【無料】 山内マリコ(著) 『山内マリコの美術館は一人で行く派展』 試し読み 和田彩花が選んだ3篇
山内マリコのアート・エッセイ集『山内マリコの美術館は一人で行く派展 ART COLUMN EXHIBITION 2013-2019』の中から、和田彩花セレクトの3篇を試し読み。和田彩花さんによる書評は、こちらから読むことができます。
ミステリアスでクール
しかしその正体は……
結婚に失敗した男!
EXHIBITION
ヴァロットン展 冷たい炎の画家
MUSEUM
三菱一号館美術館
ヴァロットンなんてお名前、これまで見たことも聞いたこともなかったのですが、チラシを見て瞠目しました。『赤い絨毯に横たわる裸婦』の、こちらを挑発するようなコケットリーな視線。『ボール』に描かれた麦わら帽子の少女に忍び寄る、ドラマティックで不気味な影。〝冷たい炎の画家〟と、最高にカッコいいキャッチコピーをつけられたヴァロットンの作品群は、どの絵もなんだか意図に含みのある、かすかに不穏な空気が漂っています。
とても一人の画家の手によるものとは信じられないほど作風にバラつきがあり、どこに向かっているのか、なにを追求しようとしているのか、いまいちわからないのも特徴の一つ。とりわけ裸婦像の妙な硬質さは、のどに引っかかった魚の小骨のような違和感が。それがいったいなんなのか、意外な形でつまびらかになります。
スイスに生まれた「外国人」であるヴァロットンは、パリの大画商の娘(バツイチ子持ち、たしかちょっと年上)と結婚し、奥さんの実家に取り込まれる形で生活基盤を整えていったそう。くすんだペールグリーンのドアに彩られた立派な邸宅も、もちろん奥さんの実家持ち。そして夫婦仲もよくなかったというミニ情報が、音声ガイドから流れてきて……。
さらに、展示されている老婆の肖像画は、こともあろうに奥さんの実母がモデルとのこと。ななな、なんという屈辱! わたしは展示室でのけぞりました。おそらくヴァロットン的には、「なにが悲しくて婆さんの肖像画なんか描かなきゃいけねえんだよ」といったところでしょう。画家の創作意欲をもっともそそらない存在=義母なんかに、貴重な創作時間を1分たりとも割きたくないのが本音でしょう。そうでしょ? そうなんでしょ、ヴァロットン!
ここへきて「冷たい炎」の正体が一気に見えてきました。おそらくヴァロットンの結婚に、愛はなかったのです。当初はあったかもしれないけど、妻の実家に経済的に頼るうちにすり減っていったのでしょう。寝室で妻がヴァロットンを「甲斐性なし!」とののしっている様子が目に浮かびました。そして自画像から察するにヴァロットンは繊細な男で、妻の暴言に言い返すこともできず、心の中で冷たい炎をメラメラと燃やしていたのです。
その炎がキャンバスに結実した姿が、食卓を囲んでいるのに自分だけ疎外感120%の『夕食、ランプの光』であり、女の狡猾な眼差しを描いた『貞節なシュザンヌ』であったといえば、合点がいくってもの。「悪妻は人を哲学者にする」とソクラテスは言いましたが、ヴァロットンは結婚に失敗したことで、画家として独自の高みに達していったといえます。
そして晩年は、女への恨み節が全開になったトンデモ系の絵を制作。はっきり言って「晩節を汚す」タイプの作品ですが、やっと本音を出せて、本人はスッキリしたのかもしれません。可哀想な男です。合掌。
<初出:TV Bros. 2014年7月5日号>
絵より妻はもっと素敵
EXHIBITION
バルテュス展
MUSEUM
東京都美術館
バルテュスの絵と出会ったのは、たしか18歳のとき、大学の図書館にあった画集でした。バルテュスの主要モチーフである少女×エロス×猫は、20歳前後の文系女子にとってまさに三種の神器。しかも画家は細身の美形の貴族。老いてなお、神秘的な雰囲気に包まれていました。
それから数年後、再び衝撃が走ります。雑誌で見た「バルテュスと〈グラン・シャレ〉の優雅な暮らし」と題された自宅写真の中に、戦前の日本からタイムリープしたとしか思えない、素晴らしく美しい女性の姿があったのです。どこか浮世離れした只者ではない女性――バルテュスが50歳のときに日本で出会い結婚した、節子夫人でした。
20歳そこそこで見初められ、異国へ旅立ち、日本贔屓の夫のそばで長年暮らしたことで、逆に純化した日本人になった節子夫人。日常的に着物を着なくなった日本女性がなにを失ったのか、節子夫人を見ると思い知らされます。最初はバルテュスの絵画に興味を持っていたわたしも、いつしかバルテュスそっちのけで節子夫人の虜に。2007年ごろから節子夫人の美意識が詰まった本が刊行されはじめ、美しく暮らしたいおばさま方のバイブルに。そんなこんなですっかり夫人の方に気を取られ、バルテュスのことを「節子夫人の横に座ってる老木のような画家」としか思わなくなって久しいのですが、ここにきてまさかの大回顧展開催! ほんのり懐かしい気持ちで鑑賞してきました。
初期の素朴でノスタルジックな風景画から、いびつなポージングの少女を淫靡に描いた作風へ移行していくバルテュス。少女とエロスというタブーを、性器もガッツリで堂々と描きながら、ただの安いエロではなく、「深遠なアート」と評価されてきたバルテュス。そのイメージのままこの10年は放置状態でしたが、この展覧会によって、はっきりと悟ったのです。18歳のわたしにかけられていた「バルテュスって素敵!」という魔法が、完全に解けていたということを。知らない間に持病が治ってた、そんな気持ち。
