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可処分精神という尺度について
好きなものにアタマの中をいっぱいにする
息子たちの電車旅に付き合った休日。
せっかく東京まで出たんだから、と何か買って帰ろうと思い、デパ地下や駅前のお土産屋さんをブラブラしてみたら、良いものを発見。
柚木沙弥郎さんの手拭いを買ってみた。
テーブルクロスやタペストリーに使えそうで、我が家のインテリアにもなりそう。
何より妻が彼の作品を好んでいるので、部屋に飾ってあっても問題ない。
かく言う私も、日本の民藝や芸術には詳細に語れるほどの知識はないが、数々の作品に触れていると自分の精神に心地良いものを感じる。
食事や書き物、子どもの勉強などで多様に利用するダイニングテーブルに敷こうと思っている。一日で目にする機会が多い。
しかも出しっぱなしになりやすいカップやカトラリーも片付けたくなるだろう。
好きのものにふれる時間を増やす。
関心あるもので頭をいっぱいにしたい。
限りあるリソース、時間やお金についてできるだけ有意義や好きなものに割きたいという今どきの尺度ではあるが。
身の回りが事務用品や調理器具だけの役立つ、ためになるものばかりが溢れていても何だか味気ない。
南国の置き物、砂浜で拾った貝殻、一見価値のないものでも、自分の人生に紐付けたストーリーや背景に価値をそこに見出せれば、少し手にしてみようと考えるている。