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エドワード・ボイトの娘たち
2013年に書いた記事を修正・加筆致しました。
書誌情報
Erica Hirschler, Sargent's Daughters: A Biography of a Painting, MFA Publications, 2009
あらすじ
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ジョン・シンガー・サージェントの「エドワード・D・ボイトの娘たち」にまつわるノンフィクション。エドワード・ボイトと妻のイサは、マサチューセッツ出身の裕福な夫婦で、アメリカ東海岸とヨーロッパを行き来して暮らした。自身もセミプロの水彩画家だったボイトは、パリでサージェントと知り合い、サージェントはボイトの娘たちをモデルに傑作を描く。
看板娘
《エドワード・ボイトの娘たち》はボストン美術館の看板娘で、ポスターやパンフレットにもよく使用されています。この作品の前にはベンチがあり、両脇には絵に描かれた大きな有田焼の壷も展示されています。美術館がそれほど混雑していない日も、この作品の前にはいつもたくさんの人がいます。
ボイト家の四姉妹
Erica Hirschlerさんはボストン美術館のアメリカ美術の学芸員です。本書は詳細な調査に基づく学術書で、それは短い記述であっても出典が明記されていること、巻末には長い参考文献リストがついていることからも分かります。フローレンス、ジェーン、メアリー・ルイーザ(イサ)、ジュリアの4人姉妹の周辺については、ヘンリー・ジェイムズの手記をはじめとするたくさんの資料があります。しかし、ボイト夫人や姉妹自身による日記や手紙は現存しないため、かんじんの姉妹については不明な点が多いようです。
そこで、同時代の似た境遇の少女の生活等に取材する他、親類による記録などをもとに姉妹の人生をたどっています。とはいえ、分かったことは姉妹の誰も結婚しなかったこと、及び家が裕福で信託財産からの収入があったため、職業に就かなかったことで、あとは
長女フローレンス(壷にもたれている) 従姉妹と同棲したが、晩年は精神状態を崩し、51歳で死亡
次女ジェーン(黒いドレス、前向き) 十代で精神病となり、生涯病気に苦しんだ。
三女イサ(左、赤いドレス) ほとんど分からず。
四女ジュリア(人形を持っている) 絵画の才能があり、作品を美術館に出品したこともある。
という程度で、詳しいことは謎に包まれたままです。残念ではありますが、特に際立った活動をしていない100年前の女性について、記録が残っていないのは無理もないことなのかもしれません。乏しい資料から書かれたノンフィクションであるにもかかわらず、読み物として十分おもしろい内容でした。
有田焼の壷
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ボイト一家が大西洋を横断する度に一緒に海を渡り、常に家に飾られていたそうです。後にボストン美術館に寄贈された時、中に「紙飛行機、ピンクのリボン、テニスボール、地理の宿題、バドミントンの羽」などが入っていた、というエピソードが一家の生活の片鱗を見るようです。こういった大きな壷は日本ではあまり見ない気がしますが、それもそのはずで、19世紀末に明治政府が欧米で流行したジャポニスムを後押ししたこともあり、大きな壷は特に海外輸出用に生産されていた、とのことです。
カーネーション、ユリ、ユリ、バラ
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《エドワード・ボイトの娘たち》はパリで描かれたフランス的な作品であるところ、サージェントのもう一つの傑作、《カーネーション、ユリ、ユリ、バラ》は《ボイトの娘たち》のイギリス的な翻案である、という指摘です。サージェントは、パリのサロンに出品した《マダムX》が酷評された後、ヘンリー・ジェイムズの勧めもあってイギリスに渡ります。
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サージェントが、渡英後、最初に公に出したのが《ヴィッカーズ姉妹》でした。しかし、「フランス的に過ぎる」としてイギリスでは好意的には受け入れられませんでした。
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そこで、サージェントは《カーネーション、ユリ、ユリ、バラ》に着手しました。これはロンドンの王立美術院に展示されるや賞賛を受け、国家により買い上げられました。《ボイトの娘たち》と《カーネーション…》は一見したところ、類似点は少ないように見えますが、
「子供たちを描いた作品のうち、一方は室内に、他方は屋外に場所を設定しているが、共に光をとらえることを真の課題としている。ボイト姉妹の肖像画で、サージェントはモダンなフランスの室内における光と薄暗がり、影と反射を探求し、《カーネーション、ユリ、ユリ、バラ》では伝統的なイングリッシュ・ガーデンにおける黄昏と提灯の灯の効果を研究している。いずれの作品も少女たちに焦点を当てているものの、全体として、その性格描写は重要視されていない。(中略)少女たちは全員、白いドレスを着ている」(122頁、和訳は適当)
その上、どちらの作品でも東洋から輸入したもの(壷、提灯)が重要な小道具です。《エドワード・ボイトの娘たち》はエレガントで、謎めいたゴシック調の雰囲気があり、《カーネーション…》は何とも懐かしい黄昏の光を描き、それぞれに魅力的です。