能『鵺』からみる刀ステ三日月宗近の考察
能楽好きの審神者です。
前作「能『山姥』からみる刀ステ山姥切国広の考察」にはたくさんの反応をいただきありがとうございました!予想以上の反応に驚天動地の七転八倒しておりました。恐縮の限りです…!
魂は富士の裾野で未だにすえひろがっていて帰ってきていないのですが、世間の流れに逆らって再び筆を執りました。いや、あの、突然天啓が降りてきたもので…すみません…。とりあえず、まんばちゃんの単独行が始まるまでには間に合わせましたが…。
ということで、今回は能『鵺』と刀ステ三日月宗近の関連を見ていきたいと思います。
正直、刀ステの三日月は掘れば掘るほど深淵へと沈んでいくブラックボックス…と勝手に思っているので、あまり中途半端なことは言えないとは思うのですが、たくさん考察されている先人の方々の集合知の一端となれば…と思っています。お手柔らかにお願いします…!
※前回ほどの文献研究が行えていません。自分の記憶やらネットでの情報をやらで考察を進めるのは…と正直思いますが、ご容赦ください。誤用・間違い等あればこっそり教えていただければ…と思います。
※能についてはあくまで素人知識です。記憶違いや知識違い等あるかと思います。ご容赦ください。
※今回も刀ステ(悲伝、綺伝、維伝)のストーリーに関する重大なネタバレを含みます!ネタバレを回避したい方はご遠慮ください。
※ただし、悲伝と綺伝と維伝について、今回は手元に再生できる資料がないため、だいぶ記憶でしゃべっているところもあります。資料が手に入ったら訂正等しますが、そこもご容赦ください。
※例によって、話が長い!!って人は目次の「能『鵺』を踏まえた刀ステ考察」をお読みください。
能『鵺』について
さて、それでは今回取り上げる曲、『鵺』についての解説をしていきたいと思います。
『鵺』は、実は曲の中で「獅子王」が出てくるんですよね!獅子王の元主である頼政公が鵺退治をした伝説を基に作られた作品となっています。
あらすじ
【登場人物】
シテ…前半は船人。正体は鵺の亡霊。
ワキ…旅の僧
【あらすじ】
諸国一見の旅に出ていた僧が、熊野詣を終えて京へ戻る途中、摂津国難波の蘆屋の里に着いた。宿を借りようとしたところ、里人に断られたため川渡しの小屋を勧められる。里人によると、この小屋には夜な夜な光る物が出るとのことであった。夜更けの頃、波間を浮かびながら寄って来る者が現れた。見れば、舟の形はしているが埋木(うもれぎ)のようで、乗っている人影も判然としない。不審に思った僧が声をかけてものらりくらりと正体を明かさない。その後も問答を重ねたところ、舟人は自らが近衛天皇の時代、帝を苦しめ頼政に退治された鵺であることを明かす。鵺退治の伝説を語りながら、うつお舟に乗せられ淀川に流された自らの浮かばれない妄執を晴らしたまえ、と僧に回向を頼み、消え去る。
夜通し読経をする僧の前に、頭は猿、手足は虎、尾は蛇という変化の姿で鵺が現れる。僧の読誦により成仏の縁を得たことを喜び、帝を苦しめたことで頼政に退治された事の顛末を詳細に語る。頼政は名を挙げたが自らはうつお舟に押し込まれて流されながら朽ちていった対比を語り、海に映った月影が隠れると共に鵺の姿も闇に消えていったのであった。
鵺退治の伝説
さて、この『鵺』は、源三位頼政こと源頼政の鵺退治を基にした能です。ということで、能の中で語られている鵺退治の伝説についても紹介しておきましょう。(『平家物語』の内容も一部参考にしています。)
近衛天皇の仁平年間、帝は毎夜、御悩(苦しみ)があった。効験あらたかな高僧貴僧らに大掛かりな祈祷させても一向に良くならない。御悩は丑の刻に起こり、その時になると東三条の森の方から黒雲が起こって御殿を覆うことで起こることから、公卿の詮議が行われ、変化のモノ(物の怪)の仕業であると予想し、武士に警固させることになった。そこで選ばれたのが、当時、兵庫頭であった頼政だった。
