第16回 筋書きのないドラマは書けるのか?
パリオリンピックや高校野球で盛り上がった8月も終わろうとしています。高校野球ファンの僕は、県予選の一回戦から47都道府県すべての試合をインターネットで観戦することのできる世の中になったおかげで、この時期は完全に仕事どころではありません。高校野球に関して僕は甲子園よりも県予選のほうを面白く見てしまいます。全国には三千何百の高校の野球部が高野連に加盟しているそうですが、おそらくその大部分は甲子園で優勝することよりも、甲子園出場を目標にしている学校かと思います。喉から手が出るほど行きたい甲子園をかけての死に物狂いの戦いには感動してしいますし、そんな戦いが続く予選では思いもよらぬドラマをはらんだ試合も起きます。今年の山梨大会準々決勝の日本航空高校対帝京第三高校の試合など、こんな脚本を書けと言われても水島新司先生でも書けないかもしれません。パリオリンピックの男子バスケット日本対フランスとか男子バレーボールの日本対イタリアの試合はもしかしたら書けるかもしれませんが、書くのに勇気がいります。なぜならあの二つの試合をフィクションで描くと、「やりすぎ」とか「ご都合主義」などと言われかねないからです。それほどまでに、まるで絵に描いたような劇的な展開でした。
スポーツはしばしば「筋書きのないドラマ」などと言われますが、本物の試合に比べると、やはりフィクションの試合は「筋書き」が見えてしまい感動の度合いが落ちてしまうものなのでしょうか。僕はいくつかのスポーツを題材にした映画の脚本を書きました。『百円の恋』と『アンダードッグ』はボクシング、『キャッチボール屋』と『モンゴル野球青春記』は野球、『MASK DE 41』はプロレスです。どの作品にも試合、あるいは正式な試合ではないけれど勝負の場面があります。そして、どの作品も当然と言えば当然ですが、その試合、あるいは勝負の場面が見せ場となります。したがって、そんな試合や勝負の場面のシナリオを書かなければならないのですが、これがとても難しいのです。
僕は映画やドラマの中でのスポーツの試合の場面をどんなふうに書くかと言いますと、その試合の実況アナウンサーになったつもりで書きます。これは幼い頃からテレビでスポーツを観戦していたことが多かったからか、テレビの実況中継のリズムが身体にしみついてしまっているからだと思います。例えばボクシング映画では、「おっと、強烈な右ストレートに一瞬グラっときた!」とか「連打、連打、必死にクリンチに逃げる! ここでゴングに救われました」などと口に出して言いながら書いています。『百円の恋』の試合は3ラウンドで終わってしまうので、上手い下手は別として自分の気持ちのうえでは軽快に書くことができましたが、『アンダードッグ』の最後の試合は12ラウンドまでもつれます。その12ラウンドすべてを見せるということはしませんが、12ラウンドぶんの試合展開を考えるのは至難の技です。1、2ラウンドあたりはアナウンサー気分で軽快に楽しく書けるのですが、すぐに手詰まりになってしまい、気づけば同じ展開が続いてなかなか書き進められなくなってしまいます。それでも監督やプロデューサーに見せる初稿のときは、どうにかこうにか展開を書いておかなければなりません。苦し紛れになってしまうこともしばしばあります。
『アンダードッグ』の場合はその初稿をボクシング好きでもある武正晴監督や、邦画のボクシング映画にこの人あり!な俳優であり、ボクシング指導者の松浦慎一郎さんが加わってくださり細かい展開を作っていきました。このラウンドは互いにもつれ合う泥試合みたいな展開にしたいという武監督の言葉には「なるほど!」と思ったものですし、松浦さんからは細かい試合の攻防などに詳しくアドバイスをいただきました。プロデューサーの佐藤現さんもボクシング好きでいろいろと意見やアイデアをくれますが、好きが高じてオヤジボクシングのような大会のリングにまで上がってしまいました。『アンダードッグ』はそういうボクシング好きが揃っている現場でしたので、僕としてはとても助けていただきました。
