題目『いたずら』
テラスでのんびり葉巻を燻らせていると。
雀たちがやってきて。。
「悪戯(いたずら)」だ。
ワインのつまみに、とおいてあったタルトを。。
盗み食いしようと近寄ってくる。
ずいぶん人馴れしてるな。
こんなに近寄ったら。。
危険なコトもあるだろうに。
怖くても尚「悪戯」したいのか。
それとも。。
怖くないから「悪戯」するのか。
子供は「悪戯」が好きだよね。
よく「悪戯」してた記憶がある。。
もちろん。
その中には、今から冷静に考えると。。
かなり危険なモノもあった。
子供だから、その危険性がよく解ってなくて。
だから、過激な「悪戯」もしてたんだろうな。。
そうやって。
何が危ないか、と言う事を学んでいくのでしょう。。
大人になっても。
「悪戯」は、実はちょっと愉しい。。
"危ない" って、なんとなく解っていながら。
いや。。
解っているからこそ。
愉しいんだよ。。
その "スリル" を愉しみたい、という衝動は。
どこから来ているのか解らないけど。。
きっと。
それは "本能的" なモノなのではなかろうか。。
「悪戯」の中には。
なんと言いますか。。
メッセージ性の強い、"何かを賭した" 覚悟を感じる。
本気の「悪戯」ってのもありますね。。
バンクシーなんかも、今や世界的に有名な芸術家だけど。
言ってしまえば。。
「悪戯」が芸術にまで昇華した、という話。
どうして「悪戯」が "芸術" にまで昇華したかって考えると。
そこに深遠な "意図" と "覚悟" があったからなのではなかろうか。。
本能的な衝動から。
"スリルを愉しむ"、というのが「悪戯」。。
その域を超えて。
"スリルを愉しむ" では済まないと、解っていながら。
尚もアクセルを踏み込んでいく「悪戯」もある。。
その両方を併せ持っているんだろうな。
そうでなくては。。
『いたずら』を昇華させるコトなんて出来ないし。
愉しめないのなら。。
続けるコトは出来ない。
子供の頃のコトを思い出してみるといい。
『いたずら』は。。
愉しい。
どうせ、愉しむんだ。
思い切って。。
どでかいコトを考えてみてはいかがかな?。
愉しいから、やってた『いたずら』が。
世界を変えてしまったとしたら。。
どうだろう。
さらに。
"愉しみ" と "スリル" が増幅するというものではないですかな(ニヤリ)。。。
Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。
いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。