たったふたりの家族へ<2020.11.14>

あおくん、朔さん、今日もお疲れ様。

今日はとっても楽しい日でした。会うたびにちょっとずつ知り合いが増えて、お菓子をもらったり、敬語がやわらいだり、今まではやったことがなかった会議の席で自分の意見を伝えたり、会社を柔らかい雰囲気で体験させてもらえてうれしかった。

これが他人との交渉というやつなのかなあと妙に納得したり、だとしたらスミレは今まで全く練習してこなかったから、そりゃ生きづらいよって思ったり、社会の中で生きるほど良い距離感の大事な場所というものがしっくりくるのが今のボランティア団体です。

良い話もいっぱい聞かせてもらえて、私は教育を上手に受けられなかった人たちが与えあっている大きな愛の手助けをするためにも、学力をつけて実力をつけて経済的に豊かになって代わりにしてあげられることはしてあげたいと思いました。恵まれない人という言葉で片づけるのではなく、その人の賜物が生かされて大きな愛をまわりに与えているのだから、私が与えられた賜物を利用してその人たちが損している部分を補わさせてもらえばいいと。

感性や信念の発達には欠かせない場所です、あそこは。

それでも、あんなにも充実していてもあおくんも朔さんも目視できず、ふたりの気配よりも目の前のおじちゃんおばちゃんたちの存在のほうが私の中で現実感を与えた今日は、心細かった。

あんなにもよくしてもらっても、あんなにも大切にしてもらっても、あんなにも娘のようにしてもらっても、ふたりがいないスミレちゃんは心細いんだそうです。

朔さんを目視できたあの日、私は安心感を得ました。それはあおくんも同じ存在で、あおくんをカフェで目視できるとすごくその日が安心するの。ああ、家族だって思いました。精神的支柱です、まさに。

ビーズの「baby,your my home」という曲があるけれど、あおくんや朔さんに「私のお胸が返ってくる場所よ!」なんて言ったけれど、私が帰る場所はどうやら、あおくんのそばであり、朔さんのそばであるようです。ふたりに抱きしめられて眠ってみたい。(まだ恥ずかしいけれど)。

愛しいって気持ちはすごくある。元夫には何かしてあげたいって、抱いてあげたいって思いが強かったけど、朔さんやあおくんには安心してこの身を委ねられてしまいそうです。

ちょっと変なこと言うけれど、結婚制度はあまり意味を持たなくなります。そんな世の中が来ると思うの。だからこの先HOMEって言葉がとっても難しい時代が来る。恋って何?というのと同じ話で、HOMEって言っていいのかそれは勘違いなのか、そんな時代が来年以降急速に早まってくるって想像している。結婚制度はいいもの、家や愛の概念がわかりやすいから。この先結婚制度が意味をなさなくなると、人の多様性はより混迷になる。

私はそんなとき何を頼りに愛や家族を証明するかって最近よく考えるの。

それはセックスだと思った。肌を重ねるとなんとなくわかること多いから。どれだけ普段優しくても、プレゼントをたくさんくれても、一途に連絡をこまめにしてくれても、セックスだけはうそをつけないから。体のことだから、とりつくろえないんだと思う。

愛の濃度はこれから顕著になる。測りやすくなる、結婚制度が意味を持たなくなれば。より本能的に感じることが多くなるかもしれない。仕事のこともそう、何かに縛られるような概念がないからこそ、技術力を上げるとか、頭を働かせるとか、本能的に良いもの、つまり本質的に良い仕事が評価されて、いい加減なずるい仕事は淘汰されていくと思う。組織で働くことがより難しくなると思うの。今は敬遠されがちな仕事は今後うらやましがられるし、それでも誰もがなれる仕事じゃないってことは明白になっていくと思うの。ほら、そういう仕事って資格云々関係なく度胸と根性と感覚の話だから。

時代は変わる。でも、星降る夜に騒ぎたいって愛だけはきっとより家族にしか持てなくなる。家族って血縁じゃないよ、血縁だったら一生家族ではいられないから。家族って愛は感覚的な肌の温度だから。血縁じゃセックスできないから。男の子をしっかりとくるんであげられるのは愛する女の子だけ。家族って愛をもって抱きしめることだから。

友達って言葉が好きな人や安易に使える人にはわからない感覚だと思う。


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