頼政は「猪の早太(平家物語では井の早太)」という家来を一人連れ、袷狩衣に山鳥の尾の尖り矢(先の鋭い矢)2本に重藤の弓を持ち、御殿の警固に当たった。
丑三つ時を待つ頼政。そこに黒雲が現れて御殿の上を覆った。頼政は雲の中に怪しい姿が見えたため、「南無八幡大菩薩」と心に念じて矢を放ったところ、見事命中。落ちてくるところを猪の早太が走り寄り、立て続けに九度刺して退治したのであった。退治したモノをよく見れば、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の様で、声は鵺(トラツグミ)に似ているという不気味な姿であった。
この鵺退治の褒美として、頼政には太刀獅子王が下賜されることとなる。この獅子王を下賜する際、宇治の左大臣であった藤原頼長がそれを取り次ぎ、頼政に渡すため階段を降りようとした際に郭公(カッコウ)が鳴いたため、
「ほととぎす 名をも雲居に あぐるかな」
(訳:ほととぎすが雲間に鳴いて名をあげたように、頼政も宮中で功名を上げたことだ。※雲居・雲井とは宮中のことを指す)
と詠んだところ、頼政は右膝をついて左の袖を広げ、月を横目に見ながら
「弓張月の いるにまかせて」
(訳:弦月が入った闇の空を、弓にまかせて射ただけ。まぐれ当たりにすぎません。)
と下の句をつけ、刀を賜ったという。
一方の鵺はうつお舟(丸太を切り抜いて作られた舟)に押し込められ、淀川に流されるまま、蘆の名所・鵜殿を過ぎ、蘆屋の浦の浮島に流れ留まり朽ちていったという。
これは平家物語を出典とするものですね。この伝説についてはゲーム刀剣乱舞の獅子王の関連で知っている方も多いのではないでしょうか?じっちゃんへ送られた獅子王は、鵺退治の褒美だったんですね。
ちなみに、アニメ刀剣乱舞花丸2期の第1話では、獅子王はお供(?)の鵺のことを、
と言っています。(この時の鵺が髭切に怯えてプルプルしてるんですよね。カワイイッッ。)5匹の虎を連れている五虎退と同じように、鵺の伝説に関連して付属されたお供なんでしょうが…。ここもなんだか掘り下げられそうな気がしなくもないですが、今回はちょっと横に置いておきます。
この鵺退治で名を上げた頼政公と、うつお舟に入れられて淀みながら流される鵺の対比が、非常に印象的に語られているわけですね。
『鵺』という曲について
この『鵺』という曲は五番目物(鬼や妖などがシテ=主人公となる曲。切能とも言います。)として扱われる曲です。作者は世阿弥。先ほども触れましたが、平家物語を題材として作られた曲であるとされています。
物語や歌舞伎などの演劇では、化け物退治の話は大抵退治する側から描かれることが多いですが、退治された側の視点で描かれる…というのが実に能らしいですね。能は鎮魂の芸能と呼ばれることもあるくらい、とにかく敗者側から語られる物語が多くあることで知られています。退治された側から描かれた(退治された側がシテとなる)五番目物といったら、『殺生石』も有名ですね。こちらは玉藻の前(妖狐)がシテとなって退治され、殺生石となった伝説を基にした曲ですね。気になる人は調べてみてください!玉藻の前という妖怪界のビックネームが登場することもあり、結構人気の曲…だと思います(少なくとも私は好きです)。
この曲は『山姥』と違って位はそんなに重くないとされています。鬼やら妖やらの曲ってそんなに位が重くないんですよね…。(例外は『道成寺』ですかね。あれは鐘入りや乱拍子という特殊技能が必要になるので。)
ちなみに、頼政公をシテとした『頼政』という曲もあります。こちらは頼政公の最期を描いた曲ですが、こっちはかなり位が重いです。「三修羅物」と言われる修羅物(武士をシテとする曲。二番目物とも言われます)の代表作と言われるくらいのものなので。じっちゃんはすげーんだぜ!
