自分が主観を認識するまでの過程の考察と問題点 修正版
人間は、痛みと痛みのある場所を同時に知る。においや味覚や視覚情報、聴覚情報を、それらのある場所と同時に知ることになる。人間が感覚の情報を得るとき、それは“内容と場所の組み合わせ”になっている。
動物が空間や自分の身体を把握していることは明らかである。動物も視覚、嗅覚、聴覚や身体感覚を持っており、空間の情報を把握することができる。動物も“内容と場所の組み合わせ”の感覚情報を持っていると言えるだろう。
1:ここで、以下の2点を前提とする。
(Ⅰ)感覚は、内容と場所という2つの情報が一つの組み合わせになっている。
(Ⅱ)この(内容と場所という)2つの情報は、
① 別々に独立して成立するが、
② 必ず一組で把握され、どちらか一方だけでは把握されない。
2:次に、A、Bを仮定する。
A:同時性
複数の情報が1つの情報として集合していることを同時性と呼ぶことにする。
B:事象性
2つの情報が一組になってつながっている。このつながりを事象性と呼ぶことにする。
事象性の両端に情報が1つずつ存在する。
3:1の前提と2の仮定を使って、「自分」が「主観」を「認識」するまでの過程を考察する。
ⅰ:「認識」
情報の集合A / 情報の集合B という組み合わせの事象性があるとする。
情報の集合Aが「認識A」 / 「自分」 の「認識A」 と同時性を形成するとき、つまり
“情報の集合Aは「認識A」である” / 「自分」 という事象性が成立しているとき、情報の集合Aは「認識A」となり、「主観」の中に出現しうる状態となる。
ⅱ:一組の「認識」の組み合わせの成立
2つの情報の集合がそれぞれ「認識A」、「認識B」として同時性を形成した場合、つまり “情報の集合Aは「認識A」である” / 「自分」 という事象性と、 “情報の集合Bは「認識B」である” / 「自分」 という事象性が成立した場合に、 情報の集合A / 情報の集合B という事象性は 「認識A」 / 「認識B」 という事象性になる。
ⅲ:「主観」の「内容」となる「認識」の形成
「認識A」と「認識B」は互いに独立して成立し、かつ、 「認識A」 / 「認識B」 という事象性を形成している。以下、 「A」 / 「B」 とする。
このとき、 「A」→「B」 や 「B」→「A」 という、向きや方向をもった新たな同時性が2つ形成される。(同時に、「A」→「B」 / 「自分」 と、 「B」→「A」 / 「自分」 という2つの事象性が成立する。)
仮に、「A」は「B」にとっての「内容」であり、もう一方の「B」は「A」にとっての「場所」であるとすると、
一方の 「A」→「B」 は、「自分」を修飾する「自分の場所」となる。
もう一方の 「B」→「A」 は、「自分」の所有する「自分の内容」となる。
「A」→「B」は「自分の場所」である / 「自分」 と、 「B」→「A」は「自分の内容」である / 「自分」 という2つの事象性が成立する。
ⅳ-1:「自分」という一つの「認識」の成立
「自分の場所」や「自分の内容」の集合において、「自分の場所」の「集合」の「収束」点が、「自分」(“「自分」”という「認識」)として「認識」付けされる。また、「自分の内容」の「集合」の「出発」点もまた、「自分」として「認識」付けされる。
“「自分」”というただ一つの「認識」が、2つの集合のそれぞれの集合点に対して「認識」付けされることになる。
“「自分の場所」の「集合」の収束点”は「自分」である / 「自分」
“「自分の内容」の「集合」の出発点“は「自分」である / 「自分」
ⅳ-2:「認識」の「集合」の成立
上記の、2通りに把握された「集合」は、1つの“「自分」という「認識」”を中心としている。
新たに出現する情報や「認識」は、「自分の内容」や「自分の場所」として2通りに把握され、それぞれが“「自分の内容」の「集合」”や“「自分の場所」の「集合」”の中に新たに配置されていく。
ⅳ-3:「主観」の成立
「A」→「B」 や 「B」→「A」 という同時性に対して、 「A」→「B」 / 「思考」 や 「B」→「A」 / 「思考」 などの事象性が成立した場合、「A」→「B」や「B」→「A」は「思考」として「体験」される。これが「主観」と言えるのではないだろうか。
4:問題点
上記過程は次の3点を問題としている。
1つ目は、情報Aを修飾する「認識A」がすでに(少なくとも同時に)成立して存在しなければならないことである。
2つ目は、「A」→「B」、「B」→「A」という、「主観」の「内容」の同時性の元になっている「」→「」という同時性( 「」→「」 / 「自分」 という事象性)がすでに備わっており、「A」や「B」とともに出現して機能しなければならない点である。
3つ目は、「A」と「B」のどちらが「内容」でどちらが「場所」か、どのように決まるのかという点である。「B」が「感覚」であれば混乱は生じないだろう。「B」が「思考」や「仮定」や「推測」などの「記憶」を基にした「認識」である場合、「A」と「B」のどちらが「場所」かが不明確になり、「自分の内容」の「集合」に集合するのか「自分の場所」の「集合」に集合するのか支障を来すだろう。「場所」の不明確さ、「主観」の「内容」の不明確さ・不安定さが精神病の発生に関係しているかもしれない。
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