Nikky 2024/09/18~24
2024/09/18
来年閉館するという、佐倉のDIC川村記念美術館へ母と。最近よく歩いているからか(?)日向へ繰り出してひたすら写真を撮っていても、そんなに疲弊しなかった。トレッキングコースを無双した。良い写真がたくさん撮れた。
コレクションは西川勝人さんの個展「静寂の響き」が開催されていた。ドローイングや彫刻など作品形式は様々だったけれど、一番面白かったのは展示室丸々一つ使ったインスタレーションの作品。先を見通せる立体迷路のような感じで、腰上くらいの高さの壁が張り巡らされていてその上に彫刻作品が載っている。鑑賞者が歩くスペースにも作品が置いてある。そして、スプレーで描いたような黒いふわふわとした抽象画が掛けられている。
初めは一つ一つの作品にフォーカスして間近に見ていたけれど、徐々に視野を広げていくと「あ、これは庭園だな」と分かった。インスタレーションとは!空間芸術とは!このことかも!と思うくらい、展示室を丸ごと使うことの利点を目一杯活用しているように感じた。(ネタバレになるのでこれ以上は書かないけれど、ぜひ行ってみてください。気づいたことがあったら教えてください、あの作品について話したい!!!)
カタログを見たら、やはり西川さんは庭園を作ったことがある方らしいと分かった。良い良い、この感じ楽しい。
近くにイギリス食器を直輸入している店があるというので、そこにも訪れてキャロットケーキを食べて帰った。ケーキにのっていたマーマレードが本当に美味しくて…(瓶で買おうと思ったら12月まで入荷しないと書いてあった。ウウウ)
2024/09/19
怒ることについて考えていた。私は人前で怒ることはほぼ無いに等しい。喜びや嬉しさは全面に出す(というか出さざるを得ない)し、悲しくて泣きもする(たまに)けれど、怒ることはないなーと思う。
正確に言えば「怒りを表に出せない」かもしれない。でもこれは「優しい」とはちょっと違う。
「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないの!?」とか「今の言葉は私のトラウマ抉ってくるね!?!?」と思うようなことを言われたとして、瞬時にそれに反応することができない。言われた時はフワッとなんとなく場を流してしまって、あまり感情が湧かないのだけれど、半日〜1日くらい経ってからようやく「あれは流石にひどくないか!!」と心の中で一人で怒る。でも、私が怒り始めた時はもうすでに相手はそこにいないし、それを蒸し返すこちらの方が意地悪な気がしてしまって、結局自分の中で飲み込んで終わってしまう。そして、それらが着々と蓄積されて自分の心を蝕んで…パタリ。というフロー。
それを考えると自分のために(そして失礼なことをした相手のためにも)ある程度は指摘できるようにはなりたいと思う。だがしかし、私の場合はその勇気がないとか言葉に迷うとかそのレベルではなく、そもそも反応ができないという前段階なのでなかなか難しい。
今はとても親切で優しい人たちに囲まれているから、怒りの導火線に触れられる機会がそもそも少ない。(有難いことです)でも、これから生きていくために必要だな、と思っておりましたゆえ。
そして、私の言葉も誰かの心を蝕む原因になっているのかも、と心の片隅には置いておく。傷つける意図がなくてもそういうことは起こりうるから。
あと自分の性格に関して気づいたこと。
私は、自分が苦しいと感じた時は人が喜ぶことを考えることで救われる。かなり。だから、誰かに感謝の手紙を書いたり、誰かのために何かを作ってみたり、このnoteで好きな音楽やカルチャーについて愛いっぱいに書いてみたり。
そこには自分の苦しみはあまり反映させていない(つもり)し、それによって感謝されたいという気持ちが前面にあるわけでもない。(もしかしたら気づいていないところであるかもだけど。)それでも私は誰かが喜ぶことを考えることで、自分の心が救われる。
迷惑がられたり引かれることがないかどうかだけ気をつけながら。(うるさいと思ったら言ってくださいお願いします)
(こっそり小声で)これは直さなくてもよい性格だと思っている。
2024/09/20
そうそう、なぜ怒りについて考えていたかというと、歌詞を書いていたから。
初めは英語で怒るような歌詞で、解放のための歌を作りたいと考えていたのだけれど、徐々に言葉がなくなっていく感覚になってしまった。様々色とりどりおかしいと思うことは山ほどあるけれど、それを歌にするの難しいな!?と思った。
結果、日本語でやわらかーいほわっとした歌詞になった。どちらが良かったのかは分からないが、性に合っているのは後者。でしょうおそらく。
でもちゃーんと読むと、かなり苦しみとか悲しさとか迷い、戸惑いがぎゅーっと詰まっている。あとユーモアも入れて!
