「カリキュラマシーン」超斬新な教育番組はなぜ出来た?日本初!ディレクターが司会!意識したのは”子供を子供扱いしない教育番組”だった!?
土屋:『カリキュラマシーン』は、出られることになるわけですけど、あれはなんで出られた?
齋藤:さっきの話の続きになりますけども、短いシークエンスでもって、何かやらなきゃいけない。そのために『ゲバゲバ90分!』をやって『ゲバゲバ90分!』というのは、結局『カリキュラマシーン』をやるための練習台みたいなことなんですよ、ある意味でね。
3年やったらくたびれちゃって、もう(笑)。それで他の番組なんかやっていたんですけど、いよいよ、そろそろやるかっていうんで、始めた。
土屋:『ゲバゲバ』っていうのは、じゃあ視聴率が悪くて終わったんじゃなくて、制作側が、ヘトヘトだから、もう勘弁してくれ、と。
齋藤:もうヘトヘト。もう作家も何も出なくなりましたしね、疲れるだけ疲れちゃったんですよ。
土屋:『なんでそうなるの?』が挟まって、で……。
齋藤:『カリキュラマシーン』。
土屋:『カリキュラマシーン』に本来のやりたかったことをやろう、と。
齋藤:やろうって話になって、テスト版を作ったんですよ。これで、幼稚園と小学校1年生みたいなところへ持って回って、反応を見ようっていうんで、いろいろテスト用に作ったVTRを持っていって、見せてきた。
僕はその現場には実は行ったことがないんですけど、やっぱり長いものになると、子どもたちが庭に逃げていっちゃうとか、黒板が映ると、子どもたちがみんな逃げちゃうとかっていうようなことを。
それで、説明する人が1人、カリキュラムをきちっと言う係が必要だ、と。これは子どもたちに見せているから、そのタレントさんが、他の番組でもって、女の子とくっついていたり、(役として)人殺ししたりしてたんじゃ具合が悪いよ。子どもだから、全部同じになっちゃうから。絶対に他に出ないっていう、要するに飼い殺しみたいな役者を1人つくらなきゃいけない。
どうやろうかっていろいろやったけども、どうやったって、他の仕事を全部なしにして、いくら払ったって払いきれないようなことになっちゃうけど「どうしよう。うーん」って言っている時に、確か井上ひさしさんかな?「齋藤さん、あんた一番カリキュラムわかってんだから、あんた自分でやんなよ」って言ったんですよね。「そんな~!」って言ったら「賛成の人?」って誰が言ったんだか知らないけど、したら、そこに7人ぐらいいたんですけど、みんな「は~い!」って。「反対の人?」「はい!」って俺しかいないっていう。じゃあしょうがない「じゃあ俺やるよ」って。それで、しょうがない、やりました(笑)。
土屋:それもないですよね?
齋藤:ないって何ですか?
土屋:それまでのテレビに。
齋藤:ディレクターが自分でやる?
土屋:ディレクターが。
齋藤:ああ、そうかもしれません。
土屋:ないですよね。でも、それは別に「いや、新しいことやるの当たり前だよ」っていう感覚ですか?
齋藤:どっちかっていうと「しょうがねえな~」っていうのが、正直なところですね。
土屋:そういうことをずっとやっているから、新しいことをやるっていうことには、抵抗が基本的にやっぱりないってことですかね、その頃って。
齋藤:というより、やっぱり新しくないものをやりたくないということで。そっちの抵抗、だから、新しいことだったらば、ぜひいきましょうっていう、どっちかっていうと、そういうことだと。
土屋:今のテレビマンに、若いやつに聞かせなきゃいけないですね。
齋藤:(笑)。
土屋:テレビが今、一番失っていることなんじゃないかっていう。
齋藤:今、テレビが一番失っているのは「作る」っていうことですよね。「作る」って、今のテレビの人だって作っているつもりでいると思うけど、「作る」って、台本から何もない、要するに全くの白紙のところに、台本から、タレントの仕込みから何から、全部積み重ねていって立体的にしていくみたいなことってのがあるじゃないすか?
それが「作る」であってね、タレントを呼んできて、クラスの人気者みたいなのが集めて何かするみたいなのじゃ、あれは作っているうちに入らないから。本当に「作る」っていうテレビが、今はなくなっちゃいましたよね。もうできないと思いますけど。
なにしろ、カリキュラムをまず作らなきゃいけないっていうんで、無着成恭さんに聞きにいったりして、まず日本語、国語っていうんですかね? 小学校の1年生でもって、日本語をちゃんと、まずしゃべらなきゃいけない、書けなきゃいけない。
文部省の教科書だと「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」っていうのが、例えば、小学校1年生の一番最初なの。「アサヒ」の「ヒ」っていうのは、子どもにとって、ものすごく発音しにくい。「アサシ」になっちゃうっていうか。
だから、あんな教科書じゃ駄目だ、と。「アサヒ」の「ア」を教えるんだったら、朝日っていうのをまず見て、字に書くとこうなるんだよ。「ア」だけをまず一生懸命に覚えるっていうか、そういうことからやっていかなきゃいけないよみたいなカリキュラムっていうのを教えていただいて。
このカリキュラムを作るので、これが一番大変だったんですね。
土屋:それはゼロからですか?
