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【無料】 マキタスポーツ(著) 『越境芸人 増補版』 試し読み ☞ 「お笑い第7世代 〜メモ書き〜」

およそ8年にわたるTV Bros.の連載をまとめ、書き下ろしの新作を追加した、マキタスポーツの新刊 『越境芸人 増補版』から、収録されているコラムを試し読み。全5回の最終回は、新作「お笑い第7世代 〜メモ書き〜」(第9章「越境の現在地」より)に、書籍ではカットした部分を追記したフルバージョンです。

お笑い第7世代

〜メモ書き〜

2020年のお笑い界の潮流について記す。変化が劇的ゆえ、現時点での判断が出来ない事例多数。あえてメモ程度に留める。

気になったものは以下の5つ。

『第7世代』
『女芸人』
『脱マッチョ化』
『高学歴化』
『ネオリベ的』

ここ数年、お笑い界のトレンドは「女芸人」。「女芸人」の人気は安定銘柄、そこへ「第7世代」がプラスされた格好か。

しかし、時代はいよいよ変わった感じに。ここ3年の間の社会のムードの変化を受け、本格的にお笑い界から“マッチョ成分”が除去され始めた。カードゲームでいえば、リバースが出て流れが逆になり、かつ革命が起き、今まで持っていた手札が最強から最弱になった感じ。

【第7世代と、女芸人の役割】

 お笑いは時代の代弁機である。人々の吐き出したい欲求を代わりに放り出しているに過ぎない。ニーズにより、差別や暴力はもちろん、セクハラ、モラハラ、パワハラ、安易な自虐ネタ、容姿いじり、などなどが急速にネタリストから外されてきている。それらを第7世代らは「もうやめましょう、コスパ的に」とばかりに、旧時代の価値観として屠(ほふ)りつつある。

 「女芸人」という呼称もポリコレ対象になる。間も無くテレビ局の企業コンプライアンスに引っかかるだろう。2021年あたりからテレビ芸人たちが一斉に使用を止めるはず。しかし、ここでは一つの記録として、2020年9月の時点ではまだギリギリ使えたという意味で残しておく。

 『アメトーーク』にて、複数の女性芸人らが「女芸人」について語り合う企画があった。そこで話し合われていた内容が大変興味深い。従来の「男社会が望む女芸人」という役割について、かなり攻めた内容だった。例えば「ブス」でいじられることが「武器」だったりすること、またそれが「おいしい」という”得点になる風潮”を、当の“ブス芸人”は本音で望んでいるのか、など。

 女性側からの自発的な「性差、関係無くない?」という主張は、たぶん日本お笑い史上初のことと思われる。男性と女性のボクシングは見たくないが、お笑いなら共通のルールで戦えるはず。ところが「お笑い男社会」という既得権がそれを阻んでいた。結果、トリッキーな「女芸人」という地位で「結婚したいわ〜」とか「いい男とキスしたいわ〜」とかやっていたのがこれまで。これもほんの1〜2年で変わった。

【特筆事項】

 こういった風潮は、別にお笑い界自らが変革したことではない、ということ。世の中の“グローバル化”という「外圧」による変化だったことを見逃してはいけない。“内側から変えられなかった日本”というメモは誰も残さないだろうから、自分で残す。いつも黒船待ちなのである。

 いかにも「芸人」は時代のオピニオンみたいに見えるが、時代の“半歩後ろ”を歩くのが「お笑い」である。これ以上、芸人を神格化するのは止めたい。「お笑い」という存在はライオンではなく、本質的にハイエナ。「世間」という群に寄生して、付かず離れずの位置から「ネタ」という肉を狙っている。

 かつて、お歯黒、ちょんまげ、帯刀はすぐにやめた日本人だが、この新たなルールブックの書き換えについていける人がこれからの“良き芸人”なのだろう。適者生存目指してみんなガンバレルーヤ。

