変そうよ。この辺りは海外観光客も多かったでしょ。人足がぱたっと止んで静かになりましたね」
「これ見てよ! うちの建物が好きで絵を描いてくれた人がいるんだ」
岡さんが岡昌裏地ボタン店のイラストが描かれたコピー紙を見せてくれる。
ーすごい! いい絵ですね。建物好きの方も来られますか?
「たまにのぞきに来る方がいらっしゃいますよ。こないだはテレビ取材も来た」
ー後ろの棚に本がたくさん積まれていますね。
「読書も好きですよ。特にノンフィクションが好きでね。競馬も好き」
ーほんとだ。競馬のカレンダー。
「今、競馬も予約制なんだよ。ジャパンカップ行きたかったなぁ」
♢
持っていたNIKONのカメラを見て、「お、いいの持ってるじゃない」とカメラ話に花が咲く岡さん。
「カメラは触ってるだけでいいんだ。いやなことも忘れられる。わははは」と、終始絶えない笑い声にこちらもつられて笑顔になる。
店頭にあった1つ100円の古いボタンを購入して帰った。
写真:編集部
岡昌裏地ボタン店
〒101-0041 東京都千代田区神田須田町2 -15
☎03-3251-6440
営業時間 8 :00~20:00
定休日:日曜
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次回の投稿もお楽しみに!