キミのキャリア(前編)
こんにちは、T.Wです。
今回はある企業をご担当されている人材エージェントから、どうやって現職に転職したのか、なんで前職でインフラやったのか、etc聞かれました。
これまで他のエージェントの方や現職の人事にも、前職でも聞かれなかったので、新鮮な質問でした。その方から見て不思議なキャリアだったんでしょう。
なら何故オファーした?という疑問は残りますが...恐らくは現職の会社名から判断されたのだろう、と思います。
先日簡単な自己紹介を書きましたが、改めて今回はキャリアに焦点を当てていきます。
この記事を読んでほしい方
新卒、若しくは就職先に迷っている方、ITに参入したい方。
キャリアのアウトライン
まずはアウトラインから。
中小SIer(アプリ)→自社製品を売る会社(プリセールス、営業)→SES(インフラ)→非IT事業会社にて社内SE(アプリ・インフラ)
と、イメージ的には縦に深く、というよりも横に広げています。
今回は中小SIer(アプリ)を書いていきます。
最初の会社 ①入社まで
やっぱり、最初って大きいですよね。
昔は得たものなんて少ない、と思っていましたが、結構大きかったです。
私は就職氷河期の後半です。後にリーマンショックを迎えて人生がほんろうされていきます。
日本の転換期で派遣社員が多く出始めた時期でした。
そんな中、面接を3社ほど受けてみて、1社受かりました。それが最初の会社です。
ホリエモンが出てきて、何やらITが騒がれ始めてITバブルを迎えた時期なのかな?と思います。
確か、当時は120人請けに来て6人内定したので5%の合格率だったと思います。何故受かったかは分かりません。グループディスカッションでもみなさん何言っているか分からなかったけど、私は堂々と話した程度の記憶しかありません。
入社試験の最初ですが、私は営業マンになるつもりで受けました。
PCなんて触ったこと殆どありませんでしたから。
ところが、技術者の募集しかしていない、と言われたので、何となく受けてみました。
しかし、何やら面接は進んで、気付けば内定でした。
上場企業で大企業法は適用されているらしい、オフィスカッコイイ、土日休み、何やら技術者。こんな感じで気を良くし私は受諾しました。今思えば、アホですよね。大事な新卒カードをこんな理由で使ってしまっていたので。
で、入社...の前に、私はPCを触ったことが無い、というのは面接でも豪語していたので、設計書をコピペで作る仕事を研修が始まるまでの期間、アルバイトとしてアサインしてくれました。
時給は確か...1,600円だった記憶が。
ここでは、大きく分けて2点のことを学びました。
①眠たくても頑張る
→働いていると眠たくなるんですよね。コーヒーもたばこも効かない
無敵の睡魔です。コンビニ行ったり、顔洗ったり、メンソレタームを
目の上に塗ったりとかですね。(これは逆効果だった)
②ショートカットキーを知る。
一般的なものですが、コピペ、一つ前に戻す・進む、位ですかね。
エクセルすら初めて見たわけですが、楽しかった時期です。
これをお金貰って学べるなんて最高ですよね。特に②なんてインフルエンサーのnoteでは5,000円程度の有料記事だったりします。大学卒業間際は田舎のGSで時給800円でバイトしていたので、素晴らしい金額に思えました。
最初の会社 ②新人研修~現場デビューまで
最初の会社の新人研修は今思えば必要最小限ですが、地獄モードに感じられました。フローチャートとかさっぱりでしたし、Javaの研修もキツカッタです。Javaは結局、研修の教本(やさしいJava)以外にもう少し優しそうなものと、キツソウなものをやりました。それ以外には何をしていいか、何をしたら良いかすら分からなかったんです。
記憶も曖昧なので、サラッと書きましたが、兎に角最初の数週間は初めて父親と祖父をリスペクトしました。自分はこんなに死にそうに休日を迎えているのに、この人はこれを何年繰り返して、一体どれだけの地獄をくぐってきたのか...と思ったことは今でも記憶にあります。こんなにできない自分が嫌で色々もがいたのは人生で初めてでした。
最初の会社 ③現場デビュー
そうこうしているうちにいよいよ現場デビューですね。
面談を済ませて、いざ入場です。先輩社員にくっついて現場入りしました。全国で幾つかのシステムを開発している大規模プロジェクトです。
内部設計からプログラミング、結合テストまでのチームに入りました。やっぱり、クライアントが大手なので、現場はキラキラしてるんだろうなーーーーーと思いきや、昭和な感じの部屋でチョッピリ年季が入ったパイプ椅子やデスクであったことは今でも忘れられません。
まだ外部設計が炎上しているので、やることがないんですよね。出来ている外部設計書を読み込んでキャッチアップするしかありません。そしてあんまりやることが無いので、プロトタイプ開発へ移ります。