そして、前半は正体を隠して旅の僧の前に現れ、自らの正体を明かして成仏できるように願い、後半で真の姿となって現れて改めて生前を語る…というもの、能、特に夢幻能の典型的なパターンとなっていますね。そして、僧侶の念仏により成仏できる道(可能性)が開かれた、というのもある意味お決まりです。(『山姥』はこの成仏できる(した)と明言はされてない&そもそも僧や回向のシーンが出てこないことが異色なのですが。)
そうした視点から見れば、『鵺』は能における王道パターンをいっている曲とも言えるかと思います。だからこそ、謡の稽古の順番としては「入門」という、比較的初心者向けの曲に位置付けられていると思うのですが…。
ちなみに、謡本にある「曲趣」では、前半は「一種陰惨な趣があって、謡の緩急が少ない」とあり、後半は「一段と抑揚緩急があって強めにハッキリ謡う」とあります。曲の最後であるキリの部分の舞も、妖としての姿を見せるということで動きの激しい型が多くみられます。後半部分は見ていても楽しい部分となっていますので、能を観劇される際にはぜひ後半に注目を!
『鵺』で描かれる月について
さて、この『鵺』には要所要所に「月」が現れます。
曲の最後、キリと呼ばれる部分では、このような詞章(歌詞)が出てきます。
鵺が海に映る月影と共に消えていくという最後の場面です。
この詞章は、
「暗きより暗き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ山の端の月」
という和泉式部の和歌の引用となっています。
この和泉式部の和歌について少しだけ触れようと思います。
この和歌は『拾遺和歌集』の「哀傷」の部に収録されている歌です。
と訳されます。この句の詞書には、
「性空上人のもとに、詠みてつかはしける」(『拾遺和歌集』)
「播磨の聖の御許に、結縁のために聞こえし」(『和泉式部集』)
とあり、この歌は「はるか彼方から照らす真如の月の光で、迷える私を導いてください、と性空上人に訴えたもの」と解説されています。
この歌は『法華経』の「化城喩品(けじょうゆほん)」にある、
「従冥入於冥 永不聞仏名」(冥きより冥きに入り、永く仏名を聞かず)
から発想を得ていると言われています。鴨長明の『無明抄』でも、この和歌は和泉式部の代表作であり、仏教の教えを踏まえて読まれた「釈教歌」であることが示唆されています。(そこの解説はちょっと私には難しすぎたのと、今回話したい内容から逸れてしまうので省略を…。)
要するに、この和歌は法華経の教えを踏まえつつ、迷える自分を救ってほしいという願いを込めた歌、ということですね。
ところで、「真如の月」という言葉は、後半になってシテ(後シテ=正体を現した鵺)が登場したところでも詞章に出てきます。
ということで、「真如の月」とは何かをコトバンクで調べました
…といったところでした。うーーーん、仏教の深淵に入り込みそうですね!
簡潔に解釈するのであれば、「真如の月」は暗闇を照らす月のように迷いや煩悩を払うことを指すということですかね。ただ、「仏法の象徴は真如の月といわれる」(引用:『釈教歌の研究ー八代集を中心としてー』)という解釈もありますし、「真如の月」は「人々を迷いから救うもの」という解釈もできそうです。
そして、能『鵺』の話に戻りますが、鵺(シテ)は曲の最後で月と共に消える描写をされています。先ほど、僧の回向で成仏の道(可能性)が開かれたと書きましたが、この最後の場面で月と共に夜の海の中へ消えていくという描写では、成仏したとは明言できないんですよね。成仏できたらちゃんとキリ(最後)の場面の中で「仏果を得た」とか「ありがたし(けれ)」という謡が入ったり合掌の型をしたりして終わりますから(『清経』や『敦盛』なんかがそうですね。)。
なので、この鵺(シテ)が救われたかどうかは実のところ分からないんです。夜の海という暗き場所へと沈んでいく…という描写は、まさしく「暗きより暗き道にぞ入りにける」ですね。ならば和歌の本意と重ね合わせれば「遥かに照らす山の端の月」に救いを求めている、と読み取れるでしょう。
つまり、この「月」は鵺が救いを求める存在として表現されているのではないか、と考えました。もっと言えば、「月と共に消える」というのは「月が鵺に寄り添っている」と解釈もできるかなぁと。ちょっと夢見がちな解釈とは思いますけどね!
