見出し画像

ファッションに興味を持ち始めた、23歳の秋

 これまで、「装い」にはそれほど気を使わずに生きてきた。理由のひとつには、ユニクロやH&Mなどのファストファッションが相応の品質の商品を生産している中で、金額の大半をブランド料が占めるファッションブランドにお金をかけることの意義がよくわからなかったからで、もうひとつには、学生の頃の僕には、1着2万円を超える高額なシャツをホイホイ買える余裕を持ち合わせていなかったからだ。
 ただ、2024年4月に労働者(僕は社会人という呼称があまり好きではない)になって以来、ひとり暮らしであれば豊かに暮らせる程度の賃金を得ることができている。そうした中で、ぼんやりと思い出されるのは、学生時代に仲良くなった大学院生のガールフレンドから言われた言葉だ。
 全身をファストファッションで固めた僕を、彼女は「洋服も、一歩を踏み出すと楽しいのよ」と諌めた。アパレルブランドが集結するアメリカ村の古着屋をウィンドウショッピングした時だった。ファッション通を自認する彼女は、全身をモード系と通称される装いで纏い、彼女の歩いた後ろからは、淡い森のようなコロンの残り香が立ち上った。「装い」から遠く離れた世界で生きる僕にとって、装いを心から楽しむ人の姿は鮮やかに映った。
 あれから幾つもの季節を超えて、23歳の秋になった。夜に外を歩くと、冷たい空気が頬を撫でる。秋の空気は、不思議だ。地獄のような熱気が空間を支配する夏には決して思いつきもしなかったことが、秋には実現できような気分になってしまうのだから。秋ならば、英語の勉強ができそうな気がする。秋ならば、早起きできそうな気がする。否、あるいは秋だからこそ、ファッションへの第一歩を踏み出せそうな気がする。
 突如として開花したファッションへの熱に突き動かされ、いろいろ調べた末に、ポール・スミスに着地した。「通」からすれば無難な着地点に思われるかもしれないけれど、一見すると派手ながらも抑制の効いたデザインは僕の心をくすぐった。ウェブで購入して届いたシャツを体に合わせると、晴れやかな気持ちになった。
 なるほど、ファッションは、これだから楽しいのか。まさに僕はいま、憲法21条の「自己実現の価値」を謳歌している。装いをもって、なりたい自分を志向する。なんと素晴らしい人間的な、自由主義的な営みなのだろう。
 その一方で、僕は自らのファッションセンスが優れている自負を持ち合わせていない。本当にこれで「正解」なのか、頭にクエスチョンが浮かぶこともある。そういえば、あのガールフレンドは、こんなことも言っていた。「好きな服を着ている人が、いちばん素敵だと思う」。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?