主催1年目終了

初主催から1年が経った。率直な感想は、こんなはずではなかった。いい意味で。

大喜利初めて数ヶ月経った頃の、狂ったように参加してた時期に、このまま人が増え続けると会が足りなくなるのでは?みたいなことを考えていた。おそらく、大喜利をやる人は増え続けるし、それに伴い会も増えるから今よりも主催の人口も増える。だったら、主催が増えた時のことを考えて、少しでも先に始めて慣れておいた方がいいのでは?みたいなとこが最初のきっかけだった。当時はボケルバカフェもなかった訳だけど、そこからの1年を振り返るとこの感覚はけっこう当たっていた気がする。

そこで初めて主催をやって、それが楽しかったことでまたやろうと思った。タイマンをやる会があまりなかったから、最初はタイマンがかなり多い会になっていた。2Wayタイマンをやったのが自分が初めてだったら嬉しいけどどうなんだろう。とにかく、思いつくことをどんどんやってみた。

ボケルバカフェができた時、1回主催はもうやらなくていいやと思った。そもそもの、会が足りなくなるという状況は生まれなくなるし、会をやるなら秋葉原が都合が良かったから、なおさら理由がない。そう考えていた矢先のボケルバオープン日に、初めて会った人から「最近主催やってますよね!?」と話しかけられて、自分としてはひっそりとやってたつもりが、周りにも伝わってたことが嬉しくなって再開。その次の会も楽しかったことで、本格的に継続的な会になった。自分の休みが金曜日と日曜日が固定されているため金曜日に主催をやることがほとんどで、裏被りを避けた結果気がつけば隔週くらいのペースで行うようになった。

車座だと自分がやる意味がないような気がしたので、対決型をメインとした会をやり続けた。初心者が会を開くとなると、どうしても仲のいい人がメイン層になるので、その人たちが少しでもいい経験を積めるように、ベテランの方と対決する機会を多く設けるようにした。ここで慣れて、大会で当たった時に緊張しなくなればいいななんてことを考えたりもしていた。今では大会がかなり存在するので、そこら辺の意義みたいなものは薄れてしまっている気がするけど、参加する人が何かプラスになる経験を持ち帰ることのできる会にしたいとは常々考えている。

自分なんかは、かなり都合よく物事を考えるので、1題でも1位を取れたら、絶対に勝てないことはないんだと考えてしまう。なので、サーキットルールでは、加点だとしても、3題通しての合計点での順位ではなく、1題ごとに順位を出すみたいなことも行った。サーキットルールで、全員が1位か2位を取る。これが1つ目指す形でもある。その経験って、初心者には特に必要なものだと思うし、1つの目標としても立てやすいから。

初主催の翌週に初遠征も行っていて、そこでの打ち上げの木曜屋さんが言っていた
「大喜利の勝ち負けは運もあるみたいなことを主催だけは絶対に言ってはいけない。そこの運をどれだけ減らすかが主催の仕事」
という言葉はずっと個人的に大切にしている。どれだけ守れているかは分からないし、敗者復活戦なんかには、若干の運要素を入れることもあるけど、かなり意識して、運で勝てないようには作っているつもり。

共催を利用して、遠征先でも主催をするようになった。大阪の会は、1つの大きなターニングポイントだった。あそこで、受け入れてもらえて、盛り上がったことで、このフォーマットさえあればどこでも会を開くことができるんだと知った。様々な地域で色んな面白い人を知って、その人たちを関東の人たちにも見て欲しくて、招待枠で呼んだりもした。招待した人が関東で跳ねる姿を見るのは主催やってて嬉しかったことの1つ。

その後、T-OST前日に仙台でもやろう!と決めて、そうなると名古屋でもやるべきだという謎理論のもと、名古屋でも開催。名古屋では、知り合いがほとんどいないという中での少し無謀な挑戦だったけど、それでも集まってくれて、盛り上がって、すごく楽しい時間でした。仙台も、T-OST遠征勢の方も多く集まる中で、地元の方の強さを見ることができてめちゃくちゃ良かったです。

チャンピオン大会は、準備の段階で相当追い込まれていたけど、去年の自分の主催としての集大成を注ぎ込めた大会だったかなと思っています。やりたいこと、やってきたことを全部詰め込むことができた。あの日の経験はとても大切なものになった。自信にもなったし、あのあたりでようやく、主催の人になれたような気がする。

去年の12月はとんでもなくハードで、チャンピオン大会の5日後にボケルバの企画会で32人の人に参加してもらい、その2日後には拍手喝采を行った。クローズドに言及してもとは思うけど、拍手喝采はチャンピオン大会とは別のベクトルの集大成の会だったと思う。大きな大会の裏だったけど、去年の自分が集めることのできる、1番すごいメンバーが揃っていたし、その中で企画が全て成功したのも、夢のような出来事だった。

今年に入ってからは、葛藤はあったものの、笑う警報を大会扱いにした。あくまで大会ではないという他にない立ち位置に1つ魅力があったような気はするけど、他にない立ち位置故の難しさもずっとあったので、思い切って大会にした。文化杯からは外れるらしいので、1つの独立した存在として、きちんと成立しているものにしていかないといけない。

今、色んな会があって、特に、地域色のあるものが増えてきたように感じる。様々な場所で、色んな人が集まっている。その中で自分が目指したいのは、場所も所属も関係なく、誰もが平等に参加できる会。壁があるとも思ってないけど、そういったものを全部壊して、たくさんの人と楽しみたい。その一環として遠征も行う。仲良くなくても、初めて会った人でも、大喜利をやったら楽しい。そんな空間を目指したい。

主催2年目、前半の大きな目標は福岡→大阪→名古屋→東京のツアーだけど、他にも考え始めてあることはあるから実現に向けて動きたいし、1つの軸として年末のチャンピオン大会もあるし、体調にだけ気をつけて、全てを丁寧に責任持ってやり遂げていく。ENDLESSはトレーニング会だけど、Pandoraも企画会として1つ存在感のある会にしていきたい。もちろん、プレイヤーとしてもたくさん大喜利をやりながら。両立させるのも大きな目標。

これからもよろしくお願いします。

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