《雨水》第4候・土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)
「ただ光あるほうに」
母が咲いたよとLINEをくれた雪割一華の
花のいのちのあいだに、間に合った。
実家の庭のしゃくなげの下の雪割一華たちは
陽の光のほうへ一心に花ひらいている。
そしてまた、
夕暮れには花をとじる。
雨水の前後~水瓶座から魚座へ
太陽が水瓶座の後期度数に入るころから、なんだか眠くてぼんやりと、
この思考パターン、繰り返す記憶あるなぁと、
泡のようにわきあがるのを認識する、そして、すうっと消えていく。
今は思い出せないし、また、何かのタイミングで浮かび上がってくるのかもわからない。
波にただ翻弄されるのではなく、波にのっていきたい。
凪いでるわたしも、荒れてるわたしも、今となれば味わい深い。
久しぶりに、谷川俊太郎さんの詩も思いだした。
「忘れっぽい天使」
くりかえすこと
くりかえしくりかえすこと
そこにあらわれてくるものにささえられ
きえさってゆくものにいらだって
いきてきた
わすれっぽいてんしがともだち
かれはほほえみながら うらぎり
すぐかぜにきえてしまううたで
なぐさめる
ああ そうだったのか と
すべてがふにおちて
しんでゆくことができるだろうか
さわやかなあきらめのうちに
あるはれたあさ
ありたちはきぜわしくゆききし
かなたのうみで いるかどもははねまわる
ー 「クレーの天使」
作者: パウル・クレー,谷川俊太郎 出版社: 講談社
外からは何もおこってないようにみえていても、
ただ立っているだけで精一杯だった頃に、
”すべてがふにおちてしんでいきたい”
それが生き続けるしかないとわかっている私にとっての支えになっていた。
今もそれは変わらない。