13twostep

自分の考えをそのまま発表し、皆様に見ていただける場は他にありません。ありがとうございます。

13twostep

自分の考えをそのまま発表し、皆様に見ていただける場は他にありません。ありがとうございます。

マガジン

  • 認識とはなにか

    認識とはなにかを考察しました。

  • 認識と主観と自分について

    世界は内容と場所の中に

最近の記事

主観の障害の図の提示

    • 主観の連続の構造の一場面の提示

      • ”自分が認識や主観を把握する過程”の仮説の提示

        はじめに: 人間は、痛みと痛みのある場所を同時に認識する。においや味や視覚情報、聴覚情報を、それらを感じる身体の場所と同時に知ることになる。人間が感覚の情報を得るとき、それは“内容と場所の組み合わせ”になっている。 動物が空間や自分の身体を把握していることは明らかである。動物も視覚、嗅覚、聴覚や身体感覚を持っている。動物も“内容と場所の組み合わせ”の感覚情報を持っていると言えるだろう。 人間と動物の違いは何であろうか。その違いの中に、“人間は自分を認識することができる”と

        • 自分が主観を認識するまでの過程の考察と問題点 修正版

          人間は、痛みと痛みのある場所を同時に知る。においや味覚や視覚情報、聴覚情報を、それらのある場所と同時に知ることになる。人間が感覚の情報を得るとき、それは“内容と場所の組み合わせ”になっている。 動物が空間や自分の身体を把握していることは明らかである。動物も視覚、嗅覚、聴覚や身体感覚を持っており、空間の情報を把握することができる。動物も“内容と場所の組み合わせ”の感覚情報を持っていると言えるだろう。 1:ここで、以下の2点を前提とする。 (Ⅰ)感覚は、内容と場所という2つの

        マガジン

        • 認識とはなにか
          13本
        • 認識と主観と自分について
          2本

        記事

          内容と場所 ~動物と人間の類似点、相違点その4~

          言葉は記憶と結びついている。記憶を言葉に置き換えて、言葉を用いて情報伝達する。言葉は置き換えを可能にしている。 動物は身体と感覚を持っている。しかしながら、言葉を用いて自らの記憶を表現したりはしない。 言葉を用いなければ、高度な置き換えを習得することは難しいだろう。相手の立場になって考えたり、自分を客観視したりすることは難しいだろう(フッサールによると、自分の主観を通してしか物事をみることはできないが)。 動物が感覚を頼りにして動物の世界を生きていけるように、人間は記憶の

          内容と場所 ~動物と人間の類似点、相違点その4~

          自分の獲得 ~動物と人間の類似点、相違点その3~

          言葉は音声が記号化されたもので、記憶と結びつく。 言葉を道具として用いることで、記憶を対象として扱うことができる。他者と共有された共通の言葉を通じて、他者と記憶のやりとりを行うことができる。 自ら自身の記憶を対象として扱うことで、自分を対象として扱うことができる。 自分を対象として扱うことで、自分をその他の記憶(認識)と関係付けることができる。 人間は記憶を介して自分を(記憶の集合、認識の集合である)世界と関わらせることができる。

          自分の獲得 ~動物と人間の類似点、相違点その3~

          言葉の場所 ~動物と人間の類似点、相違点その2~

          手首が痛いと感じるとき、自分は手首に痛みを感じている。このとき痛みは感覚の内容であり、手首(位置感覚)は感覚の場所である。 ラーメンのにおいを感じたとき、においが内容であり、鼻(嗅覚)が場所である。 ラーメンがおいしいと感じたとき、味が内容であり、舌(味覚)が場所である。 UFOを見たとき、UFOが内容であり、眼(視覚)が場所である。 17時のチャイムが聞こえたとき、チャイムが内容であり、耳(聴覚)が場所である。 (“認識とは何か その3”を改変して再掲した。) このように

          言葉の場所 ~動物と人間の類似点、相違点その2~

          動物と人間の類似点、相違点

          動物は狩りをしたり住処を定めたり子育てをしたりする。水浴びをしたり毛繕いをしたり、自分のメンテナンスを行う。動物には視覚、嗅覚、聴覚などの感覚や身体感覚がある。それによって外界の様子、他の個体や自分の身体などの空間を認識することができるのだろう。これらから、動物も“内容”と“場所”という認識の組み合わせを持っていると言える。 水族館やサーカスでは動物のショーを観ることができる。ペットも“お手”や“待て”などの芸を習得する。飼育員や飼い主の声や風貌を覚える。何年も会っていなか