そしてもう一つの「月」が、頼政公の歌に出てくる「弓張月」ですね。コトバンク曰く、
とあります。弓張月は形としては半月なのですが、月を弓に例えるという表現については、ある曲を紹介したいと思います。それが、能『融』です。
あらすじについては本筋から外れるので興味のある方はリンク先の「the 能ドットコム」さんにて参照していただければ…。今回言及したいのはキリ(曲の最後)の部分です。
この『融』という曲では三日月(の影)を弓に例えているのです。この『融』も作者は世阿弥ですので、ちょーーっとこじつけではありますが、「弓張月」を「三日月」と関連させることも可能かな?なんて思います。
もっとも、頼政公が詠んだ「弓張月」は、鵺を退治した存在だとも言えるのではないか、と考えられます。というのも、キリの部分で鵺は自らが退治されたことについて、このように述べています。
ということで、頼政の武勇よりも「天罰」こそが自分の死んだ原因だと言っているわけです。というのも、鵺はそもそも帝を苦しめた目的が「悪心外道の変化となって、仏法王法の障りとなる」ため、なんですね。能では鬼や妖たちは大抵「王威に背く」「君が代に障りをなす」ために悪行を行うことが多く、そのために天の助力を借りた者によって倒されるのがお決まりのパターンです。鵺もその例に漏れず…なので、頼政公が謙遜で言った「弓張月のいるにまかせて」を、鵺は天罰ゆえもたらされた結果だと語っているのかな、と。
ならば、鵺目線で考えればこの天にある「弓張月」は鵺を殺した存在と見れるのかな、とも思います。
まとめると、この『鵺』という曲の中で「月」は「鵺を救うもの」でもあり「鵺を殺したもの」でもある、という見方ができるのではないか、と推察しました。なんにせよ、「月」が重要なものとして扱われていることが読み取れるかと思います。
刀ステにおける「鵺」と三日月
悲伝に出てくる「鵺」
さて、それでは本題に映りましょう。刀ステには「鵺」と呼ばれる敵がいくつか出てきます。ので、まずは「舞台刀剣乱舞 悲伝 結いの目の不如帰」からいきます!
※時系列がだいぶ前後しているような書き方をしています。ご注意ください。
もうね!刀ステで「鵺」といったら悲伝の敵、「鵺と呼ばれる(時鳥)」ですよね!!
彼(?)は足利義輝が永禄の変にて討死する際、所持していた刀たちが集まって誕生した存在(という解釈でいいですかね…?)です。
剣豪将軍と呼ばれた義輝公の最期は、畳に将軍家伝来の刀を十数本突き立て、刃こぼれした刀をとっかえひっかえしながら一人で多数の敵を斬り続けた…という伝説で語られています。刀ステでもその場面から物語が始まるわけですが、この時に絶命した義輝の側に刺してあった刀たちを核とし、討死した義輝公の無念によって生まれた集合体のような、刀剣男士のような存在(と言っていいかは分かりませんが…)こそ、「鵺と呼ばれる」彼なわけです。
審神者による顕現ではなく、さらに義輝の無念ゆえに生まれた存在だからか、彼は「義輝公を守る=永禄の変で死なせない」という目的をもって行動していきます。何度も何度も時間遡行を繰り返し、義輝を守るために行動していく彼はやがて力を増していき、時間遡行軍と共に敵対する刀剣男士たちを倒すべく本丸を襲撃します。
そんな彼は、義輝から「時鳥(ほととぎす)」という名を与えられます。そして名付けられたことで自我が確立した時鳥は、それまでの拙く幼いような言動から確固たる意志を持った、刀剣男士に並び立つような存在となっていきました。(以下、「鵺と呼ばれる」彼のことを「時鳥」と表記します。時鳥と名付けられる前の時点でも便宜上そう表記させてください。手元に資料がなくて時系列がだいぶ不安なので…。)
さて、そんな時鳥は三日月宗近に執着しているような姿を見せます。最初に相対した際、三日月が時鳥をわざと逃がすという行動をとったから…という要素もあるでしょう。しかし、本来敵対する立場同士にも関わらず、時鳥は三日月(と、三日月を追ってきた骨喰藤四郎と大般若長光)に「一緒に行こう」と呼び掛けています。(もっとも、強くなった時鳥は味方にならない三日月を「いらない」と言い放ちますが…。)
なぜ、三日月に執着するのか…については本心を語ることはありませんが、強くなっていく時鳥の戦い方や言動は三日月のそれに類似していきます。三日月宗近も足利宝剣として義輝の手元にあったからではないか、と推測できますが…どうして他の刀ではなく三日月なのでしょうね?
