台風男
「クーン…」
はじめは、小さなこえで、ないていた、犬のアオの声が、だんだん大きくなってきます。
「ワン!」
そして、寝たふりをしている、こう君のほっぺたを、ぺろりとなめました。こう君はがまんできずに、布団にごろごろと転がりながら、げらげらと笑いました。
「わかったよ、おしっこに行きたいんだろう、いこう。」
こう君とアオは、外に出ました。
「みーん、みんみんみん…」
「ホーホケキョ!」
「ごーごー…」
「かたん、かたん、かたん…」
セミの声、鳥の声、遠くから聞こえる、車の音、電車の音。
「へえっくしょん!」
これは、近所のおじさんの、くしゃみ。
こうくんが、くすくすと笑ってアオを見ると、犬のアオはしらんぷりで、草や塀や、電信柱のにおいを、しんけんにかいでいます。
いつもの、郵便ポストのところに来たので、引き返して、お家に帰ろうと思った時、こう君は、思わず立ち止まりました。
郵便ポストの先の、公園の角のところに、ひとりの男の人が立っています。
その男のかっこうといったら、白い帽子、白いシャツ、白いズボンに、白いくつ。手には、白いふくろを持っていて、そこに手をつっこんでは、なにかをにぎって、空にまいています。
不思議に思って、こう君は公園の方に向かいました。
アオが、”公園に行くの?” という顔をして、うれしそうにしっぽを振って、ついてきます。
「あの、なにをしてるんですか?」
こう君が、はなしかけると、白い男はおどろいたように、白いふくろを後ろにかくしながら、言いました。
「うわ、わ、わたしは、わたしが、きみには、見えるのかね?」
「うん、みえるよ。」
アオは、白い男の、靴やズボンに鼻をよせて、くんくんとにおいをかいでいます。
「ねえ、その袋はなに? なにをまいていたの?」
白い男は、しかたない、といったようすで、肩をすくめると、「仕事中なんだ。」と言って、また、ふくろの中に手を入れて、空にほうりなげました。
近くにいってよく見ると、白い男は、ふくろの中の手を、ぐるりとねじって、うすくて、白っぽい、煙のようなものをまきつけています。それを、空に放ると、白っぽい、とうめいの煙が、空にシュウーっと、のぼっていきました。
「おもしろい、やらせて!」
こう君が言うと、
「やってみるか?」
白い男は、少しわらって、こう君に、ふくろをわたしました。そして、公園のベンチにすわって、ポケットから白い水筒を出すと、のんびり休みながら、こう君を見ていました。
こう君は、ドキドキしながら、ふくろの中に手を入れました。
少し、ひんやりとしたものが、手にまとわりつきます。手首をねじるようにすると、それは、すうっとまとまりました。こう君は、白い男がやっていたように、そのけむりを、空にほうりなげました。
投げる、というよりも、手を空に向けると、煙は、こう君の手をはなれて、勝手に空にすいこまれていくのでした。
「おもしろい!」
犬のアオは、もうあきてしまって、帰ろうよ、と言うように、こう君を見ていましたけれど、こう君は、夢中で煙を空にあげつづけました。
「あれ?」
そのうち、ふくろに手を入れても、何もついてこなくなって、こう君は、なんどもふくろをかきまわしました。
「ああ、そろそろ、おしまいですね。ありがとう、助かりました。なにしろ、一晩中、これをしていたものだから、とてもつかれていました。」
白い男は、こう君から、ふくろを受け取ると、頭を下げました。そして、走ってもいないのに、とてもすばやく、すべるように公園からでていきました。
「ねえ、これ、なんだったの?」
こう君は、しずかに遠ざかっていく、白い男の背中に向かって、言いました。
「帰って、天気予報を、見てごらんなさい。」
白い男はもう、小さくなって、曲がり角をまがって見えなくなりましたが、その声だけが、こう君の耳元で、やさしく、聞こえました。
こう君は、アオと一緒に、走って家に帰りました。
家に着くと、お父さんがキッチンでコーヒーをいれていました。
「おかえり! アオの散歩、ありがとう。アオ、よかったな。」
テレビでは、アナウンサーが、台風が近づいていることを、知らせていました。台風は、ちょうど、こう君のいる方へ、近づいてくるようです。
「天気予報…そうか!あれ、台風をよんでたんだ!なるほど!」
「台風を?よぶ?なんのこっちゃ?」
こう君は、お父さんに教えてもよいのかどうか、少し考えましたが、にっこり笑ってソファーに座ると、お父さんを手まねきしました。
「お父さん、今、すっごくおもしろいことがあったんだよ。コーヒー持ってきて、ここに座って!」
お父さんが、コーヒーカップを片手に、ソファーに座るのを待ちきれないように、こう君は、はなしはじめました。