”緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。 「劇場と大学の授業とウィキペディア」 北村紗衣(研究者) 【6月号特別企画】
企画・構成/おぐらりゅうじ
およそ2ヶ月前の4月7日、政府により緊急事態宣言が発出。これにより、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、外出の自粛や、いわゆる3密の回避が求められ、人々の生活様式やコミュニケーションのあり方にも大きな変化をもたらしました。
また、切迫した状況下における、政府の指針や関係各所の対応、さらには(SNS上での振る舞いも含めた)人々の言動や態度などを目の当たりにし、根本的な生き方や考え方を見直した方もいるでしょう。
そこで、今回のコラム企画では『“緊急事態”のなかで、やるようになったこと、やらなくなったこと。』と題して、多方面の方々から「やるようになったこと」と「やらなくなったこと」をテーマにご執筆いただきました。
第3回は、舞台芸術史やフェミニスト批評を専門とする北村紗衣さんです。
きたむら・さえ ● 1983年生まれ、北海道士別市出身。武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授、慶應義塾大学文学部非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター非常勤講師。東京大学で学士号・修士号取得、キングズ・カレッジ・ロンドンで博士号取得後、現職。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批評。大学では英日翻訳ウィキペディアン養成セミナーの授業も行なっている。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 近世の観劇と読書』(白水社)、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』がある。
劇場と大学の授業とウィキペディア
(1)劇場
やらなくなったこと……劇場や映画館に行く
新型コロナウイルス流行の影響で私にとって一番大きく、また早く現れたのは、舞台や映画を見に出かけることができなくなったという事態だ。私は大学ではシェイクスピアを教えており、主な研究分野は舞台芸術で、さらに仕事で映画批評も書いている。このため、1年に100本くらいライヴの舞台を見て、さらに100本くらい映画館で映画を見るということをしていた。ところが、3月頃から劇場がどんどん閉まり、さらに映画館も閉まってしまったせいで、出かけて何かを見るということがほぼできなくなった。映画館は最近、再開したのでまたぼちぼち行けるようになったが、劇場に行ったのは4月2日が最後である。2ヶ月半も生の舞台を見ていないということになる。
やるようになったこと……とにかく舞台の配信を見る
劇場に行けなくなって以降、禁断症状とでも言うのか、何でもいいからライヴの芝居を見たいという気持ちがどんどん強まっていくような期間があった。しかしながら4月頃から世界各地の劇場が閉鎖に伴ってオンラインの配信をはじめたので、私はとにかくそれらを見まくることで禁断症状を回避しようとするようになった。どこが何を配信しているのかをリストにして、今日はギリシャ国立オペラの何々と、ルーマニアのシェイクスピアと、ウィーン国立歌劇場の何か…みたいに、毎日国際演劇祭にでも通っているのかというような勢いで舞台配信を見る。ニューヨークのメトロポリタン・オペラは日替わりで英語字幕付きのオペラをオンライン配信しているのだが、現地時間の夜、日本だと朝の8時半から放送開始になる。私は一時期、朝の8時半だからメト見なきゃ…というようなモチベーションで起床していた。憂鬱な期間に朝起きる元気をくれたメトロポリタン・オペラには感謝するほかない。なお、私は配信で見た舞台演目の感想を全部自分のブログに書いているのだが、4月13日から始めて、これを書いている6月15日でちょうど100本になった。1日平均1.5本くらいは見ているらしい。ちょっと見過ぎだと思う。
(2)大学の授業
やらなくなったこと……対面の講義をする
それから発生したのが、講義ができないという仕事中の問題だ。新型コロナウイルスが流行りだした時はまだ大学が春休みだったので、毎日職場に行って講義をするということはしていなかった…のだが、春休み中からぼつぼつと社会教育系のイベントなどで頼まれていた講義がなくなっていった。さらに大学の授業が4月から開始できないということになった。オンライン授業ではZoomを使って講義をしているという先生方も多いのだが、私は困ったことに舞台芸術の研究者で、ライヴネスについては小難しいこだわりがあった。このため、私はただZoomで講義を配信するみたいなことはやりたくなかったので、違う手法をとることにした。その結果、1月の末以来、一度も対面の講義をしていない。