【第7世代のスマートぶりと、お笑いの高学歴化】

 コンテストは受験であり、例えば最高峰の「M-1グランプリ」の決勝は、東大受験ぐらいに思った方が良い。ゲーム巧者であり、勉強のツボをよく知っている人が良い結果を出しやすいということ。高偏差値な大学の(東京なら早慶上智MARCH、関西なら関関同立出身の芸人が実際増えた)お笑いサークル出身者が、大学対抗という模試結果を手に、プロ・アマ・オープンコンテストに侵攻してくるケースも多い。

 また、その後きちんと就職したり、YouTuberになったり、芸人ロマンをはじめから持たない人たちが増えてきた。闇営業問題が決定的だったが、苦労してプロの芸人になったつもりでも、実態は契約書も無く奴隷的な立場だったり、派遣社員的な扱い。更に、食い扶持のために危ない営業を自ら取らなければいけないということが見えてしまった。

 現在の既得権の下に組み込まれるぐらいなら、コンテストの結果を手に、就活に活かしたり、サークル人脈を生かし自ら起業したりする方が良いと考えても不思議じゃない。賢い人たちのリクルートの場として「お笑い」が在るというのは令和的現象として極まったのではないか。平成からお笑いの高学歴化の兆しはあったが、リクルート的というのが重要。

 ジリ貧の時代だからこそ「勝ち」を過剰にアピールするのが新自由主義的心理。若いお笑い世代からも「無駄」や「経済効率」を意識した“ネオリベ的ノリ”が感じられる。短い時間で、効率良く結果を出すのは良いが、それとは正反対な所にお笑いの価値が眠っていることはある。みんなが「お笑い」という“情報商材”を売って勝者になれるはずも無く、そこには必ず敗者がいて、「弱者」に対する視線が最後には物を言う。

【EXITの兼近の存在】

 現実問題、ほとんどの人は強者や勝者にはなれない。お笑いにしても、例えば、ビートたけしは、いまだに浅草にいた自分を敗者の視点で語る。「おいらは浅草で、焼酎飲んで、ぶっ倒れて野垂れ死んでいくような芸人なんだ」みたいな物語をずっと背負っている。そうやって目線を一番下まで下げることで、共感の手綱を握っていると思う。ベンチャーとして浅草に乗り込んで、トップにまで上り詰めた芸人ではあるが、常に「俺は負けた側の人間だから」ということを起点にしている。

 第7世代の芸人は、若くして勝者になっているので、そういった敗者の物語とは無縁ぽいが、兼近だけは敗者の物語を背負っている。貧しい家庭→中卒→逮捕歴→芸人という、最近には珍しいタイプ。バイオグラフィーに下支えされて、ほかの第7世代よりも存在感が強い。

 車で走っていると、道路工事とか建設現場の多さに、たまにギョッとすることがある。「やっぱり日本って労働者多い」と。そういう人たちにも兼近の履歴は届く。

 芸人は、いわゆる「下流」であればあるほど得をする。一度地に落ちた有吉弘行さんや坂上忍さんにしてもそう。たけしさんの浅草も、ダウンタウンの尼崎も、千鳥・大悟の島も、下流からの追い上げはみんな大好きだし、許してあげがち。兼近はその下流と、昨今のネオリベ的鼻っ柱も両方持っている。

【第7世代とダウンタウン松本氏との距離感】

 松本人志さんが、ドラマ『伝説の教師』に出たのが2000年、結婚したのが2009年、その間の約10年というのは、「M-1グランプリ」がはじまった2001年から一旦終了した2010年でもある。そして、島田紳助さんが引退したのが2011年。この2000年代のおよそ10年間で、やはりお笑い界は大きく変わった。

 芸人「松本人志」を神格化しているのは、1991年〜97年の『ダウンタウンのごっつええ感じ』を多感な時期に見ていた人たち。兼近は1991年生まれなので、その時期は0歳〜7歳。リアルタイムでは“神”を見ておらず、おそらく彼がテレビを見始めた2000年以降は、すでに変節していた“人間・松本人志”がM-1の審査員席にいたはず。これは精神形成においてものすごく大きい。

 1990年代までは完全無双だった松本さんが、目に見えないロスをし始めたのが2000年代。かつての神々しさが薄まり、だいぶ人間っぽくなっていった。ネタはやらず、人を評価する側というイメージ。人並みに結婚もして、映画監督として独特な映画を撮る、評価の埒外にある存在。カリスマとしての威光が、兼近の世代にはだいぶ屈折して届いていたのではないか?

