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普通の保育学生

高校生くらいの時、将来何をしようかなと考え始めた頃から保育士になりたいと思うようになりました。

(上の写真は何かの授業で手袋で作った鳥です)

小学生の頃を思い出してみると

小学生の頃、弟がほしくて、でもうちには兄しかいなくて
でも小さい子って可愛いよな~と思っていました。

小学生の頃、ひまだし、小さい子と遊びたいという理由で小学校の
目の前にある保育園にピンポンして「一緒に遊んでいいですか?」と
訪問し、一緒に遊ぶほどでした。おやつももらってしまって。
当時の私は”保育士さんって子どもと遊んでこんなに楽しいのに、おやつまで食べられるの!最高じゃん!”という考えでした。




台湾の高校にいても、将来は子どもと関わる仕事がしたい。
台湾ではなく、日本の子どもがいいと思っていました。
台湾の子どもってそんなに可愛いなって思えなくて。
きっと可愛い子どももいるのだろうけど、私はあまり見なかったです。笑
後は、きっと日本の幼児教育はきっと素晴らしいんだ。となぜだか分かりませんがそう思っていました。
なので、日本の幼児教育をちゃんと学びたいと思いました。



2014年6月に台湾の高校を卒業し、保育科がある大学のオープンキャンパスに行き、行きたい大学を決め、さすがに日本の高校の勉強をするのは間に合わないので、ありがたいことに帰国子女枠があり、応募することにしました。
一回目の面接は落ちました。
その大学は、帰国子女枠が何か月後にももう一度あったので再度応募し、面接をしたらなぜだか見事合格しました。

面接というあのきっちりした空間が本当に苦手です。
人間性を見たいのなら絶対普通に話したほうが分かると思うのですが。と常に思っています。



大学生活は本当に普通でした。特別なことはなにもできなかったし、何かをする勇気もありませんでした。
当時は、ボランティア精神皆無だったので、なぜみんな海外にボランティアに行くのかが分かりませんでした。
自分のことで精いっぱいなのに、人のこと、しかも海外の人の手助けなんて出来ないよ。
しかも、日本にも困っている人沢山いるのになんで、みんなカンボジアに行くんだろうと頭の中が空っぽな人間でした。
貧困な人たちってカンボジアだけじゃないじゃん?他の国も貧困な人たちたくさんいるよ。日本人数人が行ったところで何か変わるの?って。

今はなぜだか分かりませんがそんなことは思わなくなりました。逆にそういう気持ちになってきています。誰かの役に立ちたい。自分のために生きる、から、誰かの役に立てるような人間になりたいと。
なぜでしょうね。



友達と呼ぶ人はそんなにいらない

大学1,2年生の頃はほとんど一人で行動していました。一人で学食で食べていました。恥ずかしいとか、孤独とかは感じたことがなかったです。
中にはきっといますよね。大学で一人は恥ずかしいとか、寂しいとか。私には全くなく。
この時はこういう性格でよかった~と思いましたね。

私は保育学科だったから、同じ学年の保育科の子たち50人くらいはいたので、顔と名前は分かっていました。会ったら話すし、みんな本当に穏やかで優しい人たちばかりだったので、私が一人でその場にいたら一緒にいようとしてくれていました。
しかし私は誰かと常にひっついたり、行動はせず、気の合う人だったらお互いが引き寄せあうだろうなと思ってその時まで待っていました。
大学生って、友達多くほしい。よっ友でもいいからほしい。とりあえず友達ほしいからイケイケなサークルに行ってみる。とかいう人ばかりで私は驚きました。
私は興味があったり、そのものをやってみたいな、と思ったものにしか出向かないタイプなので、とりあえずどんな人、誰でもいいから知り合い、友達がほしいような人のことを、くだらないなあと思っていました。

そんなふうに生活をしていたら、中には面白い人間もいるわけで、その人たちといつの間にかよく一緒にいるようになっていました。
そうそう、これでいいんだよ。
人間的に好きだから、一緒にいたいなと思えるようなそんな人になりたいし、そんな人と一緒にいたいのです。

