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Road trip 2023 🇪🇸 Day 16-17:我が家ベルギーへ帰国する前に

Hola! こんにちは!Twoodです。

引き続きロードトリップを振り返ります。
Day 16-17はベルギーへ帰国の帰路の旅になります。

この日朝8時に起きてテントを畳み、そそくさとキャンプ場を出て移動を始めます。
もくもくの森を抜けて、今回はかなりヨーロッパ人、又スペイン人にとってセンシティブな場所へ向かいます。
20Km離れたこの距離で巨大にそびえ立つこの場所です。
Valle de Cuelgamuros 戦没者の谷

この場所はスペイン内戦で犠牲になった両軍の戦没者、約3万3,000人が永眠しており、十字架の高さは150mもあります。

1940年にフランシスコ・フランコというスペインの独裁者によって造られた場所で、内戦の勝利者と敗北者を和解させるための国を挙げての償いの証として建てられました。

この場所を作る際も、実は大きな問題があった。 この場所で労働し建設に携わった人は、受刑者やフランシスコ・フランコに刃向かった政治犯たちだった。この人たちは、劣悪な環境や飢えが原因となり、結構な人数が建設中に死亡しているのです。
人はここをナチスの強制収容所に例えられたこともあったそう。そのためこの戦没者の谷に対するほとんどのスペイン人の認識は、国を挙げての償いの証などといった高尚なものではなく、フランコによって建てられたフランコのための記念碑となっているそうです。

ちなみにフランシスコ・フランコ自身もここに埋葬されていましたが、不快に思う人も多く、別の場所へ移されました。

中に入ると人工の洞窟になっており、その長さは約300mにも及ぶ。
建物内は撮影禁止の為外観のみ撮影しておりますが
スペイン人の友達も私は居るためインスタ等にはポストしなかった場所でもあります。

なぜセンシティブなのか簡単にお話します。
かつてヒトラーやムッソリーニと同時期に、スペインにも独裁者がいました。

20世紀半ば、その時代のスペインはフランシスコ・フランコ将軍という人が行う超保守的な、支配者が独断で思いのままに物事を決定できる政治体制(専制政治と言います)でした。

フランコ将軍の政治の軸は下記の通り。
・国粋主義(自国の文化や伝統を守れ)
・独裁主義(俺がこの国を支配している)
・軍国主義(軍事力を高めよ)
・反自由主義(自由な発言や平等などはない)
・カトリック至上主義(カトリックが最強)


このフランコ将軍は当時、ヒトラーやムッソリーニからの軍事援助を得て権力を高めていき、自らをエル・カウディーリョ(総統)と名乗っていたといいます。

フランコは、敵対するものを容赦なく殺害していました。

フランコに逆らって強制収容所に送られ命を落とした人は、実に30万人もいるとされていて、 フランコは徹底した男尊女卑も行っていました。

・女性は大学教授や裁判官にはなれない
・銀行口座の開設も自由にできない
・DVの夫から逃れる権利はない


また、カトリック至上主義だったため、カトリックの教義に則っておこなわれなかった結婚は無効とされ、離婚、避妊、中絶、同性愛は法律違反であった。

ただし、今のスペインの若者はフランコの圧政をあまり知らないと言われています。 なぜ若者たちは自国で起きたこのような圧政を知らなかったのか。

スペインでは「沈黙(忘却)の協定(パクト・デ・オルビド)=フランコの圧政で行われたことを、何もかも全て忘れようという国全体で行われた政治協定」のせいで、この圧政についてほとんど学校で教わらないこととなっています。


建築として興味深い場所であったものの、重たい気持ちを受け止め多くの議論を車内に持ち込み次の場所へ2時間程車を走らせる。
木のトンネル落ち着きますね
Acueducto de Segovia セゴビア旧市街と水道橋に到着。
街のシンボルである「水道橋」は、街の最も高い所まで水を届けるため、1世紀後半、ローマ帝国時代に建造された。古代ローマ人の高い土木技術を用い建設されたもの。
古代ローマ人は属州となった都市に道路を造り、橋を架け、水道橋を築いていきた。 都市のローマ化が目的で、その象徴の一つが水道橋だったという。全長は728mで、166個のアーチが支えている。 中心部では二層構造、高さは28mあり、花崗岩をアーチ構造で積み上げ、モルタルなどで固定していない。 スペインの水道橋としては最大の規模です。
町並みも可愛いですね
そびえ立つ影もすごい迫力です。
街歩きを楽しみ
時々日陰に逃げて‥
双子は雌狼から乳を、キツツキから食べ物を与えてもらい助かる。そんなローマ神話の像。
この双子は、ローマを建国したとされるロムルスとレムスです。
生まれてすぐに川に流されたものの、牝狼の乳を飲んで生きながらえたと伝えられています。

やがて成長した二人はローマを建国しますが、その際の仲違いからレムスはロムルスに殺されてしまいます。レムスの二人の息子、セニウスとアスキウスはロムルスから逃れてトスカーナの地までたどり着き、ここに自分たちの国を作ることにしました。 これがシエナの起源とされている伝承です。
そんなセゴビアを後にし運転が始まります。
というのもここから532km運転し6時間の戦いが始まるからです。
道中この有名なブルの看板も何回も現れてくれました!
200km走るとちょっと東ヨーロッパの景色っぽくなってしまいました‥
そして赤石混じらない寒そうな岩山‥
美しいけど不安になってきました。
最後のスペイン料理を食べます。
Pulpo a la gallega (ポルボ・ア・フェイラ)です
はい、途方に暮れています。
400km移動したら40℃→18℃になったからです。
極寒です。
不安的中です。

今夜泊まるのは山の上のロッジ…大丈夫でしょうか…
無事到着しました
Ezkurraのかわいい小屋です
久々の文明です。
快適です。

この数日のサバイバルでネイルもボロボロですね(笑)
翌朝少し外を歩いてみます。

空気が冷たい。13℃です。
小走りで中へ戻り朝食
可愛いコテージだなぁ
この田舎のヨーロッパのこの小ささの宿泊施設って手入れが行き届いてて実家みたいで落ち着く。
40℃からここへ来たからか暖炉入れてほしいレベルでしたが、恐らくここの人は寒さに慣れてるのでこんな気温じゃ夏なんでしょうね‥
お腹いっぱい食べました。
暑い街とは見る景色が違うのも興味深いですね
さよならコテージ、 さよなら Ezkurraまたいつか…
日が昇って少し暖かくなってきました
世界っていうか、陸続きのヨーロッパのロードトリップって不思議。
お昼休憩にピクニックして、ノンストップで帰国しました
買ったポストカード達。
買った食材たち
そしてパエリアの鍋!
遂にMy パエリア鍋!!
次の日からは自炊でベルギー感皆無の夕食(笑)
我が家基本和食です。

ちなみにサマータイムなので20時でもこの明るさです。

以上がRoad trip 2023 🇪🇸でした!

〜この旅で訪れた街〜
Carcassonne(🇫🇷)→Figueres(🇪🇸)→ Mataro → Barcelona → Tarragona → Valencia → Chella → Valdecabras → Cuenca → Madrid → Toledo → Escorial → Segovia → Ezkurra →📍Belgium 🏠

お読みいただきありがとうございました!



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