正しさとは、自分のこと強く信じること
気に入った曲を見つけると、熱が冷めるまでは何度もリピートして聴くことが多い。
今回もそんな3曲です。
2021年に漫画『進撃の巨人』は完結した。人類と巨人との戦いを描いた大人気作なのだが、僕が結末を知ったのは今冬のことである。
連載が始まったのは2009年だが、つい数年前まで読んだことすらなかった。
友人からグロテスクな描写が多い、と聞いており、そういった描写はあまり好きではないので嫌厭していたのだ。
観始めたのはコロナ禍が始まったタイミングだ。当時大学生で、家にいる時間が多くなったため、アニメや漫画で時間をつぶすというライフスタイルになったことが大きい。
『進撃の巨人』を観ることになったのも、Prime Videoで観たことないアニメを探していたのがきっかけだ。
今思い返せば非常に愚かな選択だったのだが、当時の僕は夜ごはんを食べる時間に『進撃の巨人』を観ることにした。初めの内は何ともなかったのだが、グロテスクなシーンが増えるにつれ、ご飯が進まなくなり、『進撃の巨人』を観ること自体を避けるようになった。
そのトラウマから抜け出したのが、今年の冬のことだった。
冬の寒さに打ちひしがれて、コタツで丸くなっていたとき、「そういえば『進撃の巨人』の続き観てなかったなぁ」と思い出した。
そこから最終回まで観るまでの数週間はノンストップだった。序盤からは想像もしなかった怒涛の展開の行く末を知るために、心臓をささげる日々を送った。
ストーリーの全貌を知った直後、始めにやったことは、もう一度最初から観直すことだった。
観終わった直後なのに面白いのか、と思われるかもしれない。
ただ、『進撃の巨人』は、そうしたくなる物語だった。何も知らなかったときは憎んでいた相手なのに、すべてを知った後には憎んでいた相手と自分に大差がないことに気づかされ、結局何が正しいのか分からなくなる。
主題歌は、複雑な気持ちを抱く登場人物たち、そして僕に1つの答えを示してくれた。ただ、あくまで1つの答えに過ぎない。
野球好き、特に阪神ファンとしては、とても良い年である。
ラーズ・ヌートバー選手の"ペッパーミル"パフォーマンスや大谷翔平選手の「憧れるのをやめましょう」という世界一に導いた名言など、話題の多かったWBCの興奮冷めやらぬ中、プロ野球開幕。
開幕後から徐々に調子を上げた阪神は、首位独走の態勢を確立した。
しかし、ここ最近の阪神は負けが増えてきている。5月に19勝5敗という歴史的な勝数をあげた時期を知っているが故、もどかしさも大きい。
最近、阪神ファンである会社の先輩と話すときも、ぼやきが止まらない。
「阪神戦を観るのをやめましょう」
WBC開幕からプロ野球開幕までは数週間ほどずれていた。
WBC熱に浮かされ、なんだか野球が観たくなり、オープン戦を観に行った。
オープン戦は公式戦ではないため客入りも少なく、チケットも安い。
だから、普段は高額な席のチケットも手が出せる。その日も選手たちに近い内野席のチケットを買った。
野球観戦の楽しみの一つとして、選手それぞれの登場曲が挙げられる。
ピッチャーならマウンドに上がるとき、バッターなら打席に入るときに、好きな曲を流せるのだ。
ある選手が打席に入るとき、Klang Rulerの『タイミング ~Timing~』という曲が流れた。知らない曲だったが、キャッチ―なサビは何回も聴きたくなるものだった。
(その思いに反して、打席は中々回ってこない)
後で知ったのだが、この曲はKlang Rulerのオリジナルではないらしい。
原曲は、90年代のバラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』発の音楽グループ・ブラックビスケッツ。南々見狂也(南原清隆)、天山ひろゆき(天野ひろゆき)、ビビアン(ビビアン・スー)の3人で構成されていたそうだ。全然知らなかった。
バラエティ番組発にしては、といっては失礼かもしれないが、曲はものすごくしっかりしていて、CDは140万枚売れたらしい。
改めてサビを聴き、ふと、まだ幼い甥のことを思い出した。
甥は幼い子どもだから、マイペースである。
僕が昼寝をしようと思って、仰向けに寝転がっていても、「どうぞ!」と元気いっぱいにカード(のようなもの)を渡してくる。
カードを受け取り、「ありがとう」と言って再び寝ようとすると、どこかから再びカード(のようなもの)を取り出し、「どうぞ!」と再度渡してくる。
あ、これ一生終わらないやつだ、と気づき、少し笑ってしまった。
きっと、大人からこんなことをされたら、ムッとしてしまう。
でも、甥からなら、笑ってしまう。だから、甥は甥のままでいてほしい。
いつかは空気を読むことを覚えてしまうから、少なくとも今は自分が正しいと思う、甥のタイミングを大切にしてほしい。
それが、愛おしいタイミングだから。
2022年7月、小説家である故・氷室冴子さんのデビュー45周年を記念して、小説『海がきこえる』の新装版が発売された。スタジオジブリでも長編アニメ化された90年代屈指の青春小説である。
(来月には続編『海がきこえるII アイがあるから』も新装版が出ます。)
『海がきこえる』を知ったのは、数年前のこと。当時大学生だったころだ。TSUTAYAのジブリコーナーをブラブラしていたとき、『となりのトトロ』や『耳をすませば』などの有名作品に挟まれた見慣れないタイトルに目が引かれた。
『海がきこえる』
『海の音がきこえる』ではなく、『海がきこえる』。
舞台は、海にほど近い高知の高校であった。
物語は、高知の高校を卒業し、東京の大学に進学した主人公・杜﨑拓が、家庭の事情で東京から転校してきた武藤里伽子との高校時代の出来事を回想しながら進んでいく。
拓と里伽子は似ても似つかない。
拓は、海のようにあらゆるものを受け入れてくれる大らかさがありつつも、時に意地を張ったり無鉄砲な行動をしたりもする。成績は中学の頃からだだ下がりし、高校では学年下位に転げ落ちてしまっていた。
一方、里伽子は容姿端麗で成績もトップクラス。しかし、気が強く、他人に弱さを見せない性格で、同学年の女子と折り合わないことも多かった。
高校では付かず離れずの2人だったが、大学生になり少しずつ関係性が変化する過程が、まるで自分が体験したかのような妙なリアリティをもって
体の中に入ってくる。
読んでいて、2人の青春を取り戻してほしい、と心から思えた。
個人的なことなのだが、里伽子には非常に思い入れがある。
普段は気丈にふるまう人が、たまに見せる弱さに愛おしさを感じるからだ。
複雑な家庭事情を抱え、縁もゆかりもない高知へと引っ越してきた里伽子。
同学年の女子ともそりが合わないし、弱さを見せられない性格が故に、孤独にもなりがちだった。
そんな里伽子にとって、拓は心の拠りどころになっていく。サンドバッグのように、何を言っても受け入れてくれる拓が近くにいて、里伽子が救われていくことが何より喜ばしかった。
拓に対して愚痴や悩みをぶつけ続ける姿は、人に依ってはワガママに見えるかもしれない。
だけど、ずっと悩んで、もがいてきた人には幸せになってほしい、と思うのです。
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