齋藤:いや、結局、全部教えていただいて、それを踏襲させていただいたんですけど。文部省とは全部、だからけんかになっちゃうようなことだったんですけど。
それをだから、テレビ的にするっていうことは、どういうことなのかなっていう。そのままじゃいかないんですよね、テレビ的に変えなきゃいけないっていうことなので。
土屋:テレビにしかできない教育もあるということも発見がありますよね、きっと。
齋藤:デモンストレーションでもってやった時もそうだったけど、子どもたちっていうのは、ぱっと新しい音楽が鳴り出すと、わっと庭から戻ってくるよみたいな話があって、やっぱり音楽はものすごく大事にしましたし、アニメーションが子どもは好きじゃないですか。アニメーションをいっぱい出しましたし。
子どもらしさとか、子どもだからやっちゃいけないとかっていうのを全部やめたんですよ。子どもにやっちゃいけないっていうことをどんどんやっちゃうっていう。そうやって子どもを引っ張るっていう。
土屋:『カリキュラ』って、時間枠はやっぱり朝ですか?
齋藤:朝の7時45分かなんかと、夕方の5時15分か、2回1日にやっていましたね。
土屋:そこは齋藤さんとしては、ゴールデンを自分はやっているんだから朝は~とかって、そういう感覚はあまりないってことですか?
齋藤:そうね。別に、だって朝、学校行く前でしょ?
土屋:子どもが見られる時間ってそこだから。
齋藤:夕方の帰ってきて見る時間でしょっていうので。だから、そこにやるのが一番いいと思っていたから、だからあまり。ゴールデンやってもしょうがないし、お昼にやっても学校行っていて見られないんだし。おまけに15分番組ですしね。だから、それはあまり思ったことはないですね。
土屋:映像的にかなり凝っていたというか、そういうイメージがあるんですけど。クロマキー的なことも含めてですね。それはやっぱり「子どもに見せるためには」みたいなことで研究したんですか?
齋藤:いや、別に子どもとか考えるよりも、最高の表現の仕方はどういうことだろうなっていう、それだけのことですね。だから、子どもだからっていうことをできるだけ意識しないようにしていましたから。後から聞いたら、実際にウケたのは、大学生が一番ウケたという話ですから。
土屋:それは子どもを意識しないというか、子どもだからというのは、どういうことなんですか? なぜそうしたかっていうか。
齋藤:それはさっきお話ししたように、子どもは子ども扱いされたら駄目だ、と。だから、大人扱いしていると、子どもはついてくるよって。だから一切子ども扱いはやめようと。
土屋:逆にいうと、それまでの子ども番組は、子ども向けに作るんだ、子どもの気持ちになってとか、っていうことではないんだっていうことからスタートするってことですよね。
齋藤:そうです。だから「○○ちゃ~ん」とかいうのあるじゃないですか? 子どもはあれ、バカって言ってますよ。っていうのがあって、そういうことは一切しないっていう。
土屋:齋藤さんと無着成恭さんの出会いっていうのは、齋藤さんが教育番組をやりたいと思って、無着さんと会って、そういうかたちになっていくのか……。
齋藤:そうです。
土屋:っていうことなんですか?
齋藤:そうです。無着さんのやっていることが面白そうだと思ったので、無着さんに会いにいったんですよね。無着さんと話していたら……。
土屋:意気投合するというか「これだな」っていうふうに?
