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仕事が好きなのに転職を繰り返し、嫌なことから逃げ続けた社会人6年目がようやく辿り着いた場所

みなさん初めまして!GMOタウンWiFiに所属しているのんにゃんと申します。

こんな記事や

こんな記事で

のんにゃんに見覚えがある方がもしいらっしゃったら大変感激でございます。そうです、同一人物です。私、生きてます!

前者の記事では、「10年後も同じことが言えてるか見てみたい」と多少揶揄されたようなリアクションもいただいていましたが、5年以上たった現時点では紆余曲折がありながらも、大変ありがたいことに変わらない想いで働けているかなと思います。

さて、新卒の大手を半年で辞めた記事、そして3年目でニートした記事を書きましたが、それからというもの、4社目を退職した2019年の27才時点で心身ともに疲弊し、フリーランスとして働くことにしました。「フリーランスになる」というと一般的には「独立」と同義で捉えられますが、私の場合はそんな華やかなものではなく、むしろやや後ろ向きなものでした。正社員になってもすぐに辞めたくなってしまう。入社 / 退社の手続きが面倒だし、退職の意向を伝える際のメンタルの擦り減りも大きいものでした。

今回は、"GMOタウンWiFiに所属する" のんにゃんとして、タイトルにある通り、どんな嫌なことから逃げ続け、どこに辿り着いたかを赤裸々にお伝えできればと思います。ちなみに、雇用形態は業務委託ですが、正社員とほとんど変わらない働き方で2021年の3月から所属をしています。

新卒から数えると、ここで6社目となります。

私と同じように、仕事が好きなはずなのに転職を繰り返してしまう、会社で働くことが窮屈だと感じる人に、何か少しでもお役に立てれば幸いです。

何から逃げ続けたのか

結局、何がそんなに嫌だったのか、それは会社を辞めるほどのものだったのか、そんな疑問が生まれるかもしれません。もしかしたら、世の中のサラリーマンはみんな同じような気持ちを抱き、それを我慢し耐え忍んでいるのかもしれませんが、他人の気持ちの真相など分かり得ません。それに、我慢のレベルは人によって全く異なりますし、もっというと、そもそも我慢なんてすべきでない、というのが私の本音です。

それでは、私が逃げ続けた3つのことをあけすけにお伝えしていきます。

1. "職種" に囚われること

自分が今、興味があることややってみたいことを、今すぐやりたい、ずっとそう思ってきました。学生時代にインターンをしていたのですが、その時は営業とデザイナーを両方同時にやらせてもらい、社会人になっても同じことができると思っていました。なので、就活の時にそれが叶わなそうだと知り、落胆したのです。結局、営業をとったのですが、すぐにデザイナーに転向することになりました。そして今は、簡単にいうと組織開発のようなところに行き着いています。

「営業」として入社したら営業しかできない、「デザイナー」だったらデザインしかできない。この世には私なんかより遥かに超越した才能の持ち主がいることを、このインターネット時代でいとも簡単に知り得てしまうにもかかわらず、自分が頑張って何か一つの道を極めてプロっぽくなろうとしなければならない理由はどこにあるのだろうか、そんな気持ちでいっぱいでした。

もちろん、仕事をする人間としての市場価値ですとか、企業側から見た従業員としての便利さですとか、そういうものがあるのは分かっています。しかし、それではなんのために生きているのか分からなくなってしまうのです。人生を通して、「仕事ができる人」にならなければならないのでしょうか。

一つの道を極めて、仕事ができるようになればどんどん楽しくなる、そういう論理も納得できます。でも、その領域に達するのはいつになるのか、私が出産する前に可能なのか、子育てをしながらでも到達できるのか、そんな不安が目の前にちらつき、余計に集中できませんでした。シンプルに、今この瞬間の知的欲求を満たし、毎日が楽しいと思える、それではダメなのだろうかと会社を辞めたくなる度に思っていたのです。

2. "上司" というガチャに振り回されること

普通の組織に入り、自分がまだまだ若手あれば必ず上司がいると思います。私も転職回数から簡単に推測できるように、数々の上司がいました。組織によってタイプが違うのはもちろんですが、職種によってもタイプは異なりますし、そして当たり前ですが、結局は "人" によるのです。上司としての研修が会社で設けられ(一応)研修済みの上司もいましたし、若くても非常に優れたマネジメントができる上司もいましたし、仕事のスキルはピカイチだけどマネジメントはできないような上司もいました。

どの上司が自分につくか、それはほぼガチャだということが分かったのです。

ある程度私を理解した上で、どのチームに入れ、どの上司に管理させるかを考えてくれる会社もありました。でも、人事部が短時間で私のことを100%分かり得るはずはないのです。短時間と言わず、何度も面談を重ねたって同じでしょう。だから、ガチャなのです。色々な仕組みで上司という存在を薄めたりすることは可能だと思います。しかし、上司という存在がいる限り、何度も言いますがやはりガチャなのです。

ではなぜ、上司がいることで会社を辞めたくなってしまうのかというと、仕事のやり方をその人のスタイルに大きく依存させなければならないからです。人間ですし、そもそも画一的で完璧な仕事のやり方なんて存在しないと思います。それにもかかわらず、上司は上司でうまいやり方を部下に提案しなければとプレッシャーを抱え、部下は自分がいいと思うやり方を納得しないロジックで上司に覆されることもしばしばあるでしょう。どう議論を重ねたって、"仕事" でつながっている別々の立場の人間の意見が、完全に一致するなんて稀なことだと思います。