やるようになったこと……Twitter講義
対面の講義をする代わりに、ゼミ科目と一般講義科目はTwitterで公開授業をすることにした。シェイクスピアの『夏の夜の夢』を原書で読む授業は @PirateUni_MND 、イギリス文学史の大講義科目は @PirateUni_HEL で、ハッシュタグをつけて講義内容を文字だけで配信している。履修登録をしている学生にはスライド資料の配布や課題提出、Zoomを使った個人面談など、いわば「プレミアムコンテンツ」みたいな教育提供もやっているのだが、文字の講義部分については誰でも無料で聴講できるようにオープンなアカウントでやっている。これは新型コロナウイルスのせいで教育へのアクセスが悪くなっているという面があるので、高校生や他の大学に通っている学生、大学に戻りたいと思っている成人にもいくぶんか無料でアクセスできるような教育コンテンツがあってもいいかと思ったからだ。これは次のところで説明する、私がウィキペディアンであり、オープン教育資源みたいなことに興味があるというのにかかわっている。
やらなくなったこと……執筆イベントに行く
私はウィキペディアンだ。ウィキペディアンというのはウィキペディアを編集しているユーザのことで、私はもう10年くらい日本語版ウィキペディアで活動している。私は英語の授業で学生がウィキペディアの記事を作るというプロジェクトをやっており、そこそこ経験があるため他の人にウィキペディアの書き方を指導することができる。多くの方はご存じないだろうと思うのだが、最近ウィキペディア日本語版の界隈では図書館などに集まって初心者にウィキペディアの書き方を教えたり、みんなでテーマを決めて記事を書いたりするイベントが人気で、指導ができるウィキペディアンはしょっちゅうそういう会合に呼ばれる。しかしながら当然、この手の人が集まるイベントはこのところ全部中止なので、もう半年くらい執筆イベントに行っていない。執筆イベントでは知り合いのウィキペディアンに会って記事について相談したり、意欲のありそうな初心者に書き方を教えたり、いろいろと意義のある経験ができるのだが、そのあたりができなくなったのは寂しいことだ。
やるようになったこと……ひたすら執筆+オンラインエディタソン
一応、新型コロナウイルスが流行り始めてから緊急事態宣言が出て図書館が閉まってしまうまでは、時間があるわりに資料集めだけはできるという時期があった。この間はイベントに参加できなくなったぶん執筆を頑張り、[[栄養と料理]]、[[バスクチーズケーキ]]、[[カロチャ刺繍]]などの前から書きたかった記事を書いた。ただ、これも図書館が閉まってしまうと出典に使う資料が借りられなくなるので、あまりできなくなった。
イベント中止が長引いてくると、Zoomを使ったウィキペディアンミーティングやオンラインのエディタソンが複数の言語版で実施されるようになった。今のところ、そういうものに参加することでウィキペディアンとしてのやる気を保っている。6月10日には世界中で話題になっているブラック・ライヴズ・マターがテーマのエディタソンがあったので、日本語版から唯一参加した。
舞台芸術の歴史からアフターコロナを考える
対面のイベントができなくなったというのは、舞台関係者にとってはとても厳しいことだ。新型コロナウイルスによる閉鎖のせいで、劇場や劇団はどんどん経済状況が厳しくなっており、その点については私もとても心配で、寄付などもしている。しかしながら、これで人々の観劇に関する行動がどれくらい変わるのか…ということについては、私は懐疑的だ。シェイクスピアの時代にも疫病のせいで劇場が閉鎖されまくっていたし、さらにその後イングランド内戦をきっかけに18年もの間、ロンドンの商業劇場がまともに稼働できない期間があったが、演劇は死滅しなかった。今はシェイクスピアの時代よりもたくさんライバルになるエンタテインメントがあって、しかも家で楽しめるというところは大きく違うが、このへんを研究している舞台芸術史家としては、新型コロナウイルスにより人間の生活様式が全部変わってしまうというような予測には否定的だ。シェイクスピアのソネット59番は所謂「歴史は繰り返す」ということについての詩で、「もし新しいものなんか何もなくて、昔からあるものだけだというのなら/我々の頭はどんなふうに欺されているのだか」(1-2、拙訳)という一節で始まる。これは常に念頭に置いておいていい疑問だと思う。
(了)
<書籍情報>
北村紗衣さんの最新刊『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』が書肆侃侃房より発売中。フェミニストの視点で作品を深く読み解けば、映画もドラマも演劇もこんなにおもしろい。
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