
【無料】 マキタスポーツ(著) 『越境芸人 増補版』 試し読み ☞ 「石眼と星眼」
およそ8年にわたるTV Bros.の連載をまとめ、書き下ろしの新作を追加した、マキタスポーツの新刊 『越境芸人 増補版』から、収録されているコラムを試し読み。全5回の第2回は「石眼と星眼」(第2章「第二芸能界」より)です。
石眼と星眼
「人の目」について。“目つき”ですね。これで、はっきりわかることがありまして。
「芸人の目は恐い」。ほとんど“石ころ”みたいな感じです。普段の目が特にヤバい。
芸人と他とを分けるのは目つきです。役者も普段、目が恐い人はいます。特に脇役の人に多い。主役でもいますが、そういう人は半雌雄みたいな性質で、攻めも受けも出来る人。将来は脇に転向するのもスムーズでしょう。
石のような目をしている人達を「石眼」勢、対して、嫌に目がキラキラしている勢力を僕は「星眼」勢と呼んでいます。
お芝居をするとよく解るんですが。例えば芸人が俳優業をやると、一人だけ目つきが違う者が混じってる感じになる。だから見ているこちらがモヤモヤする。例えばそれは、一人の作者の描いたマンガの世界観の中に、別の作者の創作したキャラが混じっているようなもの。鳥山明の世界に、荒木飛呂彦のキャラは馴染みません。たぶん専門の役者の人でも、石眼の人は適宜目をキラキラさせたりすることが出来るし、基本的には星眼の人達でなくては、俳優の世界は生きていきづらいのかもしれません。
自分のことでいうと、石眼と星眼、両方持ってると思います。スイッチングが可能。 例えば、ロンブーの淳さんとかは石眼です。で、淳さんに弄られている狩野英孝の目は星眼。「じゃあ“天然”がそうなのか」と言われれば、たしかにそうなんですが、もっと言うと「自分が中心」か「世界には秩序がある」と思っているかの違いが大きい。
前者を「オンリーワン了簡」、後者を「ワンオブゼム了簡」と分けます。いわゆる「アーティスト」は、どこか「自分という中心点があって、世界がある」という“思い上がり”がないとダメだと思います。そのぶん無防備で無垢で、結果、目がキラキラし出す。だから、目自体は恐くないんです、実は。それは、長渕剛さんであったとしても、です。よーく見て下さい、長渕さん、星眼だから。
芸人だと、サバンナ高橋さんは何度かお見かけしましたが、バラエティー番組ではどちらかというと弄られ役なのに、普段はめちゃくちゃ石眼です。ロッチのコカドくんもしっかり石眼でした。やっぱりお笑い芸人は警戒心が強いのかなって気がします。すごく徳の高いお坊さんみたいな感じもするけど、実は人斬りの眼をしてるような、相反するものを同居させています。基本的には静かなる狂気の目つきなんだと思います。それが芸人の本質かなと思うし、 僕基準だと、その方が信用できる。 王様と道化師でいったら、道化師のほうが怖い目なんです。
これはたぶん「猜疑心」の有る無しですね。何かが襲ってくることに関して不安を抱えたり、 あるいはそれに備えて準備をしたり、一方で人の弱みにつけ込んだ野心を抱いていたりとか。 それらが芸人の目には全部備わってます。 だから基本的に、芸人の目は“疑いの目”なんです。特にネタを作るほうのクリエイティブ担当はそう。
星眼の人は王様気質で主役感が強く、本質的に「ボケ」ですね。で、石眼がそれを実は気遣う。なんかSM業界の金言「SはサービスのS、Mは満足のM」みたい。つまり、世界は石眼と星眼で出来ているのでした。
で、僕なんですが。もちろん“自分大好き”で“性善説”的な「星眼」人種も好きなんですが、どうも“人に期待せず”性悪説的な「石眼」人種のほうが個人的には好きなようで、気付くと“石眼ウォッチャー”になっています。
先頃、大きいイベントをやったんですが。イベンターとかって、石眼の中でも、とびっきり冷酷な「羊飼いの目」してるな~と。本物の羊飼い、見たことないけど。あれは人を人とも思ってない目です。でも、この“目つき”は、特に中規模・大規模のイベントには必要なんです。どうしてかというと、“ワケの分からんことを言う人”がいるからです。例えば、ナチュラルクレーマーがいます。本人が意図してクレーマーになってない人のことです。昔、こんなことがありました。
深夜を跨ぐイベントだったため、そのイベントは身分証明書を必要としました。「身分証明書を忘れた」と言ってゴネるそのナチュラルさんは、受付でさんざん押し問答を繰り広げます。「チケットは買ったんだから権利はある」とか、「自分は埼玉から来たが、いまから取りに行ってたらお目当てのバンドが見れない」とか言っています。挙げ句その方はこう言いました。「ワタシがもし北海道からわざわざ来てた客だったとしても、アナタは帰すんですか!」。喩え話じゃねぇか……。こういうのを“しょんべん正論”と僕は呼ぶんですが。また、こういうことを必死で宣うのが「星眼」さんだったりするんですね。
でも、こういうことを言ってしまう人に、うっかり「人間らしい応対」とやらをしてしまうと、統制がとれなくなるものです。そんな時には「羊飼いの目」は有効です。困惑する受付に呼び出されてやって来たその羊飼いは、抗議するナチュラルさんに向かって袈裟斬りにこう言いました。「埼玉から来たんですよね、はい、次の方、どうぞ~!」。まったく意に介しませんでした。やはり興行には、こういう「毒」は必要だと思うのです。
【初出:TV Bros. 2014年6月21日号】
撮影/ただ(ゆかい)
マキタスポーツ
1970年生まれ、山梨県出身。芸人、ミュージシャン、役者、文筆家。2012年の映画『苦役列車』で第55回 ブルーリボン賞新人賞、第22回 東京スポーツ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』(扶桑社文庫)、『アナーキー・イン・ザ・子供かわいい “父親に成る”ということ』(アスペクト)がある。
<書籍情報>
ジャンルを“越境”するマキタスポーツ、10年分の評論集。
芸人・ミュージシャン・役者・文筆家と、ジャンルを“越境”しながら活動を続けるマキタスポーツによる、渾身のセルフマネジメント論にして、10年分の評論集。
さらに、アイドル歌手から俳優まで、あらゆる分野でトップに立ち、近年は公演や映画のプロデュースを手がけ、表舞台と裏方を行き来する“越境”のスペシャリスト、小泉今日子との特別対談を巻末に収録。
業界を飛び越え、ジャンルを横断するなかで見えてきた、定住しないからこそできること。いまや誰もが生き方の“編集”を求められる一億総表現者時代。セルフマネジメントだけが身を助ける自己責任社会。
考えない勇気を持て。
幸福の先を探せ。
頑張るな、負けろ!
とどまるな、越境しろ!
マキタ式“第三の思考法”にして、斜め上の日本人論。
マキタスポーツ (著)
『越境芸人 増補版』
発行:東京ニュース通信社
発売:講談社
本体価格:1,500円+税
ここから先は

TV Bros.note版
新規登録で初月無料!(キャリア決済を除く)】 テレビ雑誌「TV Bros.」の豪華連載陣によるコラムや様々な特集、テレビ、音楽、映画のレビ…