腹は減り、思いはすれ違う
それでも、その時、思いはひとつだった。
お互いの違いを認め合うなんて、馬鹿げている。そもそも、誰もが違っているのだ。「違いを認め合う」ということ自体が、他人と自分が同じだと考えているやつの戯言にすぎない。
誰もが違ってはいるが、ひとつになることはある。だから生きていることは面白い。
そんなことを実感したのは、週末の動画撮影での出来事だ。街中での撮影ではなく、フィールドが特殊。北海道の山の中である。アドベンチャーレース「ニセコ・エクスペディション」の撮影チームに加わり、30km近くをトレッキングしてきた。
このレースは、1組4人のチーム戦で制限時間が36時間という長丁場。選手は昼夜を問わずに、MTB、パックラフト、トレッキング、沢登り、ナイトオリエンテーリングなどをこなし、地図に記された地点をたどってゴールを目指す。
コースに沿って走るトレイルランニングレースとは違い、各自で進みやすいルートを選択して進むのが、アドベンチャーレースの面白いところ。それと同時に、撮影は大変。どこを通るか分からないのだ。
選手を待って撮影するスタイルだと空振りに終わることもある。そのため、今回の撮影チームは上位チームを中心に同行してカメラを回すことに。
強豪揃いの上位チームについていけるように、撮影チームも粒揃い。トレランやアドベンチャーレースの強者で固められた。
海外のアドベンチャーレースに挑んでいたり、400km超のトレランレースを完走していたり、真冬の北極圏で1000kmを踏破していたり、実績を並べるだけで、強烈なメンツが揃っていると分かる。マイルドに表現すると、個性的なメンバーばかり。と言ったところか。
やや個性が強すぎる気もする。そんなチームの一員として撮影である。
トレッキングの区間は、地図上では登山道がついていた。これには誰もが安堵した。
というのも、この手のレースでは、最短ルートで行こうとすると、道がないということもしばしばある。冗談のような急登やヤブ、石が崩れてくる谷をたどるなども珍しくない。
気持ちよく進める登山道を思い描いていたのに、現地に足を踏み入れると、遅々として進めないヤブの連続であった。
このルートの極悪さをもう少しだけ追記しよう。背丈を超えるヤブであっても、素直なヤブであれば、あまり抵抗されることなく進んでいける。見た目は不良。心は純情というパターンだ。意外と一途で、性格はまっすぐだから、惚れた相手には素直。扱いやすい相手として、あしらわれる可能性もあるが、それは関係のない話である。
話題をヤブに戻そう。昭和的ヤンキーのごとく純情なヤブは扱いやすい。しかし、今回のヤブはへそ曲がりであった。一見すると歩きやすそうな密度のところやそれほど背丈の高くない区間もある。一見するといい奴に見えるが、話してみると曲者で、小悪魔的な言動で翻弄してくるというパターンだ。
歩きやすいため、ちょっと走ろうかと思うと、目の高さに枝が突き出ていたり、ちょうどスネに当たる倒木も多数だったりと油断ならない。
攻略するには、こちらも慎重にならざるを得ない。年を重ねるごとに臆病になっていくのは、恋愛だけで十分である。と頷く人も少なくはないだろうが、恋愛観の話はまたの機会に譲ろう。ヤブについてである。悪いヤブを進むには、かき分ける動作が必要になり、どうしても体の動きが大きくなる。時間がかかり、疲労度も増す。
その結果、想定していたよりも、1.5~2倍ほど時間がかかりそうだった。多少は多めに行動食を持っていたため、それくらいなら空腹感を覚えても、まだまだ許容範囲だ。
しかし、ほかのチームに帯同していたメンバーはそうでもなかったようで、食料が足りないとのこと。トップチームは順調に進んでいたこともあり、残っていた行動食をすべて置いていくことにした。ヤブが終わり、湿地に切り替わる場所ならば、見逃すこともないだろうと、草地に持っていた食料すべてを残し、スマホを取り出して後続のメンバーに向け、メッセージを送った。
食料を手放したことで、5時間ほど何も食べないまま動き続けた。トップチームに帯同しての撮影だ。わざわざアメリカから来た選手たちは、重い荷物を背負いながらも、それなりの運動強度で動きつづけている。さすがに腹が減る。指先がピリピリ痺れてきたり、
無事に下山できた。その後は撮影を続けつつも、残りのメンバーの動向が気になる。
夜中になって、ようやくメンバーが合流。無事に空腹をしのげたかを尋ねると、なにやら反応が鈍い。食べかけの行動食だったのがよくなかったのだろうか。量が不足していて、食欲を刺激しただけだったのか。疑問が生じたものの、レースは続く。もちろん撮影も。
気にはなったが、そのまま忘れてレース終了まで、選手も撮影チームも駆け抜けた。
終了後に、意外なことが分かった。
友人のチームから「食料を残してくれてた?」と聞かれ、事情を説明しようとしたところ、「助かったよ!」と感謝を伝えられた。
状況が飲み込めなかったものの、お礼の言葉から、逆算して答えにたどりつく。
そう、撮影チームの空腹メンバーが見つけるよりも前に、友人チームが食料を発見したのだ。
友人チームも悪路と戦い、疲弊し、行動食が不足していた。優勝に飢えた狼たち、は比喩表現だが、この時の友人たちは文字通り飢えた狼であった。
極度の空腹は、理性を上回る。なにせ本能なのだ。普段なら怪しむはずの光景だが、草地に落ちていた謎の食料にすら飛びつかせる。それが本能である。
僕の残した食料は空腹メンバーが手にすることなく、飢えた狼の栄養になったのであった。
メンバーの微妙な反応にも合点がいった。僕に聞かれても、何もなかったのだから、答えようがなかったわけだ。
意図することが上手く伝わらないことなど世の中にはごまんとある。掛け違えたボタンのような、ちょっとしたすれ違いもだ。それでも、あの時、山の中で僕たちは同じ思いを抱いていた。誰もが感じていたはずだ。「お腹が減った」。それだけは確かだった。