題目『ごさ』
今宵のTwilloの冒険の題目は『ごさ』。
"そんなのは「誤差」の範囲だ" 。
たまにそんな言葉を耳にすることがあります。。
これは、つまり。
単なる「誤差」であるから許されるでしょ、というような意味だよね。。
では。
"許せる「誤差」" とは。。
どのくらいのモノなのだろうか。
ちなみに、言っておきますが。
この話は。。
数学や統計や物理などの学問上での「誤差」という事ではなく。
日常生活で使われる「誤差」という言葉についての話ですからね。。
悪しからず。
"許せる「誤差」" 。
それは、人によっても状況によっても違ってくるんだろうな。。
その人の性格によっても、生活によっても違う。
逆に言うと。。
"「どこまでが許せる「誤差」か?" を問えば。
ある程度、その人の事が解るのかも知れないね。。
"五十歩百歩" という言葉がありますが。
これなんかも。。
50歩だろうが100歩だろうが「誤差」の範囲。
大して変わりないでしょ、というコト。。
50と100では、倍も違うけどね。
50歩だけ逃げようが、100歩も逃げようが。。
逃げたことには変わりないですよ、という故事に基づく言葉。。
大昔、中国の戦国時代のコトだから。
それで王様も含め、みんなが頷いたのでしょうが。。
もしも、現代だったら。
50歩と100歩は同じハズがない、って言い張る人も少なからずいる。。
時代によっても "許せる「誤差」" は違いますよ。。きっと。
"五十歩百歩" という言葉は、どちらかと言うと。
マイナス方向への行動に対して使う言葉。。
プラス方向への行動に対しては。
どうだろう。。
例えば。
いいコトを50回した人と、100回した人。
どっちがいい人なのか。。
神が存在するとしたら。
なんて答えるだろうか。。
この世界には「誤差」が存在する。
いや、もしかすると。。
「誤差」だらけなのかも知れない。
「誤差」を許しながら。
生きているんだ。。
寸分の「誤差」も許せない、というような姿勢では。
きっと "生存" すら危うい。。
『ごさ』は。
寛容に、許容するとしよう。。
それがプラスの「誤差」でも、マイナスの「誤差」でも。
許して受け入れてしまうんだよ。
最期には結局。
みんな同じことだったんだな、と。。
解ることになると思われますぞ(ニヤリ)。。。
Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。
いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。