というのも、20歳前後のわたしは、自分自身が相当なロリコンだったのです。なぜなら少女を性的に消費するカルチャーにどっぷり浸かっていたから。女の子は可愛い女の子を見るのが大好き。『プリティ・ベビー』や『レオン』あたりの映画をヒロイン目当てで観るうちに、いつの間にかロリコン男の性的な嗜好と思考を、自分の中にインストールしてしまっていたのです。
洗脳が解けてフェミニズムに開眼したいま、バルテュスに対するわたしの視線は非常に冷たい。撤去しろとは言わんが、もうアンタのこと特別扱いしないから! と啖呵を切りたい気持ちだ。バルテュスの絵はもういいから、いまは節子夫人が描く、猫ちゃんとか擬人化した動物の絵をもっと観たいなァ。そして節子夫人の展覧会を開く際は、百貨店の上とかじゃなくて、国立美術館とかでぶち上げてほしい。
<初出:TV Bros. 2014年5月24日号>
平成は日常推しだった、みたいな
EXHIBITION
いま、ここにいる
―平成をスクロールする 春期
MUSEUM
東京都写真美術館
SMAP解散をきっかけに一気に噴出した感のある〝平成を総括する〟ムーブメント。故小渕恵三が新年号「平成」を掲げてから29年が経ち、とりわけ初期平成(1990年代)は完全に懐古の対象です。平成7年(1995)年に恵比寿ガーデンプレイス内に開館した東京都写真美術館では、<平成をスクロールする>展が3期に分けて開催中で、春期は「いま、ここにいる」がテーマ。
会場に入った瞬間まず目に飛び込んでくるのが、佐内正史の写真集『生きている』の表紙を飾った作品です。窓辺に置いてある観葉植物の濃い緑色の葉っぱが、全体にやわらかい光の中で映されている、ただそれだけの写真であります。なんにもすることがない、暇な土曜日の午後みたいな空気を感じる日常の一コマ。そこには時代を象徴する要素はなにも写り込んでいないのに、この一枚が「古き良き90年代」を象徴してしまっているのはなんでだろう。佐内正史がこの写真を撮った1995年の風景は、22年後のいまもそこにそのまま存在してそうなのに。そのくらいなんでもない風景を撮っているのに、時代の気分や匂いが見事に染み付いているのです。
ほかの佐内作品も、どこにでもある、とりたてて特別ななにかを一切感じない風景メインの写真ばかり。誰もが目にしたことのあるような平凡なもの(ガードレールや家の屋根、安アパートの階段)がピックアップされていて、どうしてここでシャッターを切ったの? と訊きたくなるほどです。そういえば90年代って妙に〝日常〟推しだったけど、佐内正史の写真には、そんじょそこらの日常ではなく、本当に本当にうんざりするほど普通の、はてなしなく繰り返される日常がある。そしてやっぱり、そこにある日常は、「平成の」ものなのです。
対照的に、ホンマタカシの切り取った日常はとても鋭角で、時代性がギンギンに表出しています。のっぺりして人工的、しかし妙に明るく、ロサンゼルス感のある郊外(サバービア)の景色の中で斜に構える、制服を着崩した高校生の佇まい。写真集『TOKYO SUBURBIA』の凄さは、年月を経たいまこそ強烈です。この写真集、当時は高くて買えなかったんだよなぁ~と検索したら、さらに高騰していました。
写真は、時間が経てば経つほど、「あの瞬間はかけがえがなく、価値があったのだ!」ということがわかりやすくなります。つまり、写真は古ければ古いほどバリューが増す。いま、ここにいる自分や、いま、ここにあるものすべては、やがては過去となり、手が届かなくなってしまう特別なものなのだ。だけど、誰もがスマホという写真機を携帯するようになっても、そういうなんでもない日常の瞬間こそ、意外と撮ってなかったりするもんです。
もしかして写真家というのはみな、直感的に、すべての瞬間もいつかは失われてしまうものだということがわかっている人種なのかも。まるで近未来からやって来て、どの瞬間を撮るべきなのか、知ってるみたいに。
<TV Bros. 2017年7月1日号>
<書籍情報>
山内マリコ(著)
『山内マリコの美術館は一人で行く派展
ART COLUMN EXHIBITION 2013-2019』
発行:東京ニュース通信社
発売:講談社
本体価格:1,600円+税
新時代、新感覚の、
やさしいアート入門書。
『TV Bros.』誌で2013年から2018年にかけて連載された原稿に、プライベートで訪れた2019年の新作を加えた、忖度なしの美術展探訪エッセイ。サブタイトル「ART COLUMN EXHIBITION」のとおり、コラムの展覧会がコンセプト。厳選したコラム101点を作品に見立て、美術館に展示するように並べました。主に一人で、自腹で、美術館の企画展に行き、作品の紹介はもちろん、芸術家の背景にも思いを巡らせながら、感じたことをそのまま書く。彼女のユーモラスな文体は、ときに小難しいと思われがちなアートの魅力を、身近な存在として伝えてくれます。
やまうち・まりこ ● 1980年生まれ、富山県出身。小学校時代、近所のお絵かき教室に通う。絵より映画が好きになり、大阪芸術大学映像学科を卒業。いろいろあって2012年、小説『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎)で作家デビュー。同作が映画化された際、プールに突き落とされる先生役でエキストラ出演を果たす。アート好きが高じて本の装丁に口うるさいため、デザイナーからは嫌われている。イベントに客が来ないのが悩み。唯一の役職は、高志の国文学館(富山県)の新企画アドバイザー。
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