齋藤:はい。だから、算数の話にしてもね「1って何の意味もないんだよ」と。例えば、お皿の上に何かがあって、お皿の上に何かが1、これは1だ。それじゃあ、順番に並んでいて1番、これも1だ。それから、一つ○○、一つ○○、っていうときのこれも1だ。部屋の中に馬がいて、牛乳瓶があって、これはいくつあるって、全部1なんであって、部屋の中に物がいくつありますかっていえば3だと。そういうことをちゃんとわからないといけないよっていうようなことを教えられて。
土屋:なるほど。それをテレビがする、子どもへの教育のアプローチ。逆に齋藤さんがおっしゃった、でもできないことってあるんだなっていうふうにも思うけど、でも逆にいうと、テレビしかできないことが、後の子どもたちが、あの番組を支えている、支持している、覚えているってことは、それを証明しているということでも。
齋藤:本当にね『カリキュラマシーン』のファンの人って多いんですね。びっくりしましたね。あんな本が売れているんですから、だいたいね。
土屋:その子どもたちにとっては、齋藤さんって、だからヒーローですよね。
齋藤:そんなことはないでしょうけど(笑)。
土屋:だって『カリキュラ』に出ている主役というか、あれだから。齋藤さんを囲む会みたいのがあるんですか、やっぱり。『カリキュラ』ファンの。
齋藤:いやいや、全然ないです。
土屋:ないんですか? イベントやったら今でも人が集まりそうですけどね(笑)。
齋藤:いやいや。
土屋:みんなそこそこいい年になっているんでしょうけど(笑)。
齋藤さんがディレクターで、プロデューサーは仁科さん?
齋藤:仁科さん。
土屋:仁科さんなんだ。じゃあそのコンビのまま『ズームイン』に行くってことですか?
齋藤:そうですね。だから『ゲバゲバ』もそうですし『九ちゃん!』もそうですから。だから『九ちゃん!』で僕と組んで。
土屋:仁科さんって、年でいうと?
齋藤:同じです、僕と。
土屋:同期になるんだ?
齋藤:入社は1年あとなんです、彼の方が。
土屋:仁科さんはプロデューサー側っていうか、齋藤さんは、やっぱりディレクター側っていう感じがしますけど。そこはコンビな感じなんですか?
齋藤:コンビですね。彼はディレクターはできないって言っているし、僕はプロデューサーは全くできませんから。お金、全く駄目ですから。
土屋:そこも完全にPとDを分けて。
齋藤:分けてというか、2人組んで一人前というか。もう彼がいなかったら、ここまで僕はできなかったですね。
土屋:齋藤さんは、逆にいうと「俺はこうやりたいんだ」っていうのを仁科さんがなんとかしてくれている感じですか?
齋藤:そうです。だから『カリキュラマシーン』のカリキュラムが、全部文部省と違っているでしょ? 一回も文部省から文句は来なかったって僕は思ってたの。ずっと思ってたの、つい最近まで。
ファンの方の会合の時に、仁科さんが来て一緒に話していたら、彼が全部引き受けて、1人で。文部省まで行って役人と交渉したりして、全部抑えてくれていたの。ところが、僕は「何も来なかったよ?」っていう、そのぐらい彼はすごいです。
土屋:なるほど。ディレクターに言ったら、それが影響して番組にアレするから、全部自分で止めて、自分で飲み込んでいたってことですか?
齋藤:ええ、そんなコンビですから。だから、もう作ることに関しては、全く漠に任せっきりですけど。
土屋:齋藤さんのやりたいことを、いかにして守るかっていうことをずっとやってくださって。
齋藤:やってくれて。お互いにね、個人的なアレは全く知らないんですよ。家庭がどうなっているかなんて、お互いに全く知らない。とにかく仕事上だけでもって付き合っているっていう。趣味がどうなっているかもよく知らないっていう。本当に仕事上のコンビってのはすごいですね。彼がいなかったら、やっぱりできなかったです。
土屋:なるほど。
齋藤:スケジュール作りも、編集も、仁科さんがやってくれているんですよ。
土屋:編集もですか?
齋藤:編集も。
土屋:撮るのは齋藤さんが撮って、編集は仁科さんがやるんですか?
齋藤:やる。
土屋:ディレクターがやらないんですか?
齋藤:ディレクターは、やらないですね。『ゲバゲバ』もそうですよ。『ゲバゲバ』も仁科さん1人でやりましたよ。
土屋:へえ~! でも、例えば間を詰めるとかなんとかって細かいこともあるじゃないですか、演出的なことも。それも仁科さん?
齋藤:それは……。
土屋:台本とか、撮る段階でできているからってことですか?
齋藤:でも、それも言わないでも、彼は僕が思ったようにやってくれているな。そんな言ったこと、あんまりない気がするな。特に「これはちょっとアレがくっ付いてるから、あそこだけ切っといてね」っていうようなことは、たまには言ったことあるかもしれませんけど、基本的には、もうお任せでもって。
だから、時間がオーバーしたりしていることがあるじゃないですか? でも、適当に彼が切っちゃうっていうか。それがだから、正しいんだから大丈夫ですよね。
土屋:へえ~! じゃあ撮るのがディレクターで、まとめるのは、編集も含めてプロデューサー?
齋藤:プロデューサー。
土屋:ほう~! それは後々……。だからやっぱり、生の時代の名残なんですかね?
齋藤:どうでしょうかね?
土屋:なるほど。
齋藤:本当に彼がいなかったら、多分(うまく)いかなかったと思います。