ひとりじゃないから かなしまないで
昨夜投稿するつもりでいた記事です。月が綺麗だな、土星が撮れたな。なんて思っていたら朝になってました。
見出し画像は昨夜の月&土星です。ついでに昨日アトラス彗星を肉眼で見ることができました。
3連休最後の日。
私は今母のところに面会に来ている。とは言っても母と会話することはないんだろうと思う。横で母は気持ちよさそうにスヤスヤ寝ている。
私が部屋に入って、〇〇だよ。来たよ。と声をかけると母は言葉にならない声を出す。誰か近しい人が来たことはわかってくれていて、こんな状態でも必ず伝えてくれる「声が出ない」という言葉を。
ふと思って私はノートに「こえがでない?」と書いて見せた。すると母は頷いた。でもそれ以上お互い意志の疎通ができない。それでも私は母に何かを伝えたい。
そして思わず「ひとりじゃないからかなしまないで」と私は書いて見せていた。母はその文字を見つめていたが、解っているのか解らないのか、深い息をはきながら頷くように目を閉じた。
この部屋に入る前の廊下に七夕のイベントの写真が掲示されていた。最大の笑顔で笑う元気そうな母がそこにいて思わずグッときた。母が倒れたのは七夕を過ぎたころだったな。
今の母はただ穏やかに眠っているだけだ。
スヤスヤ寝ている母の横でnoteを書いた。
そして今帰り。
さっき私はなぜ「ひとりじゃないからかなしまないで」なんて書いてしまったんだろうと考えていた。
実は先日伯母の一人が他界した。聡明で温かい伯母だった。私や姉が大人になる前の頃、彼女は私達の話をよく聴いてくれた。両親もこの伯母をとても信頼していた。他でもない、母が私と混同しているという母の姉だ。
しかしその伯母は思わぬ事情で、厳しい人生後半を過ごすことになった。
そして身内の誰にも看取られず一人旅立ったことを私達は先日知った。母は知るよしもない。
ひとり旅立った伯母のことが心にあり、「ひとりじゃないからかなしまないで」なんて言葉をかけてしまったんだと思う。
応答がなくとも同じ空間にいる母の存在を率直にありがたいと感じた。信頼できる誰かと同じ空間にいられることは母にとっても私にとっても安心できるということなのかもしれない。
こんなことを想いながらも、また180度違う思いも浮かぶ。
母だって伯母だって私に憐れんでもらいたくないんじゃないか。人の人生をかわいそうだなんて、かなしいだなんて。私はどこから見てものを言ってるんだ。強くもあった伯母に「人の人生を勝手に憐れむな」と言われるかもしれない。そんなこと他人が決めることじゃない。親でも子でも自分じゃなかったら他人だもの。
なんて。様々な想いを巡らせながら私は今帰途についている。