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ツインレイ 光に戻るの意味って?

ところで

光に戻る、てどういう意味なのか
考えてみました

私達はそもそもが光の塊だと思うんですよ。

それは、私達がエネルギー体だ、というのと一緒だと思うんです

では、
どうして合わせ鏡のツインレイに出会うんだろ?と考えてみたら、

それは、お互いがお互いを深い場所から
深い場所に持ち続けてしまった光を遮るエネルギーを解放し合うのに
一番効率が良いから

て気がします

全然ロマンチックじゃないですよね( ;∀;)
身も蓋もないですね( ;∀;)

じゃあ何のために解放し合うの?
て考えたら、
やっぱりアセンションのためなんだろうなーと
ぼんやりと思います

アセンションなんて、チッ( ´_ゝ`)
と思ってた時期もあります
でもほんとにそうなのかもしれません

出会う人、現実は自分の鏡だと言われてますが、もっと究極に細密に自分を写し出すのがツインレイなのかもしれません

だから出会ってからその写し出しが激しく
今までずっと隠れていた自分自身が

細密に写し出されるんです

素晴らしいですね(*´ω`*)
てか、苦しいですね(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

自分以外の存在がいてはじめて
自分自分だと認識できますもんね

その究極の相手がツインレイなんだろうな
と思います

ほらやっぱり全然ロマンチックじゃなかったですね

出会って、確かに同じ思いや苦しみを共有したり、
わかってくれる相手がはじめて現れた

と感動する部分もありますが

それよりももっと

もっと、自分自身を写し出してくれる
光を当ててくれる

他の誰にも見せてなかった自分でもわかってなかったその深淵を
なぜか見透かせてしまう究極の相手がツインレイかな、と思います

長年隠されてきたその深淵のエネルギーは誰かに観察されてはじめて存在が認識されます
つまり、光が当てられるんですね

そうして、それらの隠されてきたエネルギーは
やっと日の目を見る事で

本人はそりゃあ苦しいんですが( ;∀;)

やっと光に戻れるのかもしれません。

そうやってお互いに一つづつ
自分達が光に帰るよう強制プログラムが作られてるかのような出来事が起こります

それを試練と呼ぶ人もいるでしょうし
あぶり出し、浄化と呼ぶ人もいるかと思います

そんなふうに
究極に鏡が
私を写してくれます

ありがたい事です(´༎ຶོρ༎ຶོ`)


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