【あるあるネタの無効性と、路上のインテリジェンス】

 EXITの兼近は、アニメネタなどのあるあるネタを嫌うという。

 この傾向は、兼近らに限らず、昨今のお笑いの標準の変化でもある。お笑いのモードは今、「知っている」という特権をネタにするのを禁じ手にして、あるあるネタから”ないない”ネタにシフトしている。例えば……

A「みなさんご存知、鉄人・宮崎ですね」
B「鉄人って、アニメの宮崎駿のこと?」
A「いいえ、剣道史上最高の戦績を残した鉄人・宮崎正裕八段です」
B「知らねーよ!」

 「みなさんご存知〇〇」という振りは、「周知」を使ったミスディレクション。共通項、最大公約数、一般を「これ知ってて当然よね。」と円で囲い込むように括り、知らない人を篩(ふるい)に掛けるようなやり方を逆手に取るのが、このネタの肝である。

 昔は、お茶の間も、その対極だったサブカルも、実は「共通項の嵩」による笑いを基礎にしていた。が、2020年代以降の世界は”無数にある未知”だらけ。ならば「知らねー(笑)」という”ないないネタ”で笑いをとる方がまだマシということ。

 つまり「ないないネタ」が”あるある”にまで昇華したのである。
「ベジータかよ!」とか「スーパーサイヤ人じゃないんだから」とかいう例えツッコミは、現在50歳の自分にはわからない。「知」に頼らない笑いというサービスは、お笑い顧客満足度を考え抜いた結果か。

 が、年寄りにも、子供にも、バカにも利口にも共通してわかるのは、「変な人」という、実は、情報に依存しなかった時代の真っ当な原点回帰がここにあるのが興味深い。兼近らの作る漫才は、そのことに対してかなり意識的だ。

 『オードリーのオールナイトニッポン』では『ドラゴンボール』をよく話題にしているが、兼近の批判は、オードリーの世代くらいまでをも対象にしてるということにもなる。さらにその裏には、「いまだに高校の部室感出してんじゃねーよ」という、オードリーに限らず深夜ラジオへの批判も隠されているような……。
中卒の兼近の前では、高校の”部室あるある”のノリすら無効。引き続き、兼近が持っている“路上のインテリジェンス”には注目したい。
 

【初出:『越境芸人 増補版』書き下ろし】


画像1撮影/ただ(ゆかい)

マキタスポーツ
1970年生まれ、山梨県出身。芸人、ミュージシャン、役者、文筆家。2012年の映画『苦役列車』で第55回 ブルーリボン賞新人賞、第22回 東京スポーツ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』(扶桑社文庫)、『アナーキー・イン・ザ・子供かわいい  “父親に成る”ということ』(アスペクト)がある。

<書籍情報>

ジャンルを“越境”するマキタスポーツ、10年分の評論集。

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芸人・ミュージシャン・役者・文筆家と、ジャンルを“越境”しながら活動を続けるマキタスポーツによる、渾身のセルフマネジメント論にして、10年分の評論集。

さらに、アイドル歌手から俳優まで、あらゆる分野でトップに立ち、近年は公演や映画のプロデュースを手がけ、表舞台と裏方を行き来する“越境”のスペシャリスト、小泉今日子との特別対談を巻末に収録。

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業界を飛び越え、ジャンルを横断するなかで見えてきた、定住しないからこそできること。いまや誰もが生き方の“編集”を求められる一億総表現者時代。セルフマネジメントだけが身を助ける自己責任社会。

考えない勇気を持て。
幸福の先を探せ。
頑張るな、負けろ!
とどまるな、越境しろ!

マキタ式“第三の思考法”にして、斜め上の日本人論。

マキタスポーツ (著)
『越境芸人 増補版』

発行:東京ニュース通信社
発売:講談社 
本体価格:1,500円+税

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