単純に、達成したいものに到達できればそれで十分なわけですが、世の中には不合理なことがたくさんあります。社内政治なんて、その極みだなと思うわけです。お互い嫌な気持ちを抱え、さらにパワハラやセクハラに両者共に怯えながら仕事をし続けるなんて、不健全だと思ってきました。

3. 放任されすぎること

職種に囚われるのが嫌、上司がいるのが嫌、そんなワガママなくせに、放任されすぎるのも嫌なのかよ…と失笑している方がいるかと思います。私も自分で自分に対して嘲笑しております。

自分を管理する上司という存在もいない、そして特定の職種でもない、つまり何の干渉もされることなく働かせてもらえる、そんな職場が2つほどあり、合計で2年半ほど働いていました。これまでのように、特定の職種に当てはめられたり、直属の上司がいる環境よりは遥かに生きやすかったのですが、自分が立ち上げたわけでも、所有しているわけではない会社のサラリーマンとして、その会社の事業に100%共感し、今後の将来像にも100%同意する、なんてことは難しく、自分のモチベーションを管理し、自分を奮い立たせ、やるべきことを見極め実行するということが、難しかったと素直に認めたいと思います。お恥ずかしい限りです。

「仕事は仕事」と割り切って、自分の人生や感情とリンクさせたいと少しも思わない人間ではなかったことも一つの原因だったと思います。

自分には何か突出したスキルやセンスもなければ、地道に積み上げてきた成果もない。さらには何かを妥協して我慢できる性格も持ち合わせていない。そんな28才の自分をどう扱って今後の人生をやり過ごしていくべきなのか迷っていたところで、今所属しているGMOタウンWiFiに出会いました。

GMOタウンWiFi、そして「ホラクラシー」との出会い

今後貢献していきたい会社を探すために、WantedlyYOUTRUSTを眺めていた時に、今時ちょっと珍しい内容のスカウトメッセージが届きました。

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素っ気ない文章だと思う方もいるかもしれませんが、私にとっては逆に新鮮でした。最近のスカウトメッセージはすごく長文なことも多く、ある程度の層に絞って大量に送っていたりしますが、この文章からはそれを感じませんでした。それから、"代表"と言いつつ、他の方が運用していることもよくあることですが、実際にこの文章を送った人も、面談をしてくれた人も、代表の荻田でした。

1. "テンションが上がる仕事" を面談で聞かれた

面談で、「テンションが上がる仕事ってどんなことですか?」と聞かれました。私の肌感ですが、私の人となりや、職種を問わずモチベーションの源泉を聞いてくれるのは第二新卒に当たる25才頃までです。それ以降は、私自身がデザイナーだったこともありポートフォリオだけで判断されたり、これまでの経歴を一通り述べるのみでした。この類の質問は新鮮というより、「久しぶりだな」という感覚でした。

ちなみに回答としては、私はさまざまな職種を経験してきましたが、根底にあるのは "組織の母" のような存在になることで、実際に直前の会社ではそれに似たようなことをしていたので、「偶然にも同じ組織に集まった人間たちが、ストレスなく楽しく働けるようにすること」と答えました。

この質問の背景には、社長である荻田さんが組織に関わるすべての人を尊重する人であるというのが一番大きいですが、実は、次に紹介するホラクラシーの片鱗でもあったのです。

2. 「ホラクラシーを具現化していきたい」これが一つのミッションとなった

「ホラクラシー」 という組織構造をご存知でしょうか?ティール組織などと混同されることが多いのですが、かなり大雑把に説明すると、ティール組織は概念であり、ホラクラシーはその実践です。

ホラクラシーでは職種というカテゴリーは存在せず、業務をすべて 「ロール(役割)」に分解し、そこに対して人間が担当します。例えば、「人事」という枠組みではなく、「採用」、さらには「Wantedlyの運用」といったようなロールが存在し、それぞれに担当者がいる、といった具合です(あくまで一例であり、「人事」というロールが存在する可能性もあります)。

さらに、ロールには「目的」や「請負う業務」などが明確に定義され、それぞれが独立して自分の役割を果たすための方法を考え、実行していくのみなので、上司のような存在に介入される心配もありません。誰かに自分のリソースを管理されたり、仕事のやり方を押し付けられるということがないのです。

つまり、何が言いたいかというと、ホラクラシーという組織構造には「職種」の枠組みが存在せず、「上司」もいないが「放任されすぎる」こともない、私にとってはこれまで抱いてきた違和感をすべて解消してくれる目から鱗で溺愛せざるを得ないものだったのです。

このホラクラシーの具現化を一緒に手伝って欲しいと言われた私には、お断りする理由など一つもあるはずがありませんでした。

もちろん、組織に完璧などないと思います。私にとっては文句のつけ所がなかったとしても、他の人にはそうではないかもしれない。ホラクラシー自体もアップデートされていますし、課題はどこかに必ず存在し続けるでしょう。それでも、ある意味で私の生きる希望と言っても過言ではない「ホラクラシー」を具現化できるなんてまたとない機会だと思ったのです。


長くなってしまったので、今回はこの辺りで切り上げさせていただきます。

今後、このnoteではホラクラシーの原文の翻訳や解釈を、文字や図を用いて分かりやすく説明していけたらと思います。ホラクラシーをぜひ多くの方に知ってもらえたら溺愛者冥利に尽きます。

ホラクラシーだけでなく、コロナ禍における組織の適切なコミュニケーションについてですとか、組織に関するあらゆる学びや挑戦をまじで赤裸々に載せていきますので、同じように組織に向き合っている方々がいらっしゃいましたら、一緒にぜひ同志としてご意見等いただけたら大変嬉しく思います。

それでは!次のブログでお会いしましょう。のんにゃんでした!


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