『モンゴル野球青春記』という映画は、関根淳さんの書かれたノンフィクションが原作です。関根さんは野球不毛の地モンゴルに野球を教えに行かれていた方で、映画のラストでモンゴル代表は松坂大輔率いる高校日本代表と戦います。そこはこの作品でも監督を務めた武正晴さんと話しつつ、史実にフィクションも織り交ぜて試合のシーンを作りました。史実があるぶん、試合展開は作りやすかった記憶があります。『キャッチボール屋』という映画は、甲子園で五打席連続敬遠をした投手とされた打者が公園で再会して、あらためて勝負する場面がクライマックスでありまして、投手を寺島進さん、打者を松重豊さんが演じました。主人公の大森南朋さんは行きがかり上、その勝負のキャッチャーをする万年補欠の元高校球児の役でして、行ってみれば単なる傍観者が主人公の映画でもありました。これは言わずもがな松井秀喜の五打席連続敬遠をヒントに……いやヒントではなくまんま使ったもので、一打席かぎりの勝負なので書きやすかったです。西部劇なんかでよくありそうな一対一の決闘シーンをイメージして書きました。
試合や勝負の展開以外に、映画やドラマの中でのスポーツシーンを書く際に難しいのが、「結果が決まっているうえで書く」ことでしょうか。それは絶対に避けられないことですので難しいなどと言うことではないのかもしれませんが、どうしてもその「結果」から逆算をしてしまう自分がいます。僕の気持ちとしては、映画の中で登場人物を描いていきながら、その人間がどんな試合をするのか自分でもわからない、なんて状況で脚本を書ければ最高ですが、そんなことは絶対にできません。『百円の恋』では「たった一試合しかできない選手」という設定が最初から念頭にありましたし、『アンダードッグ』では「ほとんどの観客にとってはどうでもいい試合」という設定がやはり書く前から頭の中にありました。その設定を盛り上げるために登場人物を動かしてしまいがちになることがあります。それはなんだか頭の中だけでこねくり回した脚本のような気がして人間味を感じません。そうならないように人物から最初に考えていくのが自然と僕は思っています。
最後に、これはシナリオという文字のことだけではなくなってきますが、映画やドラマの中で試合に限らずスポーツシーンを映し出すことでもっとも難しいと僕が思っているのは、そのスポーツそのものの魅力が映っているかどうかということです。これを言葉でうまく説明できないのですが、例えば野球の試合なんかは「ルーズヴェルト・ゲーム」と呼ばれる8対7のスコアが一番面白いなんて言われたりしています(単に野球好きだったF・ルーズヴェルトの言葉に由来するだけのようですが)。つまり、8対7でも1対0でもいいのですが、野球という競技そのものの魅力に溢れたような試合というものがあるのだと思います。
『がんばれ!ベアーズ』という少年野球を題材にした傑作映画がありますが、あの映画の野球シーンにはそんな野球の魅力が溢れているのではないかと僕は感じます。必死に、あるいはダラダラとボールを追いかける子供たちの姿、だぶだぶのユニホームを着てベンチに並んでいる子供たちの姿、そしてそんな子供たちにノックをする酔いどれの監督の姿に神々しさすら感じて感動します。彼らに「ここで野球をしていてくれ。我々スタッフはそれを勝手に撮っているから」とでも言って撮影したかのように自然で美しく見えます。そこにカルメンの音楽をのせることを思いついたことも含めて、『がんばれ!ベアーズ』の野球シーンというのは野球の神様に愛されているような奇跡の名場面だと思います。あんなシーンを作れたらどんなにいいかと思わずにはいられません。ちなみにですが、僕は日本映画では北野武監督の『3-4X10月』の草野球の場面が大好きです。このシーンも野球の、いえ、草野球の神様に愛されてしまったような名シーンだと思います。
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