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一周回って思い出したこと
しばらくぶりのnote。立ち寄って下さってありがとうございます。
これまでの私の記事の多くはアルツハイマーで施設に入っている母、そして家で一人で暮らす父について綴っています。
ところが、これを書かないとどうしても先に進めないのではないか。と思うところがあり、これまで自分の書いてきた記事を振り返っている間に一ヶ月もたってしまいました。
この3カ月のnoteを振り返ると、私はやはりかなり父を責めている。
でも、この頃すでに色々気がついてたんじゃないのか?私。▼
忘れていた父を思い出した
実は父は母と離れてからの一年でかなり変わりました。
というより、父は昔の父に戻っただけ。
さらに言えば私達の方が長い間昔の父を忘れていた。ということです。
母に認知症の症状が顕著に出ていたと知った頃、黙っていた父を責めるだけでした。
ひょっとしたらその父の性格が母を追い詰めて壊したのではないか?ぐらいに思っていました。
しかし今現在の父を客観的に見て“それほど問題な人ではない”と確信できる。
私達に戻ってきた思いと疑問
私も姉も徐々に思い出し始めていました。父はそんなに責められるべき人なんだろうか…
母は私達が家を出てからの30年間、父本人の前で父への批難を私達に訴え続けた。そしてその時間こそが母にとっては癒やしだった。今考えるととても怖い。
母から父への文句を聞かされ続けた私達。いつの間にか父と言う人の印象がすっかり変化してしまっていた。
父はすこしずつ元に戻っていった
母と離れた父は、最初こそ責任感と罪悪感から意固地になっていましたが、その後徐々に、そしてこの春ぐらいからは目に見えて素直になっていきました。
私や姉と食事をしたり家のことをするようになるに連れて、お互い昔のように話をするようになった。すっかり忘れていたが、かつて私達は関係の良い父娘だった。
母は配慮を要する人
父の話からは母と一緒になってからの60年間、母に色んな面でとても配慮をしてきたこと。そもそも母という人を“配慮を要する人”だと思って暮らしてきたことが伝わった。
家を整理をしながら、父が我が家を運営するため一人で頑張らざる負えなかったことが私にも理解できる気がした。
でも父は何でも1人で抱える。私と違ってそれで崩れることもないのが不思議だけど、大事なことは何も言わない人だった。
さしのべられた手をようやくつかんだのか
思い返せば、母系の祖母や伯母たち、母の主治医先生。時に父に助けの手を伸ばそうとしてくれていた人達がいたんだと思う。
母の吐く文句はそんなに生易しくなかった。
でも、何故かそこに悪意がないようにも私には思えた。
そのことが少し恐怖でもある。
この自意識なく人を傷つけることこそ、母の抱えてきた特性や事情の一部だと思う。
解放されたのはこっちだった
私達は当初母を施設に入れ、母はようやく父から解放されたと思っていた。
でもこれは全く逆。
解放されたのは父の方だったんだと思う。
今母はまた同施設内の入居者のお一人を悪口の矛先にしている。
母はアルツハイマーなので、一見被害妄想かのようにも見える。でも私から見るとこれは昔から変わらない、小学生がやるようなひそひそ内緒話だ。
愚痴は私達にしか吐いていないようで、ご当人始め施設の皆さんに大きく迷惑はかけていないのが幸いだ。
皆思うところはそれぞれあるが、父も私も姉も変わらず施設に行き、何気ない話をして過ごすようにしている。今となっては母自身のためにも、周りのためにも母に気分良くいてもらうことが最善だと思うし、それが父の望みでもある。
果たして父は自分が解放されたことを自覚してるんだろうか。