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ハイラル旅行日記(55日目)

手がかりから当たりをつけて探す。が、高低差があり思うところに進めない。手元の地図を見ながら進んでいるつもりが、改めて地図を確認すると違う方向に向かっていることしばし。やはり、もっと高いところから探さなければ見つからない。
とりあえず山をのぼる。そしてそこから飛んで探してみる。パラセールを握る力の限り飛んで探す。風に任せて飛んでいくので距離を進むが見当たらない。気がつくと元馬宿まで飛んできている。方向を誤ったか?もっと東の方に探索の手を伸ばさないといけないか。

再び山に戻り、先ほどよりも東に向かう。天候はずっとすぐれず吹雪が続いている。見通しも悪いがあの地上絵は雪に埋もれてしまわないのだろうか。それとも、見られることを前提に存在するのであれば雪の影響を受けない場所を選んで描かれているのか。そう考えると山の斜面というよりも、山間のひらけたところ、もしくは麓あたりを探した方が良い気がする。

ここか。あるとわかっていれば見つけられるのだろうけど、知らないところから探すと見つからないものなのだと実感する。まあ、ここからさらに目印を探すことになるわけだが。

思い出した記憶なのか、追体験なのか、伝えたいメッセージが直接的ではないのは出来事を時系列的に見せる必要があるということなのか。これは、かつては当たり前ながら、今では失われてしまった技術なのか。話を分けているのは、何かからの隠蔽を意図しているのか。伝えたい内容とともにその伝え方の意図にも気になるところがいろいろある。もし時系列的なものがあるとするのであれば、それをどうやって知り得るのか。気になる点はあるがそれを確認するためにも、次の絵を探し出す必要がある。

写し絵に残した手がかりを確認すると次の絵はここから遠くはないはず。先ほどの仮定を確認するためにも先に進もう。


ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダム 徒然に。

街歩きがさらに楽しくなるものがあるといいな