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チームアップの成功者 ジャガールクルト

こんにちは!

 今回は技術者(エンジニア)である筆者のお気に入りであり、尊敬する時計メーカーのひとつ
「ジャガールクルト」についてお話ししていこうと思います!

 パテックフィリップやロレックスのような
知名度や、派手な要素はないジャガールクルト
ですが、ブランドの誕生の過程を見ていくと
筆者が同じ技術者として、ビジネスパーソンとして共感と尊敬の念を持つ
そんな渋い時計メーカージャガールクルトの歴史をご紹介していこうと思います!

それではいってみましょう!

・若き技術者の立志

 ジャガールクルトの歴史は、1833年に「アントワーヌ・ルクルト」という技術者がフランスの国境の近くのスイス・ジュウ渓谷という山間の街で時計の部品の歯車を作る機械を発明して、部品を作る工房を立ち上げた事からはじまりました。
 その頃のジュウ渓谷では、スイスの時計産業の中心地だったジュネーブで時計を作る職人たちに時計の部品を作って提供する部品職人たちが数多くいました。 

 これは16世紀に始まった宗教改革によって
起こった戦争でスイスに亡命してきた時計職人たちがジュネーブに集まりすぎてその密集を避けた人たちが集まったのがジュウ渓谷だった事が、
このジュウ渓谷が下請けで、ジュネーブが本丸といった関係性になった理由です。

(16世紀の宗教事情とスイス=時計になった理由について「パテックフィリップの歴史②」でお話ししているのでご興味ありましたら見てみてください!)

 そんな中アントワーヌ氏は自分の周りで歯車
以外の他の部品を作っている職人たちから部品を集めて自作の時計を自身の工房で作るようになります。

・技術発展への貢献

 まだジュウ渓谷での時計作りが盛んではなかった中で、自分の作った歯車と他の部品を集めて
時計作りを始めたアントワーヌ氏はその後、1844年にミリオノメーターという細かいところまで測定ができる機械を発明して、より精密で正確な時計作りを効率的に行えるようになります。
 1847年には取り付けられたリューズを使って
動力のゼンマイの巻き上げと、ボタンを押すと
時刻合わせもできる時計を開発しました。

 そして1851年に開催されたロンドン万国博覧会に出展してその高い技術力による精度の高さと、時計を作る工程の一部を機械化することによって向上した効率的な時計作りが評価されて金賞を授与されました! 
 また、アントワーヌ氏が開発したこの時計の仕組みは、他の時計職人たちも真似できるように特許を取得しなかったことで世の中にこの技術が広まることになります。
 ちなみにこのアントワーヌ氏の時計、1844年にパテックフィリップが発明した時計の仕組みと
ほぼ同じ仕組みの時計で、このパテックフィリップの時計も1851年のロンドン万博で金賞を授与されていますが、パテックフィリップの時計は
特許を取得していて他の時計職人は真似できないものでした。 
 こうして奇しくも同じような時計を作った両者は、時計の仕組みの特許を取ったか取らなかったの違いでその後両者の成功の仕方もまた違ったものになっていきます。

(パテックフィリップの時計については「パテックフィリップの歴史③」でお話しさせていただいているのでご興味あったらぜひ!)

・チームジュウ渓谷、発足

 1866年にアントワーヌ氏はジュウ渓谷である
行動を起こします。それはジュラ渓谷にいる時計部品職人たちを集めて時計の中身のムーブメントを自分たちで製造まで行って、それをジュネーブの時計職人たちに提供しようという試みでした。
 時計作りをするのはジュネーブの職人だけじゃなく、自分たちジュウ渓谷の職人も時計を作って自分たちの技術力を世に知らしめよう!そして、みんなで大きくなってこの街を盛り上げよう!
という思いがあったのではないかと私は思いました。

 こうして部品作りからそれらを組み立ててムーブメントにする工程を一手に行う
「Le coultre&cie」という工房をアントワーヌ氏とジュラ渓谷の職人たちで立ち上げました。
 この工房が今の「ジャガールクルト」の前身に
あたります。 そしてこの試みは成功して、様々なジュネーブの時計職人たちが自分たちの時計作りに役立てていくようになります。
 1881年にアントワーヌ氏は亡くなってしまいますが彼の意思を継ぎ、その後も着々と成長して
1900年頃までに350種類以上のムーブメントを製造して、送り先の中にはパテックフィリップやヴァシュロンコンスタンタンなどの有名な時計メーカーにも提供するレベルにまでにこの工房は
成長しました。 

・天才との出会い

 チームジュウ渓谷の時計工房は順調に成功を
納め、彼らの名前は国外にも広がっていきます。 そんな噂を聞きつけて1903年に1人の人物が彼らに仕事の依頼を持ちかけます。この人物との出会いがのちに転機となっていきます。
 その人物は、「エドモンド・ジャガー」というフランス人の時計職人でした。 ジャガー氏は自らが発明した超薄型のムーブメントを実際の形にして作ってほしいと持ちかけてきたのです。 

