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東京国立近代美術館「MOMATコレクション 小特集 関東大震災から100年」

先日、東京国立近代美術館で開催されている「所蔵作品展 MOMATコレクション(2023.5.29-9.10)」に行ってきました。


はじめに

今会期のMOMATコレクションでは、1923年に起きた関東大震災から100年ということで、被災、復興、社会のひずみなどのトピックから震災と美術の関係を振り返る小特集が組まれており、今回はそれを取り上げてみたいと思います。

展示概要

2室 関東大震災から100年 1923年の美術

関東大震災があった1923年9月1日、その日は上野公園にあった竹之台陳列館で第10回の再興院展と二科展が初日を迎えましたが、地震の発生により即日中止となってしまいます。
ここでは、その両展に出品されていた作品が展示されています。

黒田重太郎《港の女》1922年

黒田重太郎の作品を見るのは初めてですが、セザンヌとピカソの中間にあるようなこの作風は「写実的キュビズム」と言われているそうです。

キャプションによれば、色々と緻密に計算された構図のようですが、ピカソのように振り切れていないところがいかにも日本人的ですが、これはこれで日本洋画においてはとても個性的な作品と思いました。

3室 関東大震災から100年 被災と復興

死者・行方不明者10万人、全壊家屋10万棟、全焼家屋21万棟にも及ぶ甚大な被害の様子を記録しようと美術家たちは筆やカメラを取りました。
ここでは、それら美術家たちの成果が展示されています。

十亀広太郎による東京各所のスケッチ画もありますが、私の興味を惹いたのは、三宅克己が撮影した写真を掲載した雑誌でした。

十亀広太郎《御茶之水ニコライ堂》1924年
アルス 月刊「カメラ」1923年10月号

三宅克己といえば水彩画のイメージが強いですが、実は写真にも造詣が深く「写真のうつし方」というアマチュア向けの指南本なども書いていたりしています。

今回の雑誌は展示ケースに収められているため見開きの写真しか見ることが出来ませんが、震災後の街の様子を100年後の現代までつまびらかに伝えてくれています。

やがて、彼らは様々な形で復興に携わるようになり、それら復興の様子を描き出した作品も展示されています。

杉浦非水
《上野浅草寛開通 科学の粋をあつめた地下鉄道》1927年

杉浦非水は現代日本のグラフィックデザインの礎を築いた人物ですが、この作品も銀座線の車体色である黄色に地下を暗示する黒色を組み合わせて警告色の効果を狙ったり、また、列車を放射線構図で描くことでスピード感や未来へ向かう姿を表していて、そのレベルの高さにとても驚きました。

4室 関東大震災から100年 社会のひずみ

震災後の復興を通じて、モダンな都市文化が発達した一方、社会のひずみも徐々に露わになっていき、一部の美術家はプロレタリア美術へ傾倒していきます。
ここでは、労働者のデモやストライキ、働く場であった工場などを題材にした作品が展示されています。

小野忠重《結末》1933年

小野忠重は昭和期に活躍した版画家で、この作品は、当時の特高警察による理不尽で強権的な取り締まりの場面を描いたものと思われますが、基本的に暖色と寒色に塗り分けられた画面からは、その場の立場の違いや心情を如実に感じ取ることが出来ます。

あとがき

関東大震災といえば、私には幼稚園の頃に茨城から引っ越してきた友人がいるのですが、その昔に彼が言うには、彼のご先祖はもともと東京に住んでいたのですが、ある時に東京に大地震が来るという話を耳にして茨城に移り住み、難を逃れたそうなのです。

子供の会話なのでどこまで本当か分かりませんが、昔そんな話しをしたなと、ふと思い出しました。


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