ところで、この「時鳥」という名ですが、義輝は「時を超えて儂を連れて行ってくれ」という願いを込め、「時の鳥」という漢字を当てた「時鳥」と名付けています。もっとも、根本にあるのは義輝の辞世の句でしょう。
「五月雨は 露か涙か ほととぎす 我が名を上げよ 雲の上まで」
このホトトギスには義輝の名を広めるという願いが込められているわけですが、ホトトギスには様々な漢字が当てられていると義輝も言及しています。一番よく使われる、そしてこの悲伝のタイトルにあるのが「不如帰」という漢字です。この漢字は中国の故事からつけられたと言われており、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 何よりも帰るのがいちばん)という「帰りたい」という意味が込められた漢字なんです。
時鳥が倒される際(刀剣男士の刀剣破壊の演出と同じように彼は倒されるのですが)のセリフに、この言葉が出てきます。
もうね、ここがね、最高に切ない場面なんですけど…!
それはさておき、この「帰りたい」という思いは、「結いの目」となってしまった三日月も抱えていた思いなのではないか、と思うわけです。「鵺と呼ばれた時鳥」と「三日月」に共通する思い…。もう少し掘り下げたいところなのですが、そのためには全作品を周回しないとできなさそうなのでちょっと、刀ステ考察班の先駆者様方にお任せします……!(結いの目がもうね、もうね、伏線に伏線を重ねていて何がなんやら…。)
ところで話は変わりますが、この義輝公の辞世の句を見るたびにいつも思うのですが、なーんか頼政公の句と似てません…?と。
まあ、ホトトギスが雲の上まで飛び、名前を上げる…という点しか似ていないといえばそうなのですが。それにしても似ていると思ってしまいます。
時代としては頼政公の方が先ですし、平家物語で書かれているわけですから義輝公が知識として知っていて、本歌取り…とまでいかなくてもオマージュのように使ったという可能性もあるかと思いますが、ここの部分、調べても何もわからなくて…。有識者の方で何かご存じでしたらぜひ教えていただきたいところなのです…。
とまあ、私には分からないので、開き直って好き勝手解釈しちゃいますね!この歌も接点として、鵺退治をした頼政公と義輝公の最期を繋げることができるのではないか、と!つまり、能『鵺』と刀ステの「時鳥」を繋げられる…重ね合わせることができるのではないかと!!
…いやまぁ、そもそも「時鳥」は名付けられる前には「鵺」と呼ばれていたわけなので何を今更…と思いますが。この2つの句がこの接点をより強固にするのではないか、と個人的に考察しています。
では、接点がより強固になったことで何が言えるか、ということなのですが、この「鵺と呼ばれる=時鳥」は三日月宗近を「真如の月」としているのではないか、ということです。
迷える者を導き、救いを与える「真如の月」。時鳥は、自分を導き、義輝を救うための力となる可能性を秘めた存在として、三日月に執着していたのではないか、と考えました。
しかし、結果として三日月は「真如の月」とはなりえませんでした。むしろ、時鳥を打ち倒す「弓張月」側となってしまったわけです(最終的に時鳥を倒すのは長谷部と不動なのですが)。
「鵺と呼ばれる=時鳥」は救われることなく倒されていきました。このラストは、能『鵺』のシテ(鵺)と共通します。もっとも、ただ「仏法王法の障り」とならんとした能の鵺とちがい、「自分の主である義輝を救いたい」という思いで戦っていた時鳥では、動機の点ではだいぶ違いがありますけどね!
