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高校生が書いた小説『ツバキの花は落ちたまま』⑤

第六話 覚悟
 終業式前日となっても、私たちは授業を受けている。国語の授業だ。この授業が終われば帰れる。少し前の私とは異なり、もう私の頭の中は楽しいことしか考えていないお花畑状態ではない。

「えーであるからして、この本文で紹介されているユクスキュルの『環世界』という概念は、生物それぞ れにはそれぞれの知覚する、独自の環境があるということを言っているわけです。少し拡大解釈になるかもしれませんが、これを人間に当てはめてみてはどうでしょうか。人間は一人一人独自の環境を持っている。だから人は他人の環境を完全に理解できない。要するに他人がどう物事を感じるか、物事に対してどう思うか、考えるかといったものは、どれだけ親しい間柄だとしても完璧に理解する事はできないということです。まして、その人が秘密主義なら、なおさらでしょう。さて、少し話はそれましたが…… 」

 一応授業は真面目に受けるようにしているつもりだけど、国語の授業は眠くなる。寝てはだめ、寝てはだめと自分で自分を鼓舞し、授業を乗り切った。

 放課後になった。柚葉は今日から入院することが決まっている。しかも時間がギリギリらしく、学校が終わるとすぐ病院に向かってしまうとのことだったので、私と瑞稀は急いで柚葉のもとへ向かった。

「柚葉、とうとうだね。手術まではまだ三日あるけど、頑張ってね。お見舞い行くから待ってて」

 私の言葉に続くように瑞稀も

「ユズ、ぜっったいに夏休み明け元気になって一緒に遊ぼうね!ボクも椿と一緒にお見舞い行くよ!」

 と言った。本当は病院まで一緒に行きたいけれど、病院までは家族と行くらしく、さすがにそこにお邪魔するわけにもいかないから学校でお別れだ。とはいえ明日にはお見舞いに行くから会えるけど。

「ありがとうございます。私頑張るので、たまにはお見舞い来てくださいね」

 そう言って柚葉は私たちに礼をして背を向け歩き出した。よほど時間がないのか少し早歩きだ。

 柚葉を見送る瑞稀は、なぜか覚悟を決めたような顔をしていた。

 手術までの三日間、私たちは毎日柚葉のお見舞いに行った。そこで分かったのは、どうやら病院は案外快適らしいということ。ネットには繋がるし、特に制限もないから一日中スマホをいじっていてもいい。

 一応起床の時間と就寝の時間は決められているけれど、柚葉はそれに対してストレスは感じていないらしい。私からすれば二十一時就寝なんて寝れる気がしないけど。

 柚葉は落ち着いていた。手術を恐れるでもなく、まるで手術などしないかのように平然と振る舞っていた。おそらくもう手術の覚悟は決めたのだろう。

 手術の前日の夜、私たちはメッセージアプリ上で柚葉と話していた。明日は朝から手術らしく、また家族しか立ち会う事はできないから手術前に会話するのはこれが最後となる。

< ユズ、頑張ってね!>

< あ、でも緊張しすぎで寝る寝れないとかはないようにね!>

 瑞稀からグループチャットにそんなメッセージが送られる。少し冗談も混ぜて柚葉をリラックスさせようとしているのが瑞稀らしい。私からも頑張ってね、と送っておく。すると数分して、

< 二人とも有難うございます!がんばります>

< あ、そろそろ寝ないといけない時間なので…… おやすみなさい椿さん、瑞稀さん。次に連絡できるのは数日後になると思いますが、私を信じて待っていてください!>

 現在時刻は二十時五十分。まだこんな時間なのに、とも思ったけれど病院の消灯時間がはやいのを思い出して納得する。

 あと私ができるのは、柚葉を信じることのみ。きっと柚葉なら大丈夫。心配の必要はない。

 次の日、私は家でひとり柚葉のことを考えていた。今の時刻は午前十時ごろ。予定ではちょうど今くらいに手術が始まる。その場にいられないことにもどかしさを感じつつも、手術が終わるその瞬間まで祈り続ける以外に、私にできる事はない。

 午後四時ごろ、ある人物からメッセージが届いた。柚葉の親だ。この前お見舞いに行った時にたまたま鉢合わせて連絡先を交換した。それで、手術が終わったらその旨をメッセージで伝えてもらうようお願いしていた。

 メッセージには、手術は成功したと書いてあった。私はすぐさまその情報を瑞稀に伝える。

 一時間ほど経って、瑞稀から返信が来た。

< よかった!>

 とのことらしい。瑞稀も良い結果を聞けて嬉しいようだ。

 改めて手術が成功したことを思うと、ずっと緊張していた体が一気に弛緩するのを感じる。まだこの先柚葉の容態がどうなるかは分からないけど、ひとまずは安心。そう思うと同時に私の体に強烈な睡魔が襲ってきた。そういえば柚葉のことを考えるあまり十分な睡眠ができていなかった気がする。ひとまずは寝よう。私はベッドに入った。

 あれ以降、瑞稀とは連絡が取れなくなった。

第七話 直感がそう言ったから
 中学校のころ、国語の時間にとある話を読んだことを覚えている。

仁和寺にある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、

たゞひとり、徒歩よりまうでけり。

極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、年ごろ思いつること、果たしはべりぬ。

聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん。

ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ずと言ひける。

すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

 徒然草にある『仁和寺にある法師』というお話だった。内容はあんまり覚えてないや。

 柚葉の手術から数日後、私は病院に向かった。家族以外の人もお見舞いに行っていいようになったからだ。集中治療室と呼ばれるところにいた柚葉を見て、私はまず可哀想だと思った。身体中にいろんな管があったり、針が刺さっていたりしている。首には太い針が数本、片手の手の甲近くには点滴のためと思われる注射針が刺さっている。胸とお腹の間くらいの位置には、太い管が二本刺さっていた。見ているだけで痛々しい。それでも柚葉は気持ちよさそうに寝ている。そんな柚葉を起こさないように、私は静かに立ち去ろうとした。

「もういいんですか?まだ面会時間は二十分残ってますよ」

 近くにいた看護師さんが控えめな音量で私に問いかける。

「大丈夫です。柚葉が無事なのが分かっただけで満足です。それに、気持ちよさそうに寝ているので起こしたくないですし。失礼します」

 そう看護師さんに伝えて、私は病室を後にした。

 病院を出て家に帰るため駅に向かっている途中、私はあることを考える。

 瑞稀との連絡が取れない。

 さっき病院を出る前に瑞稀がお見舞いに来ていたか聞いたみたけど、手術の日以降来ていないようだった。

 メッセージアプリを取り出す。瑞稀に送ったメッセージを見る。そこに既読の表示はなかった。これを送ってから何日か経過している。ちょうど手術の日の夜に送ったものだ。

 たった数日と言われればそうかもしれない。しかし嫌な予感がする。直感が、今行動しなければならないと叫んでいる。私の直感は当たる。瑞稀と柚葉と友達になっていることがその証拠だ。

 連絡が取れない以上、直接会うしかない。そう考えていると駅に着いたので、私は自分の家方向の電車には乗らず、瑞稀の家へと向かう電車に乗った。

 この現状を引き起こした要因は無数に考えられる。単純に忙しい、スマホが何らかのトラブルで使えなくなった、私側のスマホのトラブルでメッセージを受信できていないなど。そして、瑞稀が意図的に連絡を取らないようにしているという可能性も、少なからず存在している。

 瑞稀の家の最寄駅に着いた。ここから瑞稀の家へは十五分ほど。とりあえずはそこを目指して歩いた。

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