 フランス海軍に高い精度が要求される船舶用時計を納品する職人で、パリっ子たちにもウケるおしゃれな時計を作っていたジャガー氏は高い技術力を持っている集団がジュウ渓谷にいると噂を聞きつけて依頼、と言うより挑戦状を叩きつけにきたのです! 
 結果的にこの依頼を引き受けることになり、アントワーヌ氏亡き後責任者を務めた孫の「ジャック・ダビド・ルクルト」とジュウの職人たちの工房はこの課題に挑戦して、見事この依頼の時計を完成させました! これによってジャック氏たちはジャガー氏に認められて提携を結ぶことになります。 この提携をしたことによってその4年後の1907年に転機が訪れます。

 提携後の1907年のある日、ジャガー氏の作る時計の顧客であった高級ジュエラーのカルティエが自分たちに時計のムーブメントを提供して欲しいと依頼してきます。 ジャガー氏はこの依頼を受けて、15年契約でジャガー氏が扱うムーブメントをカルティエ専用に提供する契約を結びます。
この提供するムーブメントの製造をジャック氏たちの工房が任されることになります。 
 こうしてルクルトたちの作る高性能なムーブメントを手に入れたカルティエは後に、世界初の男性向け腕時計サントスをはじめとした名作腕時計を世に生み出して行くことになるのです。

(カルティエについてのくわしいお話はまた別の
機会に!乞うご期待!!)

・積み上げられた実績の先に

 カルティエとのコラボでムーブメントを提供したジャガー氏とジャック氏たち工房の名前はヨーロッパ中の有力者たちにまで知られるようになっていきました。
 1930年頃にとあるイギリス人将校が戦地ではもちろん、スポーツなどの激しい動きをする時に何かの拍子に腕時計のガラスが割れてしまうのでこれを防げる腕時計はないかと色んなところで聞きまわっていて、その要望が巡り巡ってジャック氏たちの工房にまで届き、今度はガラスが割れずに使える腕時計の開発に着手するのでした。

 そして1931年に時計の本体を反転させることでガラスの面が手首側に来て、割れづらくするというアイデアを元に作られたのがジャガールクルトのアイコン的腕時計「レベルソ」でした。 

ジャガールクルト レベルソ
写真提供(Instagram) : yuki_watchsandcars


 画期的なこのアイデアと、反転させた時に表にくる時計の裏側に家紋などを彫ることができるサービスを行って、これが見事にヒット!
 軍人たちはもちろん、上流階級の貴族たちからも人気になり、ルクルトたちの工房の名はさらに有名になっていきました。 
 また、反転する機能以外に派手な装飾などがないジャガー氏が考案したこのシンプルなデザイン 1930年代に流行したアールデコという直線的な線で表現される装飾様式が取り入れらていて、実用性の高いシンプルなデザインになっています。 特にこのアールデコは当時パリよりも前にアメリカで流行っていて、好景気に湧いていたアメリカ市場を狙ったデザインでもあったんだと思います。 
 実際に1932年からアメリカへ販路を広げているので、ジャガー氏のデザインとビジネスに対するセンスもまた素晴らしいですね!

 こうして名前ではなく、技術を売りにして信頼と実績を積み上げていったルクルト一族とジュウ渓谷の技術者たちの工房は、1937年に正式に
エドモンド・ジャガー氏と合併して「ジャガールクルト」というブランドが誕生したのでした。
 そして今でも技術力の高さは健在で、複雑機構と呼ばれるトゥールビヨンのさらに上のジャイロトゥールビヨンがついた腕時計を自社製造が可能であったり、時計業界屈指の職人メーカーとして確固たる地位を確立しています!

・まとめ

 ジャガールクルトのブランドとしての誕生と
成功に至るまでのお話いかがだったでしょうか?

 1人の技術者から仲間を集めて、名だたるメーカーからも信頼される技術者集団になっていったその過程はメーカーの名前じゃなくて、
技術的価値を普及させて成功したまさしく技術者の誉れと言える偉大な歴史でした。
また特許を取得せず技術の普及に貢献したことによって時計を通してできた人との縁で成長していった事も筆者個人としては素晴らしい歴史だと思いました! 

 成功の仕方って色んな形があると思いますが、
1人で成功する事はどんな天才でも容易な事ではありません。 
 1人でではなくて周りの人や自分にない能力を持った人と協力し合ってみんなで成功する。 
 こういった成功の仕方ができれば自分はもちろん、他の人たちも幸せにできて何かあった時助け合って乗り越えていけて、さらなる成功を目指していけるのではないでしょうか。
筆者自身はこういった成功の仕方を目標にしていきたい思っています!

 今回はInstagramで腕時計や車、バイクを撮影して投稿されている
Yukiさん(yuki_watchsandcars)
からジャガールクルト レベルソの写真提供していただきました! 
ご協力いただき本当にありがとうございます!!

ジャガールクルトやロレックスなどの腕時計や
ポルシェ マカンS、マツダ ロードスターなどの車などなど…
かっこ良く撮影された写真を投稿されていらっしゃるのでぜひYukiさんのインスタも見てみてください!!


ここまで読んでいただきありがとうございました! 面白かった、そんな歴史があったのかなど思っていただけた方いらっしゃったらフォローやスキをしてもらえると執筆の励みになります!

よろしくお願いします!!

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