それでも、敵側・敗者側である時鳥に感情移入ができるようなストーリーとなっているのは、能の構成と共通点があるように思います。
綺伝に出てくる「鵺」
続いていきましょう、「舞台刀剣乱舞 綺伝 いくさ世の徒花」です。
さて、前回の記事で綺伝についてあれこれと考察しましたが、直接的な関連で言ったら『山姥』よりも『鵺』との関連の方が強い気がします。と、いうのも、綺伝に登場する刀剣男士には獅子王がいるんですよね。
しかも、この獅子王が敵である「放棄された世界のキリシタン大名たち」のことを「鵺みたい」だと述べています。いろいろなものが混ざり合って、「鵺」のようだ、と。それゆえ、自分が倒さねばと決意を固めるわけなのですが。
これは、鵺伝説に由来をもつ獅子王だからこそ感じたものなのかもしれません。とはいえ、この比喩表現をわざわざ獅子王を登場させてまで使っているというのはおそらく(というか必ず)意味のあることでしょう。
で、あれば「放棄された世界にいる者たち」というは「鵺」としての要素を持っているということが示唆されているのではないか、と考察しました。
では、一体どこに共通する要素があるのでしょう?「鵺」のようにいろいろなモノが混ざり合った者…というのは、何というか…ちょっとしっくりこなくって…。確かに、維伝の放棄された世界にいた龍馬たち然り、綺伝のガラシャたち然り、人ではない「何か」に浸食されたような姿があります。維伝では時間遡行軍と混ざり合ってるような姿ですし、綺伝のキリシタン大名たちは真っ白な姿になっていましたね(ガラシャ様は「まるで蛇の様」とおっしゃってましたが…。)。
でも、鵺とするには混ざり合ってるものの数が少なくない?とも思わんでもないです。放棄された世界で時間遡行を繰り返しているから、時間遡行軍のような姿になっていく…と仮定をするなら、混ざり合ったというよりも、変質しつつある状態じゃないか、って思うんですけど…。
なので、「鵺」としての要素は別なところにもあるのでは?と考えました。それが「淀んでいる状態」にあるという点です。
能『鵺』のシテ(鵺)は「うつお舟に乗せられ、淀みながら流れていく」という末路を辿ります。
「淀川」と「淀み」をかけているのでしょうが、この「淀み」という言葉は刀ステにおいて(もっと言えば刀ミュにおいても)一つのキーワードとなっているかと思います。
それが、綺伝において山姥切長義が言った「切り離された時間軸は、川を堰き止めた水のように淀んでいく」という発言です(刀ミュの「江水散花雪」でも同じことを言っていましたね)。刀ステでも刀ミュでも、歴史の流れを大河と表現しています(もっといえば大河ドラマだってそうですね)。なので、放棄された世界(切り離された時間軸)というのは、流れをせき止めて作られたため池で水が濁っていくように、そこにいる様々なモノが淀み、濁っていくわけですね。その淀みが限界まで行ってしまったのが刀ミュの「江水散花雪」で描かれた幕末の世界なのですが…その話は私が号泣して話が進まないので止めておきます。
と、いうことで、「放棄された世界にいる歴史的人物たち」は「繰り返される時間軸を巡り続けている存在」であるがゆえ、どんどん淀み、濁ってく状態となっているのではないか、と考察しました。つまり、「淀んだ時間の流れに流されている」ともとれるのではないでしょうか。
その点において能『鵺』のシテ(鵺)との共通点が生まれてきます。この共通点も、獅子王は無意識に感じ取っていたんじゃないか…?と妄想しています。
さて。ここで問題となるのが「繰り返される時間軸を巡り続けてる存在」なのですが、その最たるモノ達が登場してきますね?そう、前回の考察でも触れた黒田孝高を筆頭とする「朧なるものたち」です。
ここで注目したいのが、この「朧なるものたち」はなぜか三日月を円環から救い出そうとして暗躍しているというところです。
その理由が語られることはなく、「朧なる山姥切国広」がいるからか…?と推測するしかできませんが、能の「鵺」からの視点で考察を進めるとちょっと見えてきそうです。つまり、「朧なるものたち」は自分たちを救う存在である「真如の月」たる三日月を救うことで、自分たちも救われようとする、という図式です。能の「鵺」が月を特別視していたのと同じように、「朧なるもの」たちにとっても三日月は特別…ってことですかね?