ん??Webアプリ?フレームワーク????Struts??eclipse???という初めてのワードを現場で聞く、という熱い状況に突入します。
最初の会社 ④現場でのプロトタイプ開発
何となくレクチャーを受けます。そしてこれを基に作れば良いから、と教えてもらいます。もうパニックですよ。HTMLとかtomcatとかもう、環境変数???パラメータ???今思えば、このときの知識が役に立っている(当たり前だ!!!アフォ!!!!!)という状況です。
もう、勉強するしかないんですよ。だって、待ったなしの状況で知らないことだらけです。周りから見たら地雷です。メッセージの見方からコードの書き方を本読みながら毎日先輩社員やら現場のエンジニアに聞きまくります。そしてキャッチアップも続きます。
プロトタイプは現場のエンジニアに幾つか引き取ってもらい、3画面位は作りました。そうして外部設計書が出来あがります。もう、クビを覚悟せざるをを得ません。この状態ではクビです。クビを免れるには選択肢は限られます。
①この絶望的な状況から爆速で成長し、超エンジニアになる。(無理です)
②仕様を熟知して、キーマンになる。
これしかないです。いよいよ、外部設計書のQAが始まります。
最初の会社 ⑤生き残れるかな
最初から入っている、私を含めたメンバーでQAを上げていきます。
まず、システムの全体像をメンバーで確認しました。ここである違和感を感じます。それは、システムの全体像を私が思ったより理解できていそうなことでした。正確には自社の先輩の理解がまだ乏しかっただけの気がします。
これは非常に幸運なことでした。ここから私のQAは円滑に進みます。これは嘘のような本当の話です。そしてプロパーが開発チームの体制を発表した時は、私は現場の方とも飲みにつれて行って頂いたり、みな、仲が良かったのでテスターでも居させてほしい位でした。
結果はチームを一つ頂いていました。コミュニケーションやQAをご評価頂けたとのことでした。同時に、エンジニアとしてはクソ以下のレベルであることもご理解頂いていました。私にはクソみたいなプログラムしか作れなさそうですが、それは他のメンバーがとても優秀なのでお任せして、仕様とスケジュールの調整をしてほしいとのことでした。これは今でもキャリアのハイライトの一つです。
最初の会社 ⑥チームリーダーを経験するもこれまたデスマーチ
チームリーダーがメンバーと作成する担当を決めて、スケジュール引いていくわけです。スケジュールに通りにモノを上げられるように課題を出しては、解決していきます。
時には他の機能のチームから調整依頼も入ります。
内部設計書のフォーマットも作成して、レビューして、進捗確認して、、、ということをしていきます。当然、仕様的な課題だけでもないので、技術的にも着いていけるように勉強したり、仲が良いエンジニアに聞いたりして進めます。
最初はnewとstaticの違いも分からないし、JSPとservletの違いも分からないクレイジーな状況からスタートです。
課題解決の資料、打ち合わせの資料、進捗資料、定例会で詰められて休日出勤...もう毎日リポD飲みながら仕事です。休みは2週間に1日です。現場サイドも36協定が心配になったのか、自社の営業に聞いてみて、と言われて聞いてみたら、「骨は拾うから気にするな!!!思いっきりやってこい!!!!」とかもうスーパークレイジーくん顔負けのクレイジーな世界です。
ちなみに現場では若いエンジニアも多かったし、スケジュールもメンバーが不足していてTBDな状況でしたので、PMは「リーダー定例は締め上げる場にしないよ」と言っていましたが...「メンバー未定???で、どうするの?納期は迫っているよ。リカバリーどうするの???」と詰められましたけどね。※複数人詰められております。
これだけやると、現場のエンジニアと仲良くなるので、今でもオンライン飲み会します。みなバラバラの会社ですけど、仲は良いです。夜遊びもこのメンバーから教わりました。結局大してプログラム組みませんでしたが、WebアプリのアーキテクチャからMVCの概念ミドルウェア、開発環境のパターンは覚えた、というか体に染み込ますことができました。基礎的な内容ですが、大いに礎として成り立っています。そうして時が過ぎ、最後は2徹して商用リリースも出来、チームは解散しました。気付くと2年位経っていましたね。
最初の会社 ⑦ここから駆け足で、金融危機まで行きます。
次の現場は金融です。提案資料から外部設計まで。これまたイカツイ現場で、不夜城と呼ばれている現場でした。これもまぁ、ハードなこと...金融の恐ろしさをうかがい知る現場でした。
で、システムが役目を終え、私も次の現場へ...