アルバイトもいくつかしていました。

台湾から帰ってきたばかりの時は、近所のラーメン屋さん。途中で店舗の移転が決まり辞めました。
その後は近所のリサイクルショップの古着屋さん。ここでは自分でブランドを調べて定価を見て、セール品を見て、中古を見て、この店で売れそうな値段を決めて買い取りや、販売、レジ閉めなど全部やっていました。なかなかの難しい業務だと思いますが、一緒に働いてる人たちが良かったから4年間続きました。洋服もどんどん好きになり、色んなブランドを知れて、とても身になり、面白かったですよ。
あとは、
・親子の室内遊び場(2年くらい)
・インターナショナルスクールの保育所(1年くらい)
・住宅展示場のイベントスタッフ(人が来ずただ立ってるだけの時もあり)単発
・ケータイのキャンペーンガール(ただ立って店員同士でお喋りしてたら怒られた)単発
・工場みたいな所でシール貼り 単発

今思えば、居酒屋さんとかでやってみればよかったなあって思います。
飲食店で働けるようになっといた方がよかったなあって思っています。



世の中知らない仕事だらけ

保育学生といえば、実習です。
2年生から実習が始まり、保育園、幼稚園、母子生活支援施設、児童養護施設で実習を行ないました。
幼稚園は全部で4週間、他は2週間ずつです。

子どもと関わる仕事って、こんなにもあるんだと思いました。他には乳児院に行った人もいれば、療育施設みたいなところ、児童館で実習した人もいました。

世の中は知らないことだらけです。
ひとつ知れると自分の中で知識が入った!と思うかもしれませんが、そんなの世の中にあることの、ほんの0.00000001%くらい。
でも新しく何かを知れるって嬉しいですよね。



自分の感覚と大多数の感覚

4年生になれば、必要な単位はもうほぼとれているので、とらないといけない授業はほぼなくなります。
ここでもまた疑問が。
私のまわりの大学生、友達たちは、学校に行かなくてすむ!たくさんバイトしよう!そんな考えになっているのです。
でも、私の大学は、他の学部の授業を自由にとっていい大学なのです。
なのに、授業とらないの?色んなこと学べるチャンスじゃん。学費変わらないよ?学費無駄と思わないの?働くのなんて卒業したら嫌でも働くやん。と。
私の知り合いの大半が必要な授業以外、大学に行かない選択をとっていて、申し訳ないですが、理解不能でした。笑

興味があることをかじってみれるチャンスがあるなんて素敵!と思う私は、英語の授業、ビジネス中国語、日本語を教える側の授業、体育2つくらい等とり、毎日大学に通っていました。

そうすると、自分の学部にはいないような人とも出会え、いいなあと思える考え方の人に出会えたりと、最後の1年間がいちばん刺激的だなあと感じています。

長期休みはなにをしていたかというと、ほとんど台湾にいました。
台湾にいたり、オーストラリアにも友達がいるので2週間いたり、タイにも友達と旅行に行きました。
あとは、アルバイトをして過ごしていました。

行動力のある学生は、長期休みを使って、色んな活動をするんでしょうね。ボランティアだったり、インターン?だったりと。
なにか活動をやっておけばよかったなあと思います。
そうしたら世界がもっともっと広がりますよね。

大学費は高すぎます

この時期の気持ちや考え方はというと、本当に脳みそを使ってないくらい、将来どうなりたいのかとかは、考えていませんでした。
幼稚園か保育園どっちにしようかなーくらいです。
本当にのほほんと能天気に生きていました。
周りに守られ、支えられて生きてきたんだなあって感じです。
今思うのは、私を不自由なく生かしてくれてありがとうです。
本当に本当に大学費は高すぎて感謝の気持ちでいっぱいです。


私の大学時代は普通すぎました。

でも行けて本当に良かったです。大学でなにを学んだか、身になることはなんだったのか、と言われれば、ものすごく考えないと出てきませんが、卒業すると同時に、保育士と幼稚園教諭一種の資格がとれたので、今でも本当にそれは強いなと思っています。


次は卒業してからの就職先を書いていこうと思います。








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