子どもの頃に印象に残った物語と人生
子どもの頃に読んだ物語がずっと心のなかに残っていることがある。忘れていても。
小学年1年か2年の頃だったと思う。
『古事記』を読んで疑問に感じていたこと。
それは、国生みの場面。
天の御柱をイザナキ(男神)が左から、イザナミ(女神)が右から廻り、2人がめぐり逢ったとき、イザナミ(女)がイザナキ(男)に先に声をかける「あなにやし、えをとこを」。それからイザナキが「あなにやし、えをとめを」と声をかける。こうして、脚の立たないヒルコが生まれる。その子を葦の舟にのせて流す。もう1人アワシマという子が生まれる。二神はこの失敗を案じ、天つ神に報告する。天つ神は卜占をして「女先に言へるに因りて良からず。また還り降りて改め言へ。」と申し渡す。
「どうして?」と思った。
どうして先に女が声をかけるといけないのだろう。
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いきなり話は変わるが、同年代の同僚と話していた時のことだ。
彼女の娘が卒論にジェンダーに関するテーマを選んだという。その話の中で、私たちが就職する頃には男女平等機会均等法が施行されてたけど、実際は違ったよねーというような話をしつつ、「私は子どもの頃から、どうして女だけが家事をしなければなならないのか。盆暮れ正月、何かの集まりの度に、その準備、料理やお酒、お酌、愛想までも要求される。それに従う母や自分がまるで、奴隷のようだと思っていた。」と言うと、彼女は「女が家事をするのは当たり前のことすぎて、何とも思わなかったし、今も何とも思わないな。」と。そして、娘が卒論テーマのデータ集めにGoogleフォームでアンケートを取った話をし始めたので、その話は終わった。
私がずっとこだわっていたことが、彼女にとっては当たり前のことだったことに、一瞬、ぽかんとしたけれど、ああ、そうか。と、何か腑に落ちた。
彼女は、単なる男女の違いと捉えていたのかもしれないが、私には、その違いがどうしても不公平と感じられる。ただの違いと不公平、その間にある段差のようなものに、私はいちいち引っ掛かってきたんだな。
自分を振り返ってみると、どうしても受け入れ難い、でも、受け入れるしかできない、理不尽だと感じることは、この男女の不公平感からきているような気がするし、また、その体験をするのにうってつけの家に生まれ育ったと思う。
この、女であることによって被る理不尽さのような何かに敏感で、それにこだわる私から見たら、ということではあるが、
簡単に言うと、父(男)を君主とした支配/被支配のヒエラルキーの家だった。父の言うことには絶対服従だった。
15才頃までは、母の手伝いをしなければと思いながらも「弟はしなくていいのに、どうして私が?」と反発する気持ちがあった。
15才頃以降は、母を守らなければと思うようになっていった。その奥には(当時は意識できていなかったが)恐怖があった。母がいなくなると、今度は私が父の支配を受け入れなければならない。私にとって、それは死も同然だった。
このヒエラルキー、支配/服従の関係は、そのまま私の世界の見方でもあり、社会での生き方、人間関係でもあった。相手がどの層にいるかを値踏みしていたし、自分がどの層に位置しているか、いつも誰かと比べていた。
ここでは端折るが、
自分の人生を生きはじめて、このヒエラルキーから抜けていた。
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実際に、私が選んだ職はITエンジニアで、性別による不公平さは無いだろうということと、ある程度収入があって1人でも自活できるという理由だったし、1回目の結婚は父の支配から逃げるためでもあった。
2回目の結婚はヒエラルキーの外側からやってきた相手(彼は私の家にとっての異星人のよう)だし、女性が多く非正規で薄給だが図書館司書という職を選んでいる(今でもニヤつくくらいに憧れ、なりたかった職だ)。
こう振り返ると、
女性性/男性性のテーマの上に私の人生があるようにも思えてくる。
余談だけれど、
NOTEを書いているうちに思い出したことがあった。
小学1年か2年の頃に先生から「尊敬する人は?」に「推古天皇」と答えたことがある。大多数がお父さん、お母さんと言う中で、先生には呆れられたが。
『古事記』の最後の文章は、推古天皇の話で終わる。
この繋がり、なんだか面白い。
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