次は乗り物系です。ここでも特殊な経験をします。それは...海外出張です。ちょいと東南アジアで数か月仕事していました。
朝5時にコーランで起こされるのは最悪です。帰国間際はホテルのフロントのお姉さんにご飯誘われました。
彼女の友人も紹介されました。みんな夜は涼しいから昼間は働いて、深夜まで遊ぶようです。何度か遊びに行きました。半袖で帰国して日本は冬だったので、タクシーの運転手さんに「あんちゃん大丈夫???」と言われました。東南アジアではターバンの方もいらっしゃって、国際色豊かで面白かったです。やっぱり最初から炎上していたので辛かったですが...
帰国後も炎上案件は続いて、精神的にも大分追い込まれた時代もありました。親にも「辞めたっていいんだよ」と言われたこともありました。今思うと辞めたって良かったかもですが、まだ早かった気がします。
この辺りも面白可笑しいことは色々ありましたが、色々諸事情もあり、身バレの恐れもあり、控えます。
そうして、前編のクライマックスへ...
最初の会社 ⑧金融危機発生!!!休業の始まり
なんと、リーマンショックが発生しました。これは瞬く間に各現場の予算を削ります。私の現場も急に人が一人へり、また一人と...だんだん減っていきます。そこそこ粘れましたが、遂に私も切られて休業しました。最初の3日はこれまで炎上続きでしたので、癒されました。そこから2週間程度は不安な気持ちになります。
ハローワークにも顔を出しました。「結構込んでるなー」と思って行列に並ぶのをやめて喫煙所で知らなおいおっちゃんと情報交換をしました。
2週間くらい経過する頃には不安から気持ちよくなって廃人みたいになってきます。まぁ、完璧に金貰えるニートですからね。昼間はゲーセンに行って夜は映画見て、酒飲んで、寝るという生活が続きます。いや、向上心もなくなり、これが続いても良いな、とさえ思える堕落した生活を送っていました。一カ月半くらい続いたのかな、今思うとあんなに無駄に時間を過ごせたのは最初で最後です。これも今思うと良い経験ですね。
このころ、給料はありましたが、残業もなく収入が激減し、婚約者うまくいかずに別れて、お見合いパーティで遊んでいました。もうヤケクソでニート+人間のクズです。
最初の会社から出向 ⑨仕事もなくなり上京しました。
いよいよプロニートの期間も長くなり、ある日会社から呼び出されます。
「ここでは仕事が無いから、東京の子会社へ出向してほしい。転勤扱いなので、家賃補助は5年間、Max8万円/月でます。」来ましたね。天下りチャンス。当時、婚約をしたことはありましたが、実は一人暮らしもしたことが無く、この辺りから綻んでいきました。28歳にして一人暮らしのチャンスを授かり、上京します。中目黒が会社の近くなので、そこに住みました。
当然、中目黒がどういうところか分らず、ボンビーガール的に東京の不動産へ行きました。ここからは物語の舞台は東京に移ります。
次回は中編となります。さて、何が出てくるのやら...
前編の終わりに
ここまでは文系で完全IT初心者が奔走してきました。チームリーダーを経験したり、気付けば海外へ行ったと思いきや、帰国後は金融危機で、現場も失い、プロニートになり、気付けば上京させられます。完全に時代に翻弄されています。でも、なんとか金融危機も乗り切れ??て新しい物語が始まります。
ただね、、、実際は辛いこともたくさんあったけど、面白いこともたくさんあったんですよ。書きたいけど、書けない。
もし、今「キャリアが停滞しているなー」とか「モチベーション上がらねーな」という方は書ける範囲でしたが、最初の現場でがむしゃらに働く若者の姿を見て、熱くて体当たりだったあの頃を思い出して頂けたら、私はそれで幸せです。