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連載5/12 吟遊詩人様式とリヨン派

吟遊詩人様式の特徴

リシャール「オルレアン公ルイの死を悼むミラノのヴァランティーヌ」

「吟遊詩人様式」は、 1802年に、フルーリー・フランソワ・リシャールの「オルレアン公ルイの死を悼むミラノのヴァランティーヌ」がサロンに展示されたことに端を発します。特定の画家集団を「吟遊詩人派」というわけではなく、以下の特徴を持つ作品について、「吟遊詩人様式」というようです。

  • なめらかなタッチの歴史画

  • 緻密な細部描写

  • ドラマチックではなく、静かで親密なシーンを描く

  • 絵のサイズは小さめ

これらの特徴は、オランダ黄金期より影響を受けています。フランスが中心で、リシャールの他、アンリ・ルヴォワルなどがいます。ベルギーのHenri Leysやイギリスのリチャード・ボニントンも吟遊詩人様式の歴史画をのこしています。吟遊詩人様式は、2月革命の起こった1848年にはほぼ終了しましたが、その後、19世紀を通じてアカデミズムに浸透しました。

リヨン派

シャヴァンヌ「夢」1883年、ウォルターズ美術館

吟遊詩人様式の絵を描いたピエール・ルヴォワルが開始した、ポール・シュナヴァール周辺の画家をリヨン派と称します。以下のような特徴があります。

  • 哲学的な道義や、宗教的な主題を好む

  • リヨンの啓蒙主義思想や、神秘主義、フリーメーソン思想への傾倒

  • 美術史上、ラファエル前派の先駆者と言える。特に、中世への興味、史実の正確な再現を目指したこと、柔らかい光に照らされた、ややぎこちないポーズの人物を描いた点が共通している(交流があったわけではない)。

1830年代に隆盛を迎え、51年にリヨン美術館が創立されて多くの作品が収められました。なお、リヨン派は独自の性格を持つわけではなく、地元の特徴を形成してアピールしようとする政治的な意向により作り上げられた、とする見解もあるようです。

ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ(1824-98)

シャヴァンヌ「パリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」、1898年、パンテオン

象徴主義の画家。リヨン出身で、地元への愛着は薄かったようですが、リヨン美術館の大きな壁画を描いています。リヨン派の一人と見なされ、1898年のシャヴァンヌの死亡を以って、リヨン派は終焉したとされます。

ルイ・ジャンモ(1814-92) 

ルイ・ジャンモ「『魂の詩』より 黄金の階段」1854年、リヨン美術館

リヨンの、カトリック信仰の篤い一家に生まれ、同地のアカデミーで学びました。アカデミーで一等賞を得て、パリに出るとアングルに師事しました。「魂の詩」の一部はアングルの「オシアン」の影響を受けています。大画面で、宗教的主題の絵を描き、ボードレールやテオフィル・ゴーティエ、画家ではシャヴァンヌ、ルドン、モーリス・ドニに賞賛されました。彼の主要な作品は18の油彩画と16の素描から成る、連作「魂の詩」で、リヨン美術館に所蔵されています。ジャンモは、ロマン主義と象徴主義の過渡期の画家とされます。アングル様式の入念に仕上げられた画面は、神秘主義の風味もあり、ドイツのナザレ派や、イギリスのラファエル前派の作品と呼応します。

バーン・ジョーンズ「黄金の階段」1880年、テイト美術館

後期ラファエル前派のバーン・ジョーンズは、ジャンモと同様に「黄金の階段」のタイトルの作品を描いています。ジャンモの方は、ヤコブの夢を思わせますが、バーン・ジョーンズの方は特定のシーンを意図したり、深い意味を込めたわけではなく、単に美しい光景を表現しているようです。雰囲気は似ています。


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