能『鵺』を踏まえた刀ステ考察
では、ここまでの考察をまとめていきます。
①能『鵺』で描かれる鵺は、
・帝を苦しめていたが、源頼政によって退治された怪異
・頼政が「弓張月のいるにまかせて」放った矢によって退治される
(その功績で頼政は獅子王を下賜された)
・退治された後はうつお舟に押し入れられ、「淀川を淀みつ流れつ」朽ちていった
・浮かばれない鵺の亡霊は、「真如の月」によって救われることを願い、月と共に夜の海へと沈んでいった
②悲伝と能『鵺』との類似点は、
・どちらも「鵺」と呼ばれる存在が出てくる
・鵺退治の際に頼政(と頼長)が詠んだ歌が
「ほととぎす 名をも雲居に あぐるかな 弓張月の いるにまかせて」
そして、義輝の辞世の句が
「五月雨は 露か涙か ほととぎす 我が名を上げよ 雲の上まで」
ということで、ほととぎすが共通して出てきており、類似している
→悲伝の「鵺と呼ばれる=時鳥」は、
・義輝の持ち刀が複数組み合わさって生まれた「鵺」のような存在
・義輝を救うため、時間遡行を繰り返し強くなった
・強くなるたびに三日月と戦い方が似通い、三日月に「一緒に行こう」と呼びかけた
③綺伝と能『鵺』の類似点は、
・どちらも太刀獅子王が出てくる
・(獅子王目線で)敵が「鵺」である
→獅子王が「鵺」のようだといった「放棄された世界のキリシタン大名たち」、そしてそのラスボスたる「朧なるもの」たちは、
・繰り返される時間軸を巡り続けてる存在
・そして、放棄された世界や繰り返される時間軸は、せき止められた川の水のように「淀んで」いく
・その中にいる歴史上の人物たちは、どんどん姿が変質し、人ならざる姿となっていく
・そして、「朧なるもの」たちの目的が、円環にとらわれている三日月宗近を救うことである
以上のことから、刀ステにおける敵(「鵺と呼ばれる=時鳥」や「朧なるものたち」)は、能『鵺』で描かれる「鵺」と似通った存在となっている、と考察できるかと思います。
と、なるとですよ。
さらに能『鵺』の視点から刀ステの三日月宗近を重ね合わせてみるなら、
三日月=「鵺」を救える存在=「真如の月」
という図式が作れるのではないかと思うわけです。
「真如の月」は「人々を迷いから救うもの」ともいわれるので、
三日月宗近は「人々を迷いから救う存在」となりえるのではないか?
…ということです。なんてこったい。この仮定がもし合っているとするなら、三日月にとんでもない属性を付与されていますね???
いやまぁ、原作ゲームでもどのメディミでも、とんでもない役割を負わされているのはそうなんですけど……。
さてここで、能『鵺』の結末を思い出して欲しいのですが、鵺(シテ)は月とともに沈む、闇の中に消えるんですよね。
救われる可能性は示唆されているのですが、消えゆく先は夜の海、闇な訳です。ここを踏まえるのなら、鵺たち…「朧なるものたち」の行き着く先は…と嫌な予想をしそうになるんですが。
そこらへんは、「朧なる山姥切国広」が登場するであろう「舞台刀剣乱舞 単独行」で何かが明かされるかもしれませんね。ドキがムネムネします…。
あとがき
ということで、前回の考察ほどまとまりもなければ根拠も弱い、かなり雑然とした考察になってしまいました。申し訳なさの極みです…。
ここ最近、刀ステだけでなく刀ミュにおいても能の演目との関連がいろいろと見つかってきていて、情緒が大変に乱されてしまっております。
いい加減、後出しのように考察を進めるのもどうかと思いつつ、X(Twitter)ではポチポチとつぶやいているのですが…またどこかでまとめていきたいと思っています。思っているんです…なかなか筆が進まなくて…期待されている人がいたら申し訳ありません……。
能の世界は奥が深くて、でも、決して敷居が高いわけではないんです…!!と言いたいがために書いているはずなのですが、どうなんでしょう?少しでも興味を持つ方がいらっしゃれば、何も言うことはございません。
そして、私はあくまで素人の物好きなので、プロの方が演じられる能こそ、すべてが詰まっている最高の一次資料だと思っております。機会があれば、ぜひ一度ご覧になっていただきたい…!!
だいぶ話が脱線しましたが、長々とお付き合いいただき、ありがとうございました!!
【引用・参考文献】
※最小限の情報で失礼します。
宝生流謡本「鵺」(平成30年発行版)
宝生流囃子仕舞全集 第5巻「融」
「新版 平家物語(二) 全訳注」著:杉本圭三郎
「和泉式部 コレクション日本歌人選 006」著:高木和子
「釈教歌の研究ー八代集を中心としてー」著:石原清志
the 能ドットコム