どこかで見せられたらいいな。
2024/09/21
フユさんのやっているコーヒー屋さん「ホニャララコーヒー」が出店するというので遊びに行く。なかなかタイミングが合わなくてお邪魔できていなかったから念願の。
コロンビア中煎りナチュラルのホットコーヒーを頼んで、一口飲んで…これコーヒー!?こんなフルーティーなコーヒー飲んだことない!美味しい!
チョコレートのよう、というのはコーヒーの味を表現するときによく使われると思うけれど、今まで飲んだ中で一番のチョコレートだった。しかもミルクチョコではなくて、カカオの果実味たっぷりなチョコ。
コロンビアで採った豆がたくさんの人の手によって運ばれて、ここにある。その旅が感じられたの。言葉で書くとなんだか胡散臭くなってしまうけれど、それくらいストーリーを大事にしているフユさんたちのコーヒーだと思った。
そして、フユさんのパートナーの方に会ったのも初めて。一緒にホニャララコーヒーをやっている。笑顔と言葉の端々から優しさが溢れ出ていて、それにつられてますます笑顔になるフユさんをみて、本当に素敵だし良い関係性と雰囲気を持つ人たちなのだなぁとしみじみ感じた。
いろんな知り合いが遊びに来て話して出てゆき、また入ってゆき。そんな温かい場所を作るのにお二人はとても長けていると思った。
KOU Bakeryのパンもとってもおいしかった!
フユさんたちにさよならを言ってから、神保町視聴室へ。アユトーキョーさんと大好きなバンド・砂の壁のボーカル、オボさんが出演するというので、こりゃ行くしかない!好き×好きコンビではないか!
リスナーとして好きだったアユさんにレコーディングをお願いしたというオボさん、それからの砂の壁とアユさんチーム(COMPLEX)の関わり。それからたくさんの人に伝わっている砂の壁の音楽。
そのストーリーの始まりと今現在、これからがスッと見通せたようなライブで、ロマンとエモがぎゅっと詰まっていた。憧れの人と一緒に作品を作って、一緒に演奏するなんて…なんて素敵で愛おしい瞬間たちなんだろう。と、二組のただのファンがうるうるしていた。
「頑固もの」「楽園」のお二人のパフォーマンス、あれは永久保存版にするべきだと思うほど素晴らしかった。
2024/09/22
はやうぉきした。何億年かぶりの6時前起き。(そんなでもない、春に早起きした。)半分寝ながら新幹線に乗り山形へ。親の実家へ帰省するタイミングで、せっかくなら山形駅周辺を覗いてみようと思ったのだ。
去年よりギャラリーや本屋や美術館に関する知識というか、どう探したらいいかとか雰囲気で自分の興味に当てはまるかどうかとか、そういう感覚が身についてきた気がするから、ふらふら一人でお散歩しても楽しめるだろうと踏んだ。
案の定とっても楽しかった。確かに文化施設は少ないし規模もそんなに大きくないけれど、それぞれにそれぞれの色を持った人たちと空気があるからそれを体感するという面で充実していたと思う。
今回は写真をたくさん撮った。ここに書ききれないから別に一つ記事を作ろうかなとも考えている。
でも今日のハイライトは「guraのランチに感動した」。それは間違いない。ローズマリーからはローズマリーの香りがして、マッシュルームからはマッシュルームの香りがする。それだけで感動するくらい。実は今まで私は何の香りも感じていなかったのではないかと思うほど。目の前にあるものから、その香りがしてくる。それって当たり前のようでそうではなかったのかもしれない。あんなに香りを楽しんだ料理は初めて。とりあえずずっと感動していた。
2024/09/23
今日も山形の各地を回りながら、最後に入院している祖父母の元へ面会しに行った。
病棟がある大きな総合病院に行ったのは久しぶりで、入った瞬間に感じる空気(おそらくアルコール)の特殊な感じがどうも苦手だったことを思い出した。なんかちょっと怖くなって早足で外へ出た。
2024/09/24
塩分と糖分が身体の中を巡り続けている。栄養バランスが偏った不健康な状態であることを内側から感じる。喉かわく〜〜
東京へ帰ってきた。またフル稼働、というか失敗してはいけない書類の提出があるためファイトする。何か目標があることはいいことだけど、私の場合はそれが終わるまで気を取られ続ける性質だから、先の提出が終わるまで落ち着かなかったということだ。
それすなわち、私の夏休みは先の目標で占められていた。でも、楽しいこともたーくさんあった。嬉しいこともたくさーんあった。
頑張る時と楽しい時とのグラデーション、時にそれがクロスしながら過ごす。そんな夏休みだった。
夜は好きなヨガの先生たちのリトリート(スペシャルレッスンみたいなもの)があったので受けに行った。参加人数は少なくて時間は長めだから、先生たちがじっくりポーズ解説やサポートに入ってくれる。いつもフワッと通り過ぎてしまうところまでしっかりと観察できたから良かった。3時間があっという間。何より先生たちがかわいかった。(そこ)