クモの子のはなし
太陽が高くのぼり、木の下には、くっきりと、黒いかげが出ている、お昼前のことでした。
クモの子が、サササッと、音も無く、家に帰ってきました。
クモのおばあさんが、気づいて声をかけました。
「おや、おかえり。もう学校は終わったのかい?」
返事は、ありません。
おばあさんは、ハンモックからおりると、だまって、クモの子に、おやつをおいてやりました。
しばらくすると、クモの子が出てきて、おやつを食べはじめました。
「ばあちゃん。」
「なんだい?」
「今日、ずっと、先生に叱られた。それで、頭にきたから、”ダメ”っていうこと、全部やってやった。」
「ほう、そうかね。」
「ともだちも、うるさいから、みんな、泣かしてやった。ぜったい、ごめんねなんて言うもんか。」
「ああ、そうかい。」
「ああ、なんか、いやだ、みーんな、いやなんだよ。」
「そうだねえ。」
おばあさんは、イチジクの汁を、クモの子にわたしました。
「さっき、カミキリムシのだんなが、カナヘビに追いかけられて『助けてくれ』って言うからさ、ここに隠してやったのさ。お礼にって、イチジクを置いていったよ。」
「ふーん。」クモの子は、イチジクの汁をひとくち飲むと言いました。
「ともだちがさ、『カミキリムシも、クモも、嫌われものだ。ろくでもないやつらだ』って言ってたよ。うちの人が、そう教えてくれたって。なあ、ばあちゃん、クモは〝ろくでもないやつら” なんだろう? ”ろくでもないどうし” だから、ばあちゃんは、カミキリムシともなかよくするんだろう?」
「ああ、」ばあちゃんは、イチジクの汁をしぼりながら、こたえました。
「おまえの、父ちゃんも、母ちゃんも、それはそれは、”ろくでもないやつら” だったねえ。もちろん、わたしもね!」
そう言って、おばあさんは、クックックッ、と笑いました。
クモの子は、おなかの力がぬけて、ぼんやりとしました。
おばあさんが、少しだけでも、”クモはすばらしい”って、言ってくれたらよかったのに。
「もういいよ!ばあちゃんのバカ!」
クモの子は、イチジクのかけらを、投げました。イチジクは、すぐそばの草の茎に当たって、地面に落ちました。
「おまえは、そんなに、”ろくでもないもの” がいやなのかい?」おばあさんは、しずかに、クモの子に聞きました。
「ああ、カブトムシみたいに、かっこいい、人気者になりたかったよ。」クモの子は、ちいさく、まるくなっています。
おばあさんは、クモの子の背中を、さすってやりながら、言いました。
「クモは ”ろくでもない” から、ろくでもなく生きようと、まじめに、がんばってる。カブトムシは ”かっこいい” から、かっこよく生きようと、ひっしになってる、おろかなことさ。」
「ばあちゃんの言ってること、よくわかんないよ。」と、クモの子。
「ああ、わかんなくていいんだよ、早く、なんにもわかんない、バカな、”本物のろくでなし” におなり。お利口になろうとするから、いけないのさ。昔のきまりごとの通りに生きなくてもいい、おまえは、おまえのままでいいし、なんだっていいのさ。やさしいクモになったっていいし、まじめなクモだっていい、いじわるカブトムシも、よわむしカブトムシだって、ありなのさ。」
「あのね、となりのクラスのカブトムシは、ものすごく、よわむしだよ。ぼくにいつも、泣かされてる。」クモの子は、顔をあげて、おばあさんを見ました。
おばあさんは、小さくわらって、うなずきました。
「そうそう、どんな生き物も、つくられたように、生きている。大きなきまりの中で生きている。けれども、きまったとおりには、生きられないし、きまったとおりに生きなくてもいいのさ。」
「ばあちゃん、それ、ぜんぜん、ちがうことだよ。はんたいのこと、言ってるよ。」
「その通り!世界は、たくさんの、はんたいのことが、ひとつになってできている。わけがわかんないのさ! どんなに逃げたって、おまえは、クモにしかなれない。けれど、どんなクモになったって、いいんだよ。
だから、『自分はクモだから』なんて、つまらないことを考えてないで、おまえの好きにしなさい。」
「そうか、ぼく、みんなに『わるい子』って言われるから、わざとわるいことしたり、でも『いい子』って言われたいから、むりして、がんばったりしてたんだ。でも、まわりにどう思われたっていいんだ、だって、ぜんぶ、ぼくだから。ははは!〝ろくでなしのクモ” だけど、ぼくは、ぼくだ!」
クモの子のおなかに、力が、もどってきました。
「ばあちゃん、もういっかい、学校に行ってくるわ!そろそろ、勉強が終わる時間だし、今日は、みんなと、沢にあそびに行くやくそくしたから。」
「バカだねえ、先生も、ともだちも、おまえのこと、おこっているんだろう? そんなところに行って、どうするんだい?」
おばあちゃんは、わらっています。
「ああ、みんなには、もちろんあやまるよ。先生は、宿題を山ほど出すだろうけど、やりゃあいいんだろ! だいじょうぶ!
だってさあ、ぼくの糸でつくったアミがないと、川にしかけがつくれなくて、みんながつまらないだろう?」
クモの子は、あっという間に、木のみきをのぼり、風にのって、行ってしまいました。
「さてと、もうひとねむり、しようかねえ。」
南から、かわいた風が、ふいてきました。
おばあさんは、くもの糸のハンモックに揺られて、目をとじました。