          動物と人間の類似点、相違点

          AIと精神科治療について

          精神症状が増悪したとき、私たちはAIを使用して自分を治療することができるだろうか。 できるときもあるし、できないときもあるだろう。 自分の気持ちをAIに投影することができたとき、肩の荷が下りたような、カタルシスを得ることができるだろう。 自分がAIを使用しない限り、AIは役に立たないだろう。抑うつ症状や幻聴などの精神症状が強いとき、AIを使うことができないかもしれない。 “それが症状である”ことを自分がわからないとき、AIを使用しないだろう。 AIを使えるようになることが

          AIと精神科治療について

          精神障害の原因の言い換えの試み

          外因→「自分」の成立よりも前段階において起きている障害 内因→「自分」が成立するときにそこで起きている障害 心因→「自分」が成立した後に、その中で起こる障害

          精神障害の原因の言い換えの試み

          認識と主観と世界のつくられる順番

          「認識」が「主観」の中に「出現」するきっかけは二つあると考えられる。 ・一つは、身体の外から始まる流れである。 身体の外からの刺激 → 身体の感覚器官(による感知) → 「認識」との結びつき ・もう一つは、身体の中から始まる流れである。 身体の中からの刺激 → 疑問や欲求 → 「認識」との結びつき 「認識」は集合して「主観」を形成することで、初めて「主観」の中に「出現」する。言わば“「認識」から「主観」を組み立てていく仕組み”によって、我々はいきなり「認識」に面会させられる

          認識と主観と世界のつくられる順番

          自分の状態と新しい認識の把握

          「自分」の「状態」を概ね同じ「状態」として保つためには、「自分」以外の対象もまた恒常的に存在する「認識」としてあらしめる必要があるだろう。「自分」の「状態」は「認識」の「集合」であるからだ。 しかし、ある対象が“新しい「認識」”として捉えられる場合、ある対象を“恒常的にある「認識」”として捉えようとする働きはどこかで停止させられる。 ある対象を新しい「認識」として捉える働きと、「自分」の「状態」の恒常性を保つ働きの両方を同時に達成する必要がある。 対象にどの「認識」をあてはめ

          自分の状態と新しい認識の把握

          会話と自分の場所 その3

          「自分」の成立の危機とは何か。 「内容」と「場所」から得られる「認識」の集合が、“「主観」”という新たな「場所」の対になる、新たな「内容」になる。このときに、「場所」になるはずの“「主観」”が「主観」として成立しなければ、その他すべての「主観」全体の「集合」に集合することができなくなるだろう。“「主観」全体の「集合」”を“「自分」の「内容」”として考えると、「自分」の成立の危機とは、“「主観」全体の「集合」”に支障を来すときである。 一つの「主観」の「場所」が障害されることで

          会話と自分の場所 その3

          会話と自分の場所 その2

          他者と会話ができるということは、1:会話という「行動」、「場所」が成立する、2:「自分」が成立している、ということであろう。 では、会話をすることは、相手に「場所」を与え、「自分」が成立することに寄与するのだろうか。 これはうまく作用するときもあるし、うまくいかないこともあると予測される。会話をすることで楽になったり安心することもあるし、プレッシャーや疲労を感じたりすることもあるからである。 「自分」や「自分」の「場所」が危機にさらされたとき、それを乗り越えるためにはどのよ

          会話と自分の場所 その2

          会話と自分の場所

          言葉は発音のパターンとその組み合わせである。 文章は言葉でできており、ある事柄を表すことや情報交換に使われる。 話し手が聴き手に自分の意見を文章で表そうとするとき、それを完璧に表現することは難しい。聴き手もまた、話し手が伝えようとしている内容を完全に理解することは難しい。 文章は単語の連続であるが、単語の意味を理解し、文章の意味を理解しても、相手の言いたいことを理解したこととイコールではないことが関係しているだろう。 大体の場合、“相手が聴く文章と相手に伝えたい内容とは別物

          会話と自分の場所

          内容および場所と、今ここの関係

          「場所」は、常に「今」と「ここ」における「認識」を担う。 一方で、「内容」は、「今」と「ここ」をいつも説明しているというわけではない。 例えば、「仮定」や「推測」というような「場所」が障害されて「今」と「ここ」における“なんらかの「場所」”に代償的に近似された場合、その「場所」を障害されている事象性の「内容」が、“なんらかの「場所」”において新たに出現してしまうだろう。 「今」と「ここ」を説明していなかった「内容」が、「今」「ここ」で新たに“「現実」”として出現することにな

